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私は彼のファンということでもなく、彼のことを特に尊敬しているということでも
なかったのですが、近頃になって彼の言うことを聞くようになり、とても共感して
います。

話が早い。理論を弄ぶようなところがない。明快である。武士道的潔さを感じる等々。

我々日本人に最も影響を与えた人物の一人と言えると思います。

また、彼は言います。
「やる奴はやる、やらない奴はやらない」と。

何か「やる」にあたって、話し合って決めるのではなく、自分あるいは有志でもってや
って、「これはどうですか?」と問う形がよい。

なぜかといえば、話し合いの結果出る結論は「妥協案」であり、参加者の誰の意見にも
合致しない可能性がある。
ゆえに、責任と情熱をどのくらい持てるかという問題にもなってくる。

何かができれば、そこに哲学的根拠と新たな「理」が生まれるだろう。
新たな行動がなければ、哲学は現実の中に埋没してゆくだろう、と。

彼の言うことは、このように展開できると思いますが、皆さんはいかがお考えでしょうか?

A 回答 (17件中11~17件)

哲学を決めるですか。

それは大事なことかも知れません。決めるか決めないか、ですよね。

やる夫やらない夫って家事の話なんですか?私もよくわからないまま口にしたのでした。
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この回答へのお礼

「本質」って人間には分からないわけですから、決める以外にないですよね。

決めるってことは、信ずるということだと思う。

お礼日時:2017/07/23 10:35

人は、歩く時には、行く先を見る。


歩き始める前に、まず世界を良く見る。
そこに、自分が最も喜びを感じる途を見出す。
それが哲学だ。
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この回答へのお礼

行く先が見れない人、世界がよく見えない人はたくさん
いるけれども、そうですね、そう言っていいと思います。

お礼日時:2017/07/23 10:32

追記



>何かができれば、そこに哲学的根拠と新たな「理」が生まれるだろう。
新たな行動がなければ、哲学は現実の中に埋没してゆくだろう、と。

これはまさに勝てば官軍=勝ったもの勝ちの考え方ですね。
「勝てば官軍」というのは、大体において「勝ちゃいいんだ!」といった文脈の中で使われます。すなわち負けた者は負けるべくして負けたのだ。われわれは勝つべくして勝ったのだ。という勝者のロジックです。
そこに生まれるのが何故「哲学的根拠」や新たな「理」なのでしょうか?
仮にそうであるとして、スターリンや毛沢東の例に見られるように、その「新たなる哲理」が旧来のものよりもより善き物であるという根拠は何でしょう。

時に利非ず・・・負けた者に対して礼を尽くす、決して奢らない。これがわたしは武士の精神だと思っていました。
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この回答へのお礼

彼は日本の音楽業界の中で、大きなものに向かって喧嘩を売って「突っ張って」いた
わけです。

だから、勝ち続けなきゃならないってことを言っているんです。
まあ、「勝てば官軍…」の引用は最適ではなかったかもしれませんが…

№3のお礼欄にも書きましたが、新たな事実が新たな理になる可能性はあるということです。
世の中は複雑ですから、それが埋もれてしまう場合もあるでしょうし、悪しき事実が当然の
こととして定着してしまうこともあるでしょう。

新しきものがすべて「良きもの」であるはずもないでしょう。

なんというか、「公正」な目で見てもらいたいものです。

お礼日時:2017/07/22 23:59

こんばんは。



数年前前に渋谷のツタヤで、エスカレーターに乗った時、上のエスカレーターの底、つまりわたしが見上げる場所に矢沢永吉の「名言」がずらりと記されていて閉口しました。上記のようなものです。

わたしの好きな作家の言葉ですが、「成功して、人に教訓を垂れるほど気持ちのいいものはない」というセリフがありましたが、正にそんな感じで帰りはエレベーターを利用しました(笑)

>なぜかといえば、話し合いの結果出る結論は「妥協案」であり、参加者の誰の意見にも
合致しない可能性がある。
ゆえに、責任と情熱をどのくらい持てるかという問題にもなってくる。

わたしは、書くとき、語るとき、主語を「われわれ」というのが好きではありません。
「われわれ日本人は・・・」「われわれ一般大衆は・・・」
何故「わたしは」と言わないのかな?


>我々日本人に最も影響を与えた人物の一人と言えると思います。

わたしも何故か日本人ですが、彼は好きではないとひとこと言いたくて推参しました。

回答ではありませんのでお礼は無用です。
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この回答へのお礼

彼のことを嫌いだって言い放って、返事もよこすなって、最高につまらない投稿だね。

そういうことをする男って「女の腐ったの」って言うんじゃないかな?

それから、文を書くときの主語は「私」が圧倒的に多いけど、たまに「我々」を使います。
これが嫌いだということは、孤独だということではないでしょうか?

お礼日時:2017/07/22 23:40

えーちゃんですか。

うちの親父が彼のことを気に入っています。あいつは日本人離れしてると。

やる奴はやる、やらない奴はやらない。
2ちゃんねるのキャラクターにも、やる夫とやらない夫と言う二人のキャラクターが出て来ますね。
もっと言えば、出来たか、出来なかったか、と言うことなのかな。そして大事なのは、何を為したか。下らないことを為しても価値は生まれないですね。と言うことは、大事なことが何か分かっていなければ、為すことは出来ないということです。
この大事なことを明らかにする過程に、一つの哲学のあり方が見られるのかなと。
そんなもの、本能で分かるだろ。と言う方もいるかも知れません。そんな方には哲学は必要なく、既に身についていると言えるでしょう。
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この回答へのお礼

実は私は矢沢永吉という人物については、どちらかと言うと苦手意識を持っていました。

イメージは、リーゼントで剃り込みを入れて、喧嘩ばかりして、一般大衆を威嚇していた
あの怖いお兄さんたちの親分、です。

どころが、ほんの一週間前のことですね、たまたま彼のインタビューの動画を見て、あれ?
と思いました。そして、納得しました。

頭いいですね!革命家の貫禄がありますね、すごい反骨心だ。明快で迷いがない(少なくとも
そう見える)。哲学を決めてますね。それで、その通りに生きてきているように見える。

だから、あれだけの熱狂的なファンがいるんでしょう。

私は若い時には哲学を決められなかった。今は決めることができた。だから、これからなんです。

ところで、やる夫やらない夫、って家事のこと?

お礼日時:2017/07/22 23:34

矢沢永吉の考えと行動。


私は彼のファンということでもなく、彼のことを特に尊敬しているということでもなかったのですが、近頃になって彼の言うことを聞くようになり、とても共感しています。話が早い。理論を弄ぶようなところがない。明快である。武士道的潔さを感じる等々。我々日本人に最も影響を与えた人物の一人と言えると思います。また、彼は言います。「やる奴はやる、やらない奴はやらない」と。

矢沢永吉の考えと行動を受けての質問者の展開。
何か「やる」にあたって、話し合って決めるのではなく、自分あるいは有志でもってやって、「これはどうですか?」と問う形がよい。なぜかといえば、話し合いの結果出る結論は「妥協案」であり、参加者の誰の意見にも合致しない可能性がある。ゆえに、責任と情熱をどのくらい持てるかという問題にもなってくる。何かができれば、そこに哲学的根拠と新たな「理」が生まれるだろう。新たな行動がなければ、哲学は現実の中に埋没してゆくだろう。

展開についての回答者の考え。
何かができれば、哲学的根拠が生まれるだろう。という部分が理解できませんでした。どうしてその生まれた根拠は哲学的なのでしょうか?また、現実の中に埋没するということがどういうことか理解できませんでした。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%93%B2%E5%AD%A6哲学的、哲学が突然出てきたなと違和感を感じます。
推測すると、ここでいう哲学的とは、自分の、と言い換えられるように思います。さらに哲学を自分と言い換えてみると右記になります。何かができれば、自分の根拠が生まれるだろう。新たな行動が無ければ、自分は現実の中に埋没してゆくだろう。左記の表現には違和感を感じません。自分と書かずに哲学と書いた理由が質問者の考えの独自な部分だと思われます。
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この回答へのお礼

哲学の追求するところは、「本質」ですね?

私は世の中のあらゆるものがその本質の顕れであると思います。
つまり、本質とつながっている、と。

とすると、画期的事実が現出したときには、これまでの哲学が変わる可能性がある
ということになると思います。哲学的な視点で見れば。
自然科学的な発見が、新たな「理論」を作るのと同様に。

新たな行動と言うものがなくなってくると、様々な観念的な論理が先行をし、その
観念の世界に必ずや埋没してゆくであろうと考えています。

お礼日時:2017/07/22 23:05

「やる奴はやる、やらない奴はやらない」


   ↑
トヨタの創業者「豊田佐吉」が次のようなことを
言っています。

「大卒のエンジニアや学者がやればもっと簡単に
 成功しただろう。 
 しかし、彼らはやらなかった。
 私はやった」



何か「やる」にあたって、話し合って決めるのではなく
   ↑
これ、マッカーサーを彷彿させますね。

朝鮮戦争で追い込まれたマッカーサーは、
仁川作戦を提唱しましたが、部下の全員が
反対しました。

「諸君は皆反対か。なら成功間違い無しだ」

結果は御存じの通りで、これをきっかけに、北朝鮮軍は
平壌まで追い込まれました。

これに対し、新聞記者が問い詰めました。

「貴方の手法は民主主義に違反する」

マッカーサー、曰く。

「軍隊に民主主義は無い」





何かができれば、そこに哲学的根拠と新たな「理」が生まれるだろう。
新たな行動がなければ、哲学は現実の中に埋没してゆくだろう、と。
   ↑
なるほどですね。
同意です。
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この回答へのお礼

何かを作り出すような人の言うことは、本質をついてますね。

民主主義のルールは破ってはいけませんが、マッカーサーの気持ちは
良く分かります。
真剣じゃないやつが多すぎる、保身を考えている奴が多すぎる!

同意していただき、嬉しく思います。

お礼日時:2017/07/22 22:54

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