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人は成仏するときある風景を垣間見まする。
その風景とは成仏世界の風景でありまする。
その風景を垣間見る時間は一瞬でありまするが、本人にとっては49日ほどの時間に思えまする。
さてその成仏世界の風景がどのよーなものか一緒に垣間見てみませう。


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     成仏世界の風景

そこは無限の広がりをもつ空間であった。
ただただ灰白色の世界が果てしなく無限に続いていることが分かった。
そこには風もなく、音もなく、途方もなく静かな世界であった。
味も匂いもしない世界であった。
目も耳も鼻も口も全てが無用の世界であった。
もちろん空気もないが呼吸する必要さえない世界であった。
そこは物影1つなく如何なるものも存在しない完全無の世界であることが直ぐに分かった。
そこには自分の姿さえなかった。
そこには時間は存在せず、如何なる変化も、如何なる動きもない完全に静止した世界であった。
そこは途方もなく安定した世界であることが分かった。
そこは如何なる変化も、如何なる動きも受け付けない途方もなく安定した世界であった。
その中ではあらゆる物が意味を持たないことが分かった。
それが空間なのか平面なのか点なのか考えることさえ無意味であると気付いた。
そこは完全なる無の世界であった。
そこにおいては生前の行いなどありとあらゆるものが全て無意味であることが分かった。
これこそ正真正銘のあの世であることが分かった。
それと同時に途方もない安堵感と幸福感に包まれた。
暫くすると眠くなってきた。
もー何も考える必要はないのである。
そして眠入った。
もー永遠に目覚めることはあるまい。
 
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この風景を見たことにより、人は自分が死んでしまったこと、そして成仏して土に帰ることを知り、納得して消えてゆくのでありまする。

A 回答 (6件)

だんだん良くなってきたね。



その調子で頑張れ!
応援してるから。
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この回答へのお礼

わしの人生はそろそろ潮時でございまする。
それ故これまでの思いをまとめているのでございまする。

お礼日時:2017/08/04 17:28

人の道様 こんばんは



>この風景を見たことにより、人は自分が死んでしまったこと、そして成仏して土に帰ることを知り、納得して消えてゆくのでありまする

人が成仏するかどうかは、人の自由意志によって決まります。

例えば、
空海上人は、今だ瞑想を続けておられます。彼は、後世の人のためにそうされたのです。
菅原道真公は左遷されて、朝廷に天災をもたらされました。

まあ、成仏されるのも結構ですが、これからの世の中、死は克服されるかもしれません。
コピー技術が進めば、永遠の命も可能でしょう。
空海上人も復活されるかもしれません。

哲学をする者はあらゆる可能性を捨てません。
世界は一人の自由意志が創り出すものだからです。
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それを見た事がある人やその記録、


それを可能にする生理現象、どれも
見知った事がない。(不勉強で申し訳ない)
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死とは何でしょうか。

死んだ後私は何かを感じるのでしょうか。
その為には、私は誰なのか考えなくてはなりません。大抵の人は、これが私ですと自分の体を指すでしょう。

 では仮に、手が切り取られたらどうでしょう。手と残りの体とでは、どちらが私でしょう。手は私では無く、残りの方が私ですと答えるでしょう。では首が取れたらどうでしょう。首の方が私ですと答えるでしょう。では脳を取り出したらどうでしょう。脳の方が私ですと答えるでしょう。では脳を半分に切ったらどうでしょう。どちらが私でしょうか。脳を切り刻んだらどうでしょうか。どれが私でしょうか。脳の中のどの部分が私なのでしょうか。

 そもそも、体の中の物質は、3年に一回全てが入れ替わっています。では、3年後の私は私ではなくなっているのでしょうか。

 赤いとか熱いとか感じているのが私です。では、赤い熱いと言う感じは、物質でしょうか。赤い色は、心の外の世界には存在しません。物質の表面に当たって反射する光の波長が存在するだけです。

 では、音はどうでしょうか。外界には、色々な波長の空気の振動があるだけです。私たちが感じている様な音は存在しません。

 この様に、心が作り出したものを取り去ると、何も残りません。従って、赤い熱いと言った感じは、物質ではありません。幾ら科学が発達して、全てを見ることが出来る顕微鏡が出来たとしても、脳の中を覗いたところで、熱いと言う感覚を見ることは出来ません。触ることも出来ません。ただ、私が感じるだけです。物質ではないものを感じている私も物質ではありません。

 私の感じている世界は、私が心の中に作り出したものです。心の外の世界がどうなっているか、私には全く知る術がありません。しかし、心は外界に出来る限り似せて、心の中に世界を作り出しています。

 例えば部屋の中で、テレビを見ている様なものです。テレビは、実際の現場に似せて場面を作り出しています。しかし、決して現場そのものを見ている訳ではありません。あくまでも、テレビが作り出した場面を見ているだけです。
 部屋の中にいる限り、外の現場を直接見ることは出来ません。

 テレビを見ているのが私です。決して、テレビが私なのではありません。 テレビが壊れても、修理すればまた見える様になります。見ている私が壊れた訳ではありません。

 もし、見ている私が壊れたのであれば、幾らテレビを修理しても元通りに見える様にはなりません。テレビを修理して、元通りに見える様になったと言うことは、私自身は何も変わってはいなかった事を証明しています。

 同様に、もし病気で脳が壊れて、何も感じなくなったとしても、医学が発達して、脳を直す事が出来る様になれば、また私は前と同じ様に感じることが出来る様になるでしょう。

 この事は、私は何も変わっていなかったことを証明しています。病気をしても、年を取ってボケても、そして死んでも脳を元の状態に戻せば、元通り感じることが出来るので、私自身は何も変わってはいません。

 ただ脳が信号を送らなくなったので、何も感じなくなっただけです。テレビが壊れて直せなくなっても、新しいテレビを買えば元通りに見ることが出来ます。脳が死んでなくなっても、新しい脳が私に信号を送る様になれば、また元の通りに感じることが出来ます。

 科学が発達し、かつて脳を構成していた、物質を掻き集めて、元の通りに組み合わせて、脳を作ったら、また、私は元の通り感じるようになるでしょう。

 私自身は、生じるものでも無くなるものでもありません。穢れるものでも、清くなるものでもありません。増えるものでも、減るものでもありません。宇宙の初めから存在しており、宇宙の終わりまで全く変わらずに存在するものです。

 死んだ後の状態は、生まれる前の状態と何一つ変わりません。何か違いを指摘できるでしょうか。
 生まれる前の状態から、人は生まれてきました。死んだ後の状態から生まれることは、何ら不思議なことではありません。
 「不生不滅不垢不浄不増不減」です。

質問者さん、この様に脳が死ぬと精神である私に刺激を送るものが無くなるので、私は何も感じません。新しい脳がまた私に刺激を送る様になると、私はまた元のとおり感じる様になるでしょう。
死んだら、気が付くと母の胸に抱かれていることに気が付きます。誰しもそうです。ですから、死んだ人にもまた次の生或はその次の生で出会えると考えます。

詳細は、下記のホームページを参照下さい。
http://catbirdtt.web.fc2.com/sitohananika.html
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目も耳も鼻も口も全てが無用の世界であった。


  ↑
この部分と



ただただ灰白色の世界が果てしなく無限に続いていることが分かった。
   ↑
この部分。矛楯してませんか。
目が無用なのに灰白色の世界ですか?



それに、これ、再掲でしょう。

何年か前に同じ事言っていましたよ。
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この回答へのお礼

>この部分。矛楯してませんか。
目が無用なのに灰白色の世界ですか?

あんたは物語の本質ではなく、欠点だけを嗅ぎ回るオジンなのかね。
盲人は微かな光を肌で感じるんじゃ。

お礼日時:2017/08/04 19:25

>もー永遠に目覚めることはあるまい。



その前の、その広がる世界とやらは省略して欲しいのですが、強制ですか? youtubeの広告みたいなものなのでしょうか?
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この回答へのお礼

この世では人が死ぬと坊主が出てきて半ば強制的に葬式行事を行うでしょー。
ところがほんとーの行事は本人のみしか味わえないのです。
それが成仏世界なのですよ。
しかしそれは死にゆく人の夢の世界のことでして、時が経てば本人もろとも消えて無くなるのです。

お礼日時:2017/08/04 18:45

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