質問させていただきます。
日本史を勉強していると、比叡山延暦寺が多くの名僧を輩出しているのに驚きました。
密教の僧侶ならまだ理解できるのですが、『往生要集』の源信をはじめ、鎌倉新仏教の開祖たち(法然、栄西、日蓮)も比叡山で学んだそうです。
九条兼実の弟で『愚管抄』を書いた慈円も天台座主ですね。高級貴族の子弟などの出家先としても非常に重んじられていたのだと思います。
ふと疑問に思ったのですが、密教自体は日本仏教の中でもそれほど歴史は深くないと思います。例えば東大寺などの古い寺院に比べてなぜ延暦寺はこれほどまでに影響力を持つようになったのでしょうか。
鎌倉新仏教の開祖たちを見ていると、「仏教を学ぶなら取り敢えず延暦寺」という印象を受けますが、彼らが律宗や華厳宗などの旧仏教ではなく例えば「興福寺で学ぼう」とならずに比叡山に登ったのはなぜでしょうか?
個人的には(当時としては)「最先端の仏教・学問」だったのかなあ?と考えました。
よろしくお願いします。
No.2
- 回答日時:
一番は都(平安京)に近いということでしょうね。
ものの観方はいろいろあって、天台宗である延暦寺で学びながらも天台宗にとどまることはなく新しい宗派を作るということは、延暦寺(天台宗)に疑問を感じたという人が多かったのかもしれませんね。
ご回答ありがとうございます。
確かに平安京に近い、と言うよりも東山の禅寺などを除けばやはり勢力が大きい寺は密教寺院しかないですね。
平安京自体、桓武天皇が平城京の旧仏教勢力を排除していますから、当然新しい仏教というものが求められていたのだと気付かされました。
すると今度は比叡山が力を持ちすぎてしまい……(白河院にすら手に負えない山法師)、と歴史は繰り返してしまった訳ですね。
大変勉強になりました。ご回答ありがとうございました。
No.3
- 回答日時:
申すまでもなく、日本仏教の祖は、最澄と空海ですが、「最先端」と言う意味では、空海の真言密教の方が、当時は最先端であった様です。
天台宗も密教の要素は取り入れてはいるものの、真言宗のそれには遥かに及びません。
従い、このツートップが帰国後、最澄が空海に教えを請う様な局面もあったとか。
ただ、そんな中で両名は、袂を別つんですね・・。
具体的に言うと、たとえば最澄は、真言密教を数ヶ月で学べると思っていたところ、最澄の才を高く評価していた空海から、「あなたの才能をもってしても、3年は要す」との返事。
ここらあたりに、比叡山と高野山の違いがあるのでは?と考えます。
真言宗を学ぶには、最澄であればこその3年であって、平凡な僧侶であれば、何年かかるかわからないワケです。
一方の天台宗も、密教要素が無いこともないし。
如何に真言密教が最先端で仏教概念の中核とは言え、真言宗は、それに特化し過ぎているとも言えます。
たとえるならば、スポーツの世界で身を立てようと志した人が、スポーツジムを選ぶ際、スパルタ教育で有名な水泳や体操のみを専門とするスポーツ教室は選びませんよね?
天台が仏教教室とすれば、真言はスパルタの密教教室であり、しかも格式はそれぞれ遜色はありません。
すなわち、鎌倉時代以前は、仏教真理を得んとする僧侶が、日本仏教の正当系譜に属すには、まず天台宗か真言宗のいずれかに入門せねばならず。
取り敢えず僧侶を志すレベルであれば、悩まず天台宗を選択しそうでしょ?
逆に名立たる名僧が、「楽そうだから・・」と言う理由で天台宗を選んだとは思いませんが。
仏教真理をより極め、自らの宗派を立ち上げようと言う志がある場合でも、密教色の濃い真言宗に比べ、密教色もありつつ、多様性にも富む天台宗に惹かれるのは、自明の理ではないでしょうか?
あるいは、室町時代から戦国時代に至って、比叡山が俗化した理由も、格式はありつつ、仏教入門者向けの総花的な仏教であり、肝心の宗教性は、天台宗から発展的に派生した鎌倉新仏教などに移ってしまったからと言えるかも知れません。
また、むしろ変化を嫌って世俗との交わりを断ち、真言密教のみを至上とし続けた高野山とは対象的で、かつてそれぞれの開祖が袂を別ったのも、肯首できるところです。
ご回答ありがとうございます。
本当にわかりやすく、かつ含蓄に富むご回答で驚きました。スポーツジムの喩えで思わず頷いてしまいました。
比叡山、高野山の違いとその後まで触れて頂きとても勉強になりました。
日本仏教の祖が空海と最澄である、とおっしゃるのは学理研究がメインであった旧仏教(旧仏教の僧侶は現代人の私が思っている「お坊さん」のイメージとは全然違うものなのかも知れません)とは違い、呪術的な儀式を伴い神祇信仰も包摂したまさに「日本の仏教」であるという意味なのかな、と考えました。
日本仏教の祖と言えば、聖徳太子?なんて考えていたので衝撃を受けました。
不勉強で申し訳ございません。何度もご回答を読み直させて頂きます。
ありがとうございました。
No.5ベストアンサー
- 回答日時:
日本での仏教は護国の手段として採用され、僧はそのための行事催行者として公職任用されたもので、個人のかってでなるものではなかったのです。
その後、個人の死後の幸福?を招来するマジシャンのような役目を果たすようになって、各宗派が南都で成立繁栄することになります。 でも、それはあくまで、きちんと仏教の教理を勉学していないと効果がでないからというような認識に基づくものでした。ですが、南都仏教とは立場というよりも、志向するところが違ったのぽつぽつでてきて、何を目指したかというと、仏教の本当の教え、究理はなにかを徹底的に知ろうとする人が出てきたのです。仏教公務員になることがねらいとうよりも、"私はもっと知りたいんだ!"のような志向です。 そういう志向でも、東大寺戒壇院を目指したのですが、東大寺戒壇院は基本は仏教行政という重要な役割から離れられない国家的性格があって、どうもしっくりない面が残っているし、密教的なもの、個人的学問追求には向いてないので、最澄は、山岳宗教的な個人研鑽修行も実行できる山の中に学習所を作ったのです。 ですから最初から、後代に円仁が説いた円密一致のようのを当然とするスタンスをもっていたし、最澄はとてもとてもとても厳しい研鑽と学問研究への専念を求めたのです。 そうした厳しい環境であることを知ってそこを目指したもの達がいたのですから、落後してしまう学僧が多数でたにしても、後代、優れた学僧、新しい理論を打ち立て信念で独立して新宗派をつくるものも輩出することになったのです。
高野山の場合は、叡山のようには様々な仏教思想を学び吸収するというような姿勢ではなかったので、スゴイ僧が出たとしても、叡山ほどには多数のスゴイ僧が次々開祖として宗派を作っていくようにはならないし、薬師寺、円宗寺、法勝寺、興福寺なども学僧の修練には熱心で論議を盛んに行っていたけれども、山中に三塔十六谷の諸堂があり 広学竪義を盛んにしたという経歴もあって、他の諸寺とはだいぶ違う状態になっていったのでしょう。
https://kotobank.jp/word/%E5%BA%83%E5%AD%A6%E7%A …
ご回答ありがとうございます。
質問に的確かつわかりやすくお答え頂き、とても勉強になりました。
南都六宗の雰囲気や比叡山が台頭する流れ、高野山の厳しさもよく分かり、大変面白かったです。
ちょっと違うかもしれませんが、鎌倉時代の禅宗で栄西の臨済宗が幕府から庇護されて京都五山に鎌倉五山と栄えたのに対し、道元の曹洞宗が越前の永平寺でひっそりと(?)厳しい修行をしていたのと似ているのかな、と思いました。
ありがとうございました。
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