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中学歴史

平安時代、藤原家と関係のない方が天皇になったことで藤原道長の摂関政治は崩壊してしまい、その後、白河上皇の院政が始まったらしいのですが、藤原家と白河上皇は全く関係のない人ですか?
それとも何か接点があったりしたのでしょうか?

回答よろしくお願いします

A 回答 (3件)

質問の時系列などがちょっと変です。



白河天皇の生母は藤原氏です。摂関政治で白河天皇の後継が弟と決めれれたしまったのですが皇位継承前に死去。
後継を皇太弟としたのは白河天皇の意思ではなく、後三条天皇夫妻が藤原北家の外戚外しを画策したため。
院政の下地の考えは有ったが白河天皇ではないですしプランだけに終わっています。

白河天皇の皇太弟が死去し、白河天皇の子が堀河天皇として即位。生母(白河天皇の中宮)は村上源氏で一応藤原氏の養女になっている。
堀河天皇の中宮も藤原氏で摂関政治を行っている。白河上皇も藤原氏とは協調的な関係だった。

しかし堀河天皇死去後、その子の鳥羽天皇が即位すると、当時の摂関政治を行っていた藤原忠実は若く政治手腕が未熟なため、白河法皇の政治的な介入に屈してしまう。
院政が確立したのはこの頃からなのですが、歴史的なことは何時からと線を引くことは難しいです。

接点だけを言うと白河天皇も藤原氏の血を濃く引いています。
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この回答へのお礼

そもそも基礎がわかっていなかったようですみません…(^_^;)

大変詳しく教えていただき感謝です!わからない言葉がいくつかあるので、検索しながらじっくり理解していこうと思います^-^

どうもありがとうございました!
入試頑張ります!

お礼日時:2017/10/29 17:30

父の後三条天皇のときに藤原氏との関係が薄くなり、母も藤原氏のうち摂関家でない出身でした。


ただ、白河上皇の院政初期は摂関家とは協力関係にありました。
摂関家の当主が相次いで亡くなり、若い当主となったため白河上皇の力が強まりました。
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この回答へのお礼

協力関係にあったんですか。むしろ逆かと思ってました…( ̄▽ ̄;)
どうもありがとうございました!
入試頑張ります!

お礼日時:2017/10/29 17:21

白河天皇の母は藤原家の分家筋の娘です。


中宮は藤原本家筋の養女です。
一夜にして藤原家が没落した訳ではありません。
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この回答へのお礼

結構深い(?)関係にあったのですね!
どうもありがとうございました!
入試頑張ります!

お礼日時:2017/10/29 17:24

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