
私は支援を必要とする児童施設の職員です。虐待防止の研修で「利用者をちゃん、君をつけて名前を呼ぶのは虐待です」と教わりました。どんなに重い障害があっても成人にはその人権を尊重してちゃんや君で呼ばないというのはよくわかります。私達は、利用者である子供たちと心を通わせて信頼関係を築き、少しづつコミュニケーション力を育て、社会のルールを伝えたいと日々努力をしています。そのやりとりの中でちゃん、君と呼ぶのは虐待とはどうしても思えません。障害があってもなくても同様だと思います。他の公共施設ー保育園、幼稚園、小学校ではどのような呼び方が指導なされているのでしょうか?特に学校での児童の呼び方はすごいです。名前を呼び捨てたり、怒鳴りつけたり、強要したりと、福祉業界から見たら虐待が堂々とまかり通っている世界に見えます。 教えてください。
A 回答 (1件)
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No.1
- 回答日時:
虐待というか、差別と教わりました。
その人の人格を認めていないと。
だから「くん」「さん」です。
これでさえ男女差別だから「さん」に統一しようという流れも一時一部でありました。
小学校です。
もともと明確な線引きがあるわけでなし、社会の合意で決まるというとても曖昧なものです。
その社会の中で生きたいなら合意には従った方がよいだろうと、私は思います。
心の中で疑問を持ち探究するのは別です。
ありがとうございます。差別と虐待は深い関係があると学んだことを思い出しました。ことばの語源から引っ張った結論が差別用語だということなのでしょうか。私達は現代日本に生きており、ことばの意味や使い方は時代によって大きく変化していると思います。「差別から出てきたことば」であるなら、その痛みを噛みしめつつ、愛情をこめてちゃんやくんを使うというのはどうなのでしょうか。日本語には微妙な気持ちを伝える豊かな表現力があると思います。「ちゃん」や「くん」は社会の中で一般的に広く受け入れられている呼称であり、親子、親族、地域社会の中でそのつながりを表すベーシックなことばとして定着していると思います。毎日ニュースで虐待の報道があります。どんな小さなことでも虐待につながるようなことは自分を顧みて慎むべきことです。「慎む」ではなく、してはならないことです。そう考えると、「おおむね小学生以下の子供に対して『ちゃん』や『くん』で呼ぶのは虐待である」と定義されると、とても治せそうにない私は、毎日が苦しくて仕方ありません。そんな不適切な私は支援員の資格がないからこの仕事はやめた方が良いのだと時々思います。でも子供たちの喜ぶ様子や、学校や家庭で叱られて苦しんでいる様子を見ていると、やめられません。
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ちゃんくん…という見出しで納得いく回答を見つけました。「けあサポ」の宗澤忠雄先生の説明では、「ちゃんくんで呼ぶのは虐待の始まり」というのはちがうでしょう。大切なのは互いの関係性の中で育まれた呼び方…ケースバイケース…と述べられています。また、著作に「障害者虐待と防止のために」という本があるようなので、学んでみたいと思っています。ありがとうございました。