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日本の教育が懸念されています。今年四月から学校は土曜日が休校と決定されましたが、日本の児童の知的レベルは、諸外国に比べてどの位のレベルか、教えてください。

A 回答 (2件)

ご質問には「知的能力」とありますが、「学力」と読み替えてお答えさせてもらいます。



何人かの専門家に、児童・学生の学力の国際比較について尋ねてみますと、IEAの調査が一般的に利用される、とのことでした。
このIEA(国際教育到達度評価学会;International Association for the Evaluation of Educational Achievement)は60年代から学力の国際比較調査を行っています。
最近では1994年から複数年にわたって、日本を含めた46ヶ国・地域が参加する「国際数学・理科教育調査」が行われています。(やはり、国際比較の難しさから、調査内容が論理性を見る数学中心になるのはやむを得ないのでしょう)
この調査の結果では、日本の中学生は平均点で数学・理科ともに3位につけており、その学力は国際的に非常に高いレベルにあると言えるようです。

ただ、このIEAの調査の設問そのものが、学校で習った問題中心に選択回答させるもので、「日本などカリキュラムをしっかり消化させるタイプの授業を行う国に有利」との批判もあるそうです。

この意味で適正を期すため、もうひとつの調査結果が引かれることが多いとのことです。OECD加盟国に中国やロシアを加えた32ヶ国が参加して行われたPISA(Programme for International Student Assessment)という調査がそれで、やはり学習到達度を見るものですが、より生活に関連した問題での適応力をみる設問となっています。
2000年に実施された最近のPISA調査(読解力、数学、理科の3科目)では、日本は読解力において6割以上の問題で平均以上を得点しており、数学・理科においてもまずまずの評価、とされているようです。

両調査を通じての結果、巷間言われるほどの「学力低下」はさしあたって認められない、という見解が一般的だそうです。
ただ大事な点だと思いますが、IEA調査はperformanceだけでなしに子供のattitude、つまり「やる気」や「学習態度」も併せて調べているのですが、その面では日本の生徒の評価は国際的にみて有意に低いものなのだそうです。

総じて、学力レベルでは比較的高位置を保ちながら、一方で何のために学習するのかという目標に乏しく、従って学習意欲もあまり高くない、というのが日本の子供たちの現状だそうです。この意欲の低さが近い将来にレベルそのものに影響を及ぼしてくることが懸念されているわけです。


余談ですが、意欲の問題と併せ、日本の教育方針の偏りも最近問題視されるところですね。
国立教育研究所の方が日本の数学教育について書いておられることですが、数学はどうしても標準偏差が大きくなる(つまり学力差が大きくなる)性質の学問であって、特に日本は昔からその傾向があったにもかかわらず、(1)格差の存在を認めない、(2)格差に応じた教育をしない、という問題を内在してきた、と指摘されています。
また、少し前に「分数ができない大学生」という本が話題になりましたが、その中で理数離れの問題、創造性論議の陰に論理性の教育の問題が埋没してしまっている、という問題点も指摘されていました。
将来の学力低下を招かない為にも、この辺りの議論は今以上に活発に行うべきではないか、と私は思っております。
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この回答へのお礼

適切且つ明解な説明に感謝します。

お礼日時:2002/05/05 08:47

 


  結論から言いますと、特殊な環境や社会で成長した児童は別として、世界の大部分の地域で成長した児童の「知的レヴェル」つまり「知能」について、知能の方向性というか、機能領域での発達に違いがあっても、「総合的」には、差異がありません。どの社会、どの国の児童は他の社会や国の児童に比して劣っている、優れているということは、一般に根拠がなく、実際にも意味がありません。
 
  日本の現代の児童の知能は、他の社会や国の児童と較べて、同じであるということになります。
 
  例外としての特殊な場合というのは、都市スラムとか飢餓に瀕した社会など、児童の成長・発達に対し、社会が、栄養学的、心理学的に、児童の「知能」の発達を可能とする条件が欠けている場合、幼児などは、単に知能の発達が遅れるだけでなく、運動能力も発達せず、身体も未熟で、栄養不良で、言語習得のための基本的な母親などの刺激もえられず、身体・知能とも発達不良になった場合です。
 
  こういう逆境でも、人間は可塑性を持っていて、条件がよくなれば、遅れていた分を回復できる児童もいます。
 
  世界的に見て、都市スラムとか、飢餓に瀕した社会などは、特殊な状況だと云えます。また都市スラムでも、飢餓に瀕するようなものでない場合、それなりに身体の発達や知能の発達が児童にあり、都市スラム住民であるからと言って、必ずしも、知能の発達が遅れている訳ではありません。
 
  世界的に、児童の知能は、その得意な機能に色々なヴァリエーションが出ても、総合的には、区別はありません。
 
  児童の「知能」と、何かの教育課題の「達成度」や、向学心や独立心などは、知能とは別の要因で決まって来ますし、知能とは別のファクターです。例えば、アメリカにおいて、アジア系住民の児童の向学心は高く、その結果、白人アメリカ人の児童よりも、学業成績ではずっと高くなりますし、世界的にユダヤ人の児童は、学業成績などが高いのが普通ですが、これは児童の「知能」の問題ではなく、どれだけ知能を使って、色々な知識を習得するか、その適用を身につけるか、向学心などの動機付けと、努力の成果の違いで、「知能」の優劣の問題ではないのです。
 
  教育機会や、動機付け次第で、同じ知能の児童で、その後の学業成績などの伸びに違いが出てくるということで、児童の「知能」は世界の社会で、同等です。
 
  日本の児童はある意味、適用範囲の狭い受験勉強に集中する結果、全般的に、偏った知識や体験の獲得に陥るということがあるかも知れませんが、これは「知的レヴェル」や「知能の水準」とは別の問題です。
  
  アメリカの児童も、中国の児童も、インドやアラブ世界の児童も、南アメリカの児童も、アフリカの児童も、最初に述べたような、栄養失調になるような特殊な場合を除き、「知能」は同等です。
  
  日本の児童は、何と比較するかによって違いますが、或る意味で、向学心や集中性、動機付け、努力や持続性などの点で、問題があるかも知れませんが、日本国内でも、児童それぞれで個別的事情があり、一般論では扱えません。
 
  アメリカ社会での、色々な民族や出身国で、児童の学業達成度や向学心や努力についての比較統計があるかも知れませんが、社会構造の違う日本とアメリカの児童では、定量的に比較のしようがないというのが事実です。
 
  学業達成度や動機付け、集中性、向学心、努力の水準なら、幾分、比較が大まかに可能かも知れませんが、「知的レヴェル」「知能」は、世界の諸社会の児童について「同等」です。レヴェルの差はありません。日本の児童も同様です。
   
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この回答へのお礼

懇切丁寧な回答ありがとうございました。

お礼日時:2002/04/21 06:44

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