

冀東防共自治政府の成立と河北自治運動の背景について質問です。
「冀東防共自治政府」とは、1935年から1938年まで中国河北省に存在した自治政権である。
当時の日本側の認識によると、地方自治を求める民衆を背景に殷汝耕の指導により成立したとされるが、支那側からは当時から現代に至るまで、日本側の特務機関の工作活動により設立された傀儡政権であると主張されているが、ここで質問です。
ウィキペディアで調べると、冀東防共自治政府の成立の経緯には、1935年10月21日河北で民衆運動が発生した「河北自治運動」が発端となっており、当時の支那国民党政府側は、日本の特務機関による仕業だと主張しているのに対し、日本側は支那国民党政府による地方への搾取政策が原因だと主張しているが、結局の所、冀東防共自治政府の成立の経緯の背景には、支那国民党政府による地方への重税政策が原因であり、そのような自治運動が起きた原因なのでしょうか?
●『冀東防共自治政府 - Wikipedia』↓
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%80%E6%9D%B1 …河北自治運動

No.1ベストアンサー
- 回答日時:
>日本の特務機関による仕業
満州国に対する中華民国の反対は、日本を国際連盟脱退へと導きました。この地方からの中国から満州国への攻撃は、巧妙さを誇り、満州国側は殆ど捕捉出来なかったようです。この為あらゆる手段を用いて、満州国は緩衝地帯を必要としていました。特務機関が活動しないわけが有りません。
>搾取政策が原因だ
中国の貨幣は、銀本位制です。安いメキシコ銀は、中国と日本に大量に運び込まれ、金を驚くほどの安値で列強は手に入れたのです。幕末で日本を侵略するより、日本産品を銀で買い、軍艦や武器の代金を小判で受け取った欧米は、もっと早くから中国での交易でこれを行っていました。それ故のインフレは、国民を苦しめ、辛亥革命の原因となったのです。
通貨量が増えインフレは、庶民を苦しめます。そこに特務機関が働きかければ、軍閥は強くなり、この様な事態となります。緩衝地帯が欲しい日本と、中華民国の経済政策の失敗でこうなりましたが、日本が関与した事実は消えません。やはり特務機関の存在無くしては、組織的な自治運動など成功しなかったと見るべきでしょう。しかしながら、他国の特務機関にいいようにやられた無策を言い立てるのは、何とも情けない精神です。戦後の失敗したゼネストも、ソ連や中国が関わっていたのに間違いはなく、それを歴史の裏側に塗り込んだ自由党政権の方が余程マシです。
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