dポイントプレゼントキャンペーン実施中!

僕は詳しく知りませんが 今頃の哲学界や人々は「存在」とはどういう意味、定義になっているのでしょうか?

哲学の腕の見せどころです 「存在」を定義してみてください。

「存在者」ではなく「存在」とは何でしょうか?

A 回答 (9件)

後編


ではこれらはなんの違い?

対象者の違いなんですよ。


ちかくの見地は。

第一者 自分
第二者 対象、相手
第三者 その他~
第四者、第五者 → 後述 です(*´・ω・`)bネット


まず貴方がいるかと言う証明をする必要があり、ここを我思うゆえに割れ蟻となりますが… 蟻?じゃなくて、我在る。??
有るも英語だけの伝達なら、ニュアンス的に伝わってきた時期で翻訳の違いは、あり得、多数作っときゃよかったのでは。本質は、文法によらない場合もあります
在るとあるに、ここを違うものと捉うる必要は、ないかもしれませんね。
頭の体操。でした。

さて、まだ最近まで、誰も理解してませんようですが、
第一者とは、
第二者を発見しない限りそもそも生まれませんよね。
それは自覚、→自我ですから

例えば、赤ん坊が、babyベッドの近くに揺れる カーテンを見て自分と異なると思え、それをかんがe見て自者と比べた時、
自身なる自分がここにいると言うことにはじめて気付く、そういったものです。
多分に!

第2者→対象は、
(定義 始め必ず【大切なもの】として置き)
その時 第三者と言う概念を作ると、
即ちその他になります。
実は集中してみると、自分と見ているもの(対象) 以外に、世界にはそれ以外があると言うことに気づく。
(集中を解いてみると 漢字)感じ方

ここよりは、現行オリジナルの定義ですが、(後に世界に流布 流行らせる予定)

第三者を分けて行くと、
通常 第三者は、相手と自分以外の相手(対象)
(大切な人と自身とそれ以外、この場合その間、の、話題や、子供 等々)と
捕らえれます。捉える!捕捉!細々とぉ

第四者(To)は、その三者以外の、見てな状態でそこの場にあるもの、あるいは第四人目。 (ここは仮装 定義となり、問いなどによって若干変容)

そして必然的に、第五者は全体
社会や、歴史。歴史に紡がれる必然足る事実を指します。
常識で渡り合える世界 ともい言えます
基盤的世界 背景

((先回りして第六者七者(ななしや)を解説すると、ifや、?紙となる)が、固定化してません)取りあえずは、ここまで)


さて アナタ方の見ている世界は、
大切な人に伝わらなければ、他の人にはより証明は遠く、
更に、自分がまず信じなければ、他人の話は聞けない。
存在も認められません。
自者(社) の証明が必要となります。
ここで概念(その人の中にある知覚 状態)としてあることを認めれても、存在を認めれないとなり、
詰まりは、そこが【概念と存在の違い】となります
大切な人(霊長)の話は、よくきいてあげましょう。まずは、それが大事なこと。
生きて!!


そして第五者的な、常識論こそが教育に物を言います。物申す物語。る。
共用の認識こそが、世にあ言うある状態に、違いないからです。

みんなが知ってる常識、しかし、果たしてそれは本当に共用の強調すべき知識なのか、または間違っていたりはしないのか、それも、人々は常に、問い正し続けていく必要がある。のでしょう なゃ
第五者への、伝えようとする努力は忘れてはなりません。
大衆は移ろいやすく、興味のあるものにしか見地見解を深めない(偏光)
輝きある人ならば人は自ら自ずと近付くいてきます。思いやりと優しさも大切。リーダーシップ以外にもですが。


果て?
何故この対象者と言う概念が文明に
生まれるかと言うと


理解の法則と美を説明いたします。


ここまでで、先ず、存在の説明は終わりとなりますのでご了承ください♪

ここ、次の てすと に出るよ!ご注意!!


ーーーーーーー


存在や概念を産み出すのはまずは
理解↔知覚 となりますが

理解して概念を生むのは、
即ち当たりをつけて、
そうではないかと予想すること
そこらから始まり、 (仮想領域equal思考)
それがみんなの共通になる (はず、なってほしい)と どこかで思っている。
間違っていない限りはと。
正しいものを探し、クオリアを説明し会う。

存在は最低でも共用の認識はいるのではないでしょうか?
そうでなければ、伝わらない だろ?ぅか
いや、見てもらえないに等しい。
忘れられるは愛がないから、か?必要がないと談ずる人々が急ぎすぎるからなのか。
けれども強ければ、大切な人に見てもらい信じてもらえればよいとなる、なっていきますよ。
まず何故 大切なのか、それは、そういったことを信じられ会えるからではないでしょうか? ここは、稀有と呼ぶ

即ち逆説は、大切に扱うからこそ人は信じてもらえる。
誠実に懇切丁寧説明しわかり会おうとするから。
それは人望にも繋がります。




ここは、最近確認した、法則ですが (まだ私のなかでもif度合 4.5くらいありますね)
理解は、全に続く一となる道
美は、法則を見いだしたときの喜び(美)


青に秩序をおくなら、意思とは、個の尊厳!
緑は、整理整頓の末の、明るみになる知識、真実 (共用に向かう常識に通じる べき)

因みに、理解は私は黄色だと思っとります


理解しあった熟年夫婦は、ほとんどツーカーで通じる。
知識の共有(か) が進んだ状態。
若い人は誤解しガチだか、(方向性として)
理解したと思い続ければ、同じ個体に成を目指すとにて、ただ若い人は、neutralつまりそれだけじゃないと思いたいから、理解の本質は認められない。
新たな道を求むゆえ neutral
それ以外も求める個性

本来、理解は、近付く力。知覚
同一の知識の共有と言う一面せい、はたまたな面では、神のコピーを量産にも似る ます。
剃る喜びとは孤独の脱却、シンパシーが含まれます。


私は、10年ほど前、人類 (宇宙的に見るところの霊長、精神持つもの)
とは、全と個において、二つの方向性を目指すものと考えました。


それは、すべてのひとつに戻り、個をなくす方向性 →全

全と抗い一独立を保とうとする意志性
個体←全
(ちなみに子の性質を理解し守ろうとするものに秩序)

そこで、理解するうちに、
自我が生まれると言うことは、
自分を見返ること、始まりは違うものだと認めることと考えたのです。

ふれあう世界に、自分がいると、
信じ個になる人(子に成人) は、
果たして、善へ戻ろうとするだけなのか、それとも、noと言い、個を維持する方に向くのか、
それは文明と流行、潮流 次第かもしれませんがね。まだまだ人のミチなのです


続けて、ここ最近の美の観測

美しいとは、
恐らくその本質において無意識下 クオリアでも、(真理的な) 法則性 を見いだした状態であり、
部分があり、
芸術家は、それを先進的でも自身の見つけたものとして表現したがる

この先進が、厄介で ゃゃ、
伝わる人にだけ伝わればいいなんて思い出してしまう、かもしれないときもあります。

それは理解の全 個 性を無視し、
時にないがしろにし、
自分自身(自分含む集団)が理解の賛美を得られれば良いに、鳴りがち?なるかも知れず、
その辺りに人の傲慢が生まれる可能性かある


おっと、そろそろ時間のようですね。
もうし分けないがここらで終わりとさせていただきます。


最後に、存在論の基盤を、
貴方は、人に自信の論を話そうとするならば、自己のその基盤を、わかりやすさを求め、伝わるように伝え、
そして、真理の存在の性質を、必要な理由と共に説いて行ければ良いのではないでしょうか。
私はそう、思う。訳なんですが、
残念ながら、デカルト 推しなものですから。彼の言葉との出会いに私は日か。を得た。

さてさて、
存在の基盤は、

信じることです。

人は、目で見て、鼻でかぎ、音で聞き、
それでもダメなら、触れてみて、さらにアジわい、
そこにa有るrを確証するものです

即ち、速度差で感覚器を分かちながらも微細なこの世界の奇跡を味会うために、触れるために人は生まれてくる。

原始、素粒子、最小粒子物体、それを含めても人はふれあえる

秩序が生まれるは愛があるから、
存在のぎは 神聖
まだまだ、我々は若輩。


確かに有ると信じれば、そこに有る(ar)は生まれる

尊厳の重さ、それが大切なもの。
質問ありましたらどうぞ


私はウタいましょう。

私たちは確かに、ここにいると!

エルミルシスティーア
    • good
    • 1

フッ( ´,_ゝ`)



ならば、賛美論を交えて、私が説明してみましょう。
簡単なように。お久し振りです(*^∀^)ノ~

解法で、貴殿方のお悩みを簡単、解決、
完結、解放!労ります。あるケー算通り
水星のししゃ メルクリウス
押しも推されて!
サン(↑) ジョーウ(ノ∀`●
((今後この決め台詞で登場しょうかなぁ)) ナンチャてッ
(推参で) す!!
※長文ご注意ください。こちらは前半です


存在と言う字は、存分に言うと
存る(ある)、在る、と書きますかね。
在ると有るは同じでしょう。(
(諸々、ニュアンス程度の違い)あわれど)
他にも 存じる は、
思う、考える、保つ、長らえる、問う
いたわる、いる
等の意味もあります。成る程(*´・д・)!
大体 ある こと を等のか?
有るケー? OK?アーユレディ、ユースティティーア!!
では行きましょう。ここのラスボスを倒しに!心のママに。


有るものを存在と呼ぶ場合、
果たして、概念と言うものと存在とは
同じなのか?
このトイから始めます。

認識できてこそ概念ですが、
認識は、無意識があり、無意識に計算構築される概念には、名前がない状態のものを、
未知 (ミチ)と指します。

※しかし、無意識下でも何となく、なにか名前にならないようでも、そこにもにゃもにゃとしたモヤがあるような状態。不確定か、カオスの真相 深層 状態
があり、決して理解と言う段階でなくても、なにかを感じている状態と呼べます。これは概念の始まり。思考の始端
クオリアとも呼べ、用は無意識下の概念。のハジまりのようなもの。
これは我がハジの始まりか。恥ゃで
破邪の聖剣!heroic ブレード!!


理解すル?とは、
コスモス、存在の認知下の整理整頓できている状態 (秘 名前とラベリング)
をさし、非整理状態を、非コスモスあるいは、カオス 混沌と言います。
無意識の中間中庸概念は、さしずめ、
どちらでもない、ニュートラル(neutral) となるでしょう。Ka!


さて、戻して
では、存在とは?確実にあるものだけを始めに切り出します。
けれど一番大きくとらえて、全体(の名前)と呼び、

確実にあるものから指すと、
目に見え知覚できるものとなりますが、見えないと存在しないのか?
と言う謎々

それは、全体を理解できなきな限りは、見えない状態のものを理解(でき) "ない" となります
この場合に依り全体のことを宇宙という名に置き換えると、
人は、宇宙のすべての存在を知らないがゆえに、人のうちには、存在しないものがある (状態)と呼べます。
単に見えないともいいますか"。
しかし概念なら、あると言える。
((個々が人 各々))

或はつまり、まず宇宙があるという結果から入ります。と

宇宙があっても、中を知らない限り、見えないもの(いくつか) がある、それは存在しないのではなく、概念化 概念視できないということ。

存在とは、このとき宇宙ですが。
人それぞれ知る範囲が違う、異なる宇宙をうち(内)面に持つため、人の存在を認められる範囲がそれぞれことなります(To) ね。

概念は見つける限りいくらでも増やせますが、本質の存在は宇宙と言うことになる。即ち全にして一 (、ー)

(無とは、全を知った上で、な おそれ はあり得ないと信じきり、全能者がないと言わない限りは作れないものなのですよぉ。何でって?無を作ったものがいれば、それは作れる時点で有だからです)ブププ 親父Σ(`∀´ノ)ノギャグ


しかし、共通に認識にしきれない限り (誰が?).
宇宙は全部ではなく
宇宙の広さすらも人それぞれと言うことになる。
神があるかないかなど、
まず単に、全体を神と呼んで損じないかの違い。
次にそれに意思があるかないかで問います。しかし、いつでも↑には↑がいるもの、例えば宇宙に霊長文明があり、私たちの自由にできないクラスの、量子 粒子 波動エネルギーを扱えるなら、すでに神と同じ全能かもしれません。また内湯ぅ人に地球文明が作られた説もあります。
昨今の中級科学に傾倒する、神を信じないものたちのような、概念にできないから見ないような若輩者のように、簡単に決めつけはよくないと言うことですか、ね




単にあり呈して言えば、あると言うところが ある
それだけで存在と呼べるはずでしょう。




一(位置)なるにして、全なる宇宙の存在。

しかし、われ思うゆえにわれあり(デカルトさんの論理)とは、その理論に足る答えを指すと。

結局、貴方の脳内はまだ誰にも見えない、見栄なき、もの、
その状態には、

他人にアルを証明してもらうのは不可能と呼べる。
しかし、近い将来、脳の電気信号から、
その大小精細を計り
見ているもの感じているものを
確実に 何と 呼べるようにもなる。
(第五者)
「哲学界とかで「存在」とはどう定義されてい」の回答画像8
    • good
    • 2

本質と現象の違いを考える必要はあります。


現象は有限的な事象です。
本質はものごとの背景に隠されたものです。
人間の現象は肉体で本質は永遠なる魂という、デカルト以来の哲学の二元論に由来します。
さらには、その背景には、有限な人間を創造したのは無限の存在である神、
というキリスト教以来の伝統的な通念がある。
ハイデッガーはキリスト教やデカルトを批判したつもりが、
思考の枠組みでこれらを乗り越えていなかった、ということかな。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

Thank you

人間の本質が永遠なる魂と言うのはわかる気がします

ただ人間の現象は体よりもむしろ精神活動でしょう。

キリスト教も上手く活かさないと 形骸化してるような気がします。

僕はエネルギーと性質の二元論ですが。

お礼日時:2018/03/03 20:45

ハイデッガーは「存在」と「存在者」とを分けて論じています。


人間は「存在者」の典型で、有限なもの。
一方の「存在」は無限で、常に在り続けるもの。
これが一応、定義っちゃ、定義です。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

ありがとう

何で「存在」は無限なのでしょうか?そんなこと誰が決めたのでしょうか?

ハイデッカーか。翻訳者か?

木片でも石ころでも存在者なんでしょう?おかしな定義だ。訳もおかしい。

そんなものは世間に通用しません。

お礼日時:2018/03/02 19:13

だから、ハイデッガーがこれを試みたのですが、失敗している、ということだけを指摘しました。


私は哲学に対しては常に批判的、否定的に見ているので、哲学のように、ものごとを定義することはしません。
学者が偉そうに立てた定義に足をひっかけて転ばすことを趣味にしています。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

うーん・・・

あまりいい趣味じゃないですねえ。哲学をする人は批判的、非難的ですが 自分では何も作り出さない

ハイデッカーが失敗したら後は総砕けなのでしょうか?

ハイデッカーがなんぼのもんじゃ? というとまたお叱りを受ける。

お礼日時:2018/03/02 19:10

西洋哲学の存在論は霊性(精神や魂)もその射程に入っています。


エネルギー云々の説明では、物理学に限定されすぎるきらいがあります。
魂をそのままエネルギーと解するのも、なんだか、安っぽいオカルトっぽくなるから安易だし。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ありがとう

魂は性質です。西洋哲学の霊性ってどういうのでしょうか?

性質を持たないエネルギーはないし、エネルギーのない性質もありません

この宇宙と人間の心もこのエネルギーと性質ですべて説明できます。

皆さんはそれに疑念を持つようですが ならば皆さんは「存在」をなんだと思っているのでしょうか?

お礼日時:2018/03/02 16:43

存在には常に属性がちきまとっている。


この属性を排除した形の存在自体は定義できなければ認識もできない。
ここに哲学史のアポリアがある。
存在論はハイデッガーも挫折しているし。
むしろ、密教や唯識などの仏教からのアプローチのほうが
面白いんじゃないだろうか。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

Thank you

属性あ付きまとうといえば物質にも属性は付きまとう

物質はエネルギーとその属性で出来ているでしょう。

従って 存在は性質を持つエネルギーと定義できないか?

と思うのですが。

お礼日時:2018/03/02 16:16

当初は、素朴に、認識出来るのが存在だと


されていました。

しかし、未発見の惑星は、認識出来ないけど
存在するのではないか。
それで、存在とは認識可能性を意味すると
定義されるようになりました。

認識可能性で総ての存在が説明出来るので
あれば、それは正しい説だ、といえるでしょう。


神は存在するか。

この存在には、概念的な存在と、純粋な存在が
あります。

純粋な存在とは、電脳やテレビが存在する、という
意味の存在です。
客観的に存在する。

概念的な存在とは、人間の頭の中にだけ存在する、
という意味の存在です。
国家もこの意味で存在します。
皆が信じると、それは純粋な、客観的な存在に
近づきます。

神も、この概念的存在です。
概念として、認識可能だからです。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

Thank you

認識できない存在はいくらでもあると思います。純粋な存在は地球上にも太陽系にも

銀河系でも宇宙中にあります。

認識が可能なのが存在とは言えませんと思いますが。

神もその人の頭の中に主体はあるのでしょう

オーマイ ガッです。

お礼日時:2018/03/02 16:33

事故に加えて他者からも認識可能な対象。

    • good
    • 0
この回答へのお礼

ありがとう

自己に限らず他者にも認識可能な対象 例えば? パソコン? TV? 自分? ストーブ? 犬? 神?

例えばなんでしょうか その対象というのは?

お礼日時:2018/03/01 20:49

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!