電子書籍の厳選無料作品が豊富!

第一次世界大戦では総力戦になり、ドイツも英仏も疲弊する中で、ドイツは1918年にソビエト連邦と単独講和を行い、東部戦線を終結させましたが、ドイツ軍が1918年にパリ陥落を成功させることは不可能だったのでしょうか?一時はパリ付近まで迫るほどドイツ軍は快進撃を見せましたが、戦力不足と補給が追い付かなくなってアメリカの参戦で終結となりました。もし仮にドイツなどが東部戦線をもう少し早く終わらせることが出来ていたらパリ陥落~史実よりも有利な講和という流れになったのでしょうか?

A 回答 (2件)

史実では


ロシア革命で成立したメンシェヴィキ政権によるケレンスキー攻勢が失敗し、逆にドイツ軍が西部戦線やイタリア戦線で確立した小部隊の突撃部隊による浸透作戦を使い、バルト海沿岸のリガで突破し
中欧同盟国側は短期間でウクライナ、バルト海沿岸、ベラルーシを制圧し、ロシアは単独講和に応じました

結果どうなったか
中欧同盟国側のオーストリア・ハンガリーやオスマンの戦意が落ちてしまったのです

なぜなら
オーストリア・ハンガリーやオスマンの主敵はあくまでもロシアであり、英仏ではないのです
ロシアが降伏同然の単独講和に応じたことにより
オーストリア・ハンガリーやオスマンに多数の死傷者と多額の戦費を出した戦争の継続に疑問を感じたのです

例え中欧同盟国側が史実より早くロシアを屈服させても同じようになるでしょう

むしろ西部戦線が東部戦線より早く終結した方が中欧同盟国に勝ち目があったでしょう

欲を言えば、中欧同盟国側が予測していなかったイギリスの参戦がなければ、グッと中欧同盟国側の勝利の確率は高くなったでしょう
(イギリスは露仏とは同盟より一段下がる協商関係であり、露仏同盟ほど強固でなかったため中欧同盟国側は最悪でもイギリスは参戦しないと見ていました)
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

お礼日時:2018/03/29 00:12

歴史は繰り返します。

ビスマルクは、正面突破をして普仏戦争に勝利し、パリでフランスの事実上の降伏を受け入れました。この時フランスは、機関銃の発明により、要塞線でのドイツ軍迎撃に自信を持っていたのです。第一次大戦に至るや、ドイツ軍は相変わらず正面突破を目指し、今度は逆に要塞線に釘ずけとなります。そしてイギリス軍がフランスの左翼戦線に参戦し、ドイツ軍は要塞線の迂回が出来なくなり、戦線は膠着するのです。

ロシアとは講和できたものの、アラビアでは「アラビアのロレンス」が活躍し、トルコはこちらの手当てに四苦八苦です。そして中心のドイツ本国では、軍需物資が入らなくなり、マッチさえ生産不能となります。今でも日本の「電子ライター」の発明を、人類最大の発明と称賛するドイツは、武器を含めあらゆる生活必需品が不足します。植民地からの輸送が止まった痛手は、ロシアとの講和では、まるで穴埋めできなかったのです。

パリに迫るなど全く縁遠い西部戦線でした。シュリーフェン作戦は、オランダベルギーを迂回する作戦ですが、この実施はWW2迄待たねばなりませんでした。米国の参戦は、愛嬌としか言いようのない参戦で、経験不足の一世代前の装備の米軍は、いきなり大損害を出します。WW1では、アメリカの参戦は、決定的なものでは無く、勝利の権利を担保するための犠牲だったのです。WW2は、要塞線を無視し迂回作戦が大成功だったのです。ダンケルクの英軍撤退で、フランスの左翼は、がら空きとなったのです。

WW1でルーデンドルフは、リュージュ要塞を攻略し、ベルギーになだれ込みますが、ここでイギリスの登場が有り、彼は東部戦線に転戦します。タンネンベルグでロシア軍に大勝し、西部戦線に転戦しますが、時すでに遅しです。彼が二人いたら、ドイツは勝っていたかも。さすがのルーデンドルフも、物資の不足で、春期攻勢はあだ花となったのです。そして彼がヒットラー誕生の要因の一つになったのは、歴史の皮肉です。
    • good
    • 0

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!