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自己肯定感が極端に低いことは自負しています。
客観的に自分を見て、あまりにも自分から大切にされてなさすぎて可哀想になり泣くことさえあります。
ただ、それが他人事ではなく自分自身に起きていることなのだと主観的に考え始めると、自己肯定感が低いが故に、こんな自分を大切にしてあげたいなどという気持ちは一切起きません。

最近よく、自分がなぜ生き続けているのか考えます。
そしていつもたどり着く答えは「死ぬと悲しんでくれてしまう人がいるから」です。
別に生きたいわけじゃない。
出来ることなら何もかも投げ出して死んでしまいたい。
やりたい事なんてもう今さらどうだっていい。
大事に思うものが増えれば増えるほど、生きるということが重荷になってつらくなる。
でも、それでも生き続けているのは、別に自分が可愛いからじゃない。
こんな自分なんかが身勝手に死んでしまって誰かに迷惑をかけること、そして何より、こんな自分のせいで誰かを悲しませてしまうのはおこがましいと、そう思うのです。

自分を客観視し、なんて悲しい人間なのだと思います。
自分が生き続ける理由にすら、自分の意思がないなんて。
生きたいと思えないならせめて、自分の意思で死を選ぶことが出来たらいいね、なんて他人事のように独り言を漏らす始末です。

可哀想で見ていられないのです。
どうか、誰かに愛されなくたっていい、せめて自分だけは自分の味方をしてあげて欲しい。
そうでないと、誰かに依存したり、愛に形を求めてしまったり、そうやって自分以外の誰かに迷惑をかけてしまう。
自分のような人間が人様に迷惑をかけたり鬱陶しく思わせてしまうなんてとんでもない。
…矛盾してきましたね。

自分という人間に本当に「意思」というものがあるのか不思議なのです。
誰かが悲しむから生きる。
生きなければいけないから食べる。
誰かが望むから。
何もかも、「誰か」の為であって、自分の望みではないのです。
その「誰かの為」に動くことが自分の正義や美徳であれば話は別ですが、特にそういう訳でもないのです。
ロボットがプログラム通りに動くそれと同じように思えます。

僕に。
私に。
自分の意思で動く日は来るのでしょうか。
せっかく人間として生まれてきたのに、このままでは自分という人間が不憫でなりません。
お節介なのでしょうか。

自分を大事にするということは、自分の気持ちに耳を傾けるということなのだと思っているのですが。
如何せんその「気持ち」というものが見えません。
自分が今悲しいのか、嬉しいのか、辛いのか、幸せなのか。
感情がない空っぽな状態です。

ここにこんな事を書いたのは、このままではいけないのだろうと思ったからです。
心の底では、自分の気持ちだの感情だのなんてものはどうだっていいのです。
ただなんとなく、このままではいけないような風潮を目にして、少しだけ気にかけてみただけなのです。

うまく文章に出来ませんが、少しでも誰かになにか伝われば、それだけでも意味があるような気がしながら今これを書いています。

自分はこれからどうしていけばいいのでしょうか。
どうしていくべきなのでしょうか。

A 回答 (4件)

私も同じ体質なのでよく分かりますが、そのように考えるときは大抵、「色々なことに意味を求めすぎ」です。



何のために生きているのか、ではなく、生きてるんだからやりたいことやっとくか、くらいに考えた方が良いです。

物事の真理を深く問い詰められる力は才能です。ですが、使い所を分けるべきです。貴方の探究心は学問や研究に対して思う存分使うべきであって、生きることそのものにできるだけ矛先を向けてはいけません。

世の中、下手に意味を見出さない方が結果的に真理に近付ける問題もあるのです。

多分あなたは頭の良い方で、何かをする前に先に想像力を働かせてしまうタイプだと思います。ただ、その想像力は大きな思い過ごしになることも多いです。あまり自分を過信せず、苦しいとき、分からなくなったときは、「意味は無いかもしれないけどとりあえずやってみる」という選択肢に逃げてみてください。すると新たな目線が開け、解けなかった問題が解けたりします。

要は、貴方にはまだその問題に答えを
出すだけの情報が足りてないんです。だから同じところでグルグルしてしまう。なら、まずは色々動かないと。

もしそうやってるうちに生きる理由に巡り会えたら、そのときは是非報告してくださいね。
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大前提として、あなたは今、イジメを受けていますか? 受けているなら、そのことを誰かに相談しましょう。



【概要】
あなたの悩みの原因は、「物事を漠然と捉えすぎていて、明確な目的がないこと」だと思います。

【詳細】
(1)自己肯定感が極端に低いことについて。
あなたは「学習性無力感」にさいなまれているような気がします。学習性無力感とは心理学の用語で、「獲得性絶望感」などとも言います。「自分ではどうすることもできないこと」(制御不可能性)を経験すると、身についてしまう感情のことです。この無力感は、経験したこと以外のことにも影響する上に、長期間持続します。つまり、ある経験のせいで、あらゆることに無力感を覚えます。

学習性無力感を無効化する(または、予防する)には、「自分でどうにかできるということ」(制御可能性)を経験することです。それによって希望感を学習し、無力感が薄れます。学習した希望感が無力感を上回れば、自分を肯定できるようになります。

そのためには例えば、趣味を持つのがいいです。特に主体的・能動的に頭や体を動かすものがいいです。趣味において、試行錯誤して、自分なりに物事を知ったり、上手くなったりしましょう。それが「制御可能性」を経験することになります。

そういう趣味がないのなら、TVを見たり小説を読んだりするのもいいです。ただし、その内容について人と話しましょう。話す相手がいないのなら、ネットで掲示板を探して、書き込んでみましょう。誰かが返事してくれれば、それだけで「制御可能性」を経験することになります。

(2)「死ぬと悲しんでくれてしまう人がいるから」について。
あなたは、そのことに気づいているだけでも、偉いです。で、あなたがそう思うのでしたら、考えを一歩進めて、「人に喜んでもらいたい」と思えるようになってほしいです。社会で生きていくということは、要するに「人に喜んでもらうこと」です(その対価としてお金を貰うこともあります)。ですが、あなたにはその技能が足りないのでしょう。これから何になりたいかを考え、そのために何をするべきかを考えましょう。

(3)勝手な想像。
あなたが小中校生で、特に女の子であるなら、あなたの自己肯定感の低さは漫画や小説の影響である可能性があります(「僕」と言っているので、男でしょうけど)。小中校生は見聞きしたものにたやすく影響され、染まりやすいです。漫画や小説の主人公は、内省的で、傷つきやすく、自信がない人が多いです。それは、そういう人物じゃないと物語を作れないからです。でも、あなたはそうした主人公の性格を真に受けてしまったのではないでしょうか。例えば、僕の知り合いに、小さい頃からBLや百合ものを多く読んできたせいで、自分もそういう性質があると信じ込んでいる人がいます。その人はまともな恋愛ができなくなりました。あなたも同様かもしれません。
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そういうことは自負しない。


自省することから始まるんだと思うので御座候。
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〉誰かが悲しむから生きる。



誰かを悲しませたくない、という気持ちは、あなたの優しさから生まれた「意志」です。
誰しもが、他者に依存し、愛し、愛され生きています。そうしなければ生きていけません。
あなたは優しい人です。
人を悲しませたくない。自分が関わって迷惑をかけたくない。

だから殻にこもる。
殻にこもって堂々巡りをしている。
自己憐憫。甘え。
外界に向かって働きかけないと何も生まれません。あなたは人に迷惑をかけることを恐れ、殻に閉じこもって、自己を憐れんでいるだけですよ。

所詮、人と関わることによってしか、自分自身は見えてこないのです。悲しさも。嬉しさも。
胸の空虚感を埋めてくれるのは、他者に必要とされた時です。
そのためには、迷惑をかけることを恐れず、働きかけるしかない。それが人の社会です。

自分を大切にする気が起きないなら、他者を大切にすればいい。他者を活かすために尽力すればいい。それができないなら、ただの自己憐憫です。
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