1. 哲学の普遍性なる太陽は沈んだと勝手に決め込み ぼくちゃんだけの
私的な――すてきなすてきな――夜の灯火を求めて蛾のごとく群れているの
は 誰だ?
2. ルサンチマンに手を焼いているなら 復讐をやればよいではないか。
敵を虫けらと思えば ポアしてもかまわない。その衝動をこそ失ってはいけ
ない――とお告げをのりたまう畏くも畏き神ディオニュソスのもとに なん
ぢら 悩める人間たちよ ひれ伏したまえ。・・・
3. アポロンの理性と感性と明るい日の光こそ糞くらえだ! なんぢらは
超人になりたまえ。・・・
4. ・・・という毒舌のもとに群がるのは いったいどこのどいつだ?
No.36
- 回答日時:
ディオニュソスはゼウスとセメレの子で、ヘラの怒りを買っている。
エジプト王のプローテウスはディオニュソスを向かい入れた。
プリュギアのキュベラでレアーに浄められ、秘教の儀を学ぶ。
このレアーはクロノスの妹でしょうか。
ご回答をありがとうございます。
アポロンも ゼウスとレトの子で ヘラの怒りを買いました。
ディオニュソスは トラキアと縁が深いとも言いますし ギリシャ
各地で そういった《秘教》の跡が見られるようだとも。
いづれにしても よくないですよ このカルトは。敵を持ってこ
れを何とかしよう(処理しよう)という目的だと分かっているので
すから。と思います。
No.35
- 回答日時:
自然のめぐみのありがたさ、人々の仕事に対する労りのない悪王に対して、ひとびとはデュオニソスに祈った
この悪王は人々の日々の労苦をわからず、愉しみを奪い、無理に収穫をさせるため、人々もブドウも土地も疲れ切っていたのではないでしょうか。
ご回答をありがとうございます。
★ 自然のめぐみのありがたさ、人々の仕事に対する労りのない悪王
に対して、ひとびとはデュオニソスに祈った
☆ 弱い者の味方というような意味でしょ?
それは ふと 呪術を用いる神なるひとに頼ろうという気になること
があるのでしょうね。
つまり 極論として言えば オウム真理教みたいなものです。
★ この悪王は人々の日々の労苦をわからず、愉しみを奪い、無理に
収穫をさせるため、人々もブドウも土地も疲れ切っていたのではない
でしょうか。
☆ あっ。それは どうですかね。
ペンテウス王にかんしては 呪術を用いて人びとをディテュランボス
にいざなうこのディオニュソスを 許可しなかったわけです。
ふつうの判断力をうしなわせる呪術のチカラを揮ったものと思われます。
No.34
- 回答日時:
アポロドーロスの『ギリシャ神話』の第三巻のⅤの部分にディオニューソスのことが書かれています。
ただ、わたしの持っているこの本は、『神々について』および『年代記』を書いたアポロドーロスと別の人のようです。
ご回答をありがとうございます。
アポロドーロスが手元にないので 次を参照しましたが ヰキぺの
記事は エウリピデスの作品内容であることを確認しました。
その最後のところで こうあります。:
▲( 呉茂一:『ギリシャ神話』 1969 ) ~~~~
〔殺したのは わが子ペンテウスであったと知って それは 酷い
ことですとうったえるアガヱ―に向かって〕 ディオニューソスは
冷然として
――だが神として生まれながら 御身らから 私は侮(あなど)
りを受けたのだ。
と言う。
(第三章第二節 ディオニューソス神とその眷属 p.169 )
~~~~~~~~~~~~
☆ つまり まさしくルサンチマンの成せるわざだと見られます。
それをニーチェは 持ち出してくるのですから 何をか言わんやで
す。
No.32ベストアンサー
- 回答日時:
むづかしー...限界かも、です。
。。でもここで疑問なのは、やはりディオニュソスが復讐していればニーチェもそれを容認しているということなのでしょうか?そうとは限らないという考えもありかも?...
ご回答をありがとうございます。
ええっとですね。ニーチェは その推論が論理的ではないと考えます。基本的に。
ですから もしニーチェの著作にあたって批判するとすれば たとえば 次のよ
うな質問をおこなって来ています。
【Q:ℚ1: 《神は死んだ》って言うけれど いつ・どのように死んだの?・・・】
【Q:ニーチェの《信仰 / 根本確信》!?】
【Q:《猛禽と仔羊》:ニーチェの道徳観】
それらから このいまの質問は 微妙にその批判の対象をずらしています。
つまり ニーチェ・マニアに向けてのものです。
たとえば:
△ ディオニュソス的なるもの;ディオニュソス的精神
☆ などという言い方を聞きますが むろんその内容をたたえているものと思わ
れます。
でしたら エウリピデスの描くものですが ディオニュソスとは一体どういう神
なのか? が問題になります。
そういう観点から この質問のやり取りをすすめて来ています。
ニーチェは じつはあとで この『悲劇の誕生』については 論証の仕方が成っ
ていなかったとみとめているはずです。出典の例示もとぼしく 整合性のある議
論ではなかったと。
もしそうなら――わたしの言い分ですが―― 絶版にすべきだった。こういう批
判を持ちます。
いやしくも学者あるいは哲学の徒であるなら そのように自己批判をして初めて
学問の道にいるとなります。
ごちゃごちゃしていますが こんな背景と魂胆とです。
No.31
- 回答日時:
ニーチェの復讐の容認とはどこからの引用ですか?彼は具体的にどの著書でそれについて述べていますか?私も哲学者ではなく聞きかじった程度なので初耳です。
ご回答をありがとうございます。
あらっぽい議論だったかも知れません。
次のようなわざをおこなったディオニュソスに賛歌をささげているという
点で:
★ ニーチェの復讐の容認
☆ をみちびきました。
▼ (ヰキぺ:バッコスの信女) ~~~
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%83 …
§ 2 あらすじ
アガウエーの息子、テーバイ王ペンテウスは、ディオニューソスの祭儀を淫ら
でいかがわしいものと決め付けてそれを行なわず、更にディオニューソスの怒
りを買った。ペンテウスの祖父であるカドモスと、テーバイの預言者テイレシ
アースはそれを諌めるが、ペンテウスは聞く耳を持たない。
ディオニューソスは、信女を率いる人間の指導者として姿を現し、ペンテウス
に捕縛される。
問答を続けるうち、ペンテウスは山で淫らな行為に耽っているであろう女達の
様子を見に行きたいという衝動を抑えきれなくなり、ディオニューソスに言わ
れるがまま、信女の格好をし、キタイローン山へと導かれる。
高い樹の上から女達を覗き見ているところで、ディオニューソスが女達に、覗
き見している者がいることを告げる。
アガウエーをはじめとする女達はディオニューソスに与えられた狂気のままに、
ペンテウスを獣だと思い込んだまま、素手で八つ裂きにして殺害する。
使者がその様子をカドモスに語り、直後にアガウエーは自らが狩り取った「獲
物」であるペンテウスの首を手に意気揚々とテーバイの町に戻る。アガウエー
は自らの力で獅子を狩ったとして息子にも見せようとペンテウスを呼ぶ。
しかし、そこでカドモスと話すうちにディオニューソスによる狂気が解け、自
分が殺したのが息子であることを自覚し、悲嘆にくれる。
~~~~~~~
☆ ディオニュソスの怒りが あらすじの最初の段落に出ています。
母セメレーの死とそれに対する侮辱に接して 怒りをあらわにし 復讐を遂げ
たのだと見られます。
つまり ディオニュソス賛歌は 狂喜乱舞の称揚だけではなく 復讐による人
殺しが 正当なものだという思想となっているのではないでしょうか。
No.30
- 回答日時:
この質問は私にとっては少し難関です。
要は、ルサンチマンは弱者の強者に対する妬みだから復讐すれば消失するためニーチェの運命愛は間違っているということですか?私はそうは思いません。なぜなら、ルサンチマンとは他者の問題ではなく、自分自身の無力からくる歯ぎしり(あのとき〜たら、〜れば)に起因しているため、運命愛によって充分に解決できると思います。それを行動に移すための哲学があればいいですが、哲学とは一つの思想であるためそれで最大限だとは思います。例としては、連日ニュースになっている殺人鬼に対して、いつか捕まる という根拠のない決めつけ(無力からくる歯ぎしり)をニーチェは自分自身の弱さであると考え、これは取り返しのつかない事実を肯定できていないということに起因しているため、むしろ、その事実を 〜でなければならなかった〜がよかった と考えることによって未来の幸福(や不幸)を受け入れることができけど、それは表面的ではなくそれを受けて本当の意味で自分自身が成長し「力」をつけていく必要があり(そうでなければただの肯定論者であって、これから起こる未知に対処する力が弱いため自分のこれからの幸福を信じる力が弱くなる(=不幸))、これは力への意志を持ち続けることによって可能とされています。具体的には、あの事件は起きなければならなかった→二度とあのような事件が起きないような政策を求め続ける、むしろ、このためにあの事件は起きた。自分自身の力をつけることが結果的に最大限に過去の良くないことを愛した(受け入れた)ということになる。これがルサンチマンがあれば、あのときあの事件が起きなければ今頃私は...(過去にとらわれる)→何をやってもこの不幸からは抜け出せない→殺された弟の仇のために出所後に殺すとして→過去の不幸そのものは未だ受け入れられていない、さらに、これからの不幸に対処する力をこの間に全くつけていなかった(自分自身が成長していない)。ご回答をありがとうございます。
★ この質問は私にとっては少し難関です。
☆ 一生のあいだをぜんぶまとめてしまっているので 強行軍ではあります。
★ 要は、ルサンチマンは弱者の強者に対する妬みだから復讐すれば消失す
るためニーチェの運命愛は間違っているということですか?
☆ そうですね。ディオニュソスなる神は 祭儀を見ていたペンテウスを信
女たちに殺させました。ペンテウスの母親も参加しました。そういう人殺し
の容認または教唆に 元凶があるという一点です。
★ 私はそうは思いません。なぜなら、ルサンチマンとは他者の問題ではな
く、自分自身の無力からくる歯ぎしり(あのとき〜たら、〜れば)に起因して
いるため、運命愛によって充分に解決できると思います。
☆ 敵に対する復讐を認容していて 復讐による人殺しが解決方法だと言っ
ているはずです。
ルサンチマンがあるかないか・どう定義するかに関係なく 殺人の容認が問
題だと思います。復讐ですから 単純に考えて実際にはルサンチマンが《高
貴な人びと》にあっても 関係しているであろうと。
★ 〔☆ ご議論を端折りますが〕 具体的には、あの事件は起きなければ
ならなかった→二度とあのような事件が起きないような政策を求め続ける、
むしろ、このためにあの事件は起きた。自分自身の力をつけることが結果的
に最大限に過去の良くないことを愛した(受け入れた)ということになる。
★ これがルサンチマンがあれば、あのときあの事件が起きなければ今頃私
は...(過去にとらわれる)→何をやってもこの不幸からは抜け出せない→殺さ
れた弟の仇のために出所後に殺すとして→過去の不幸そのものは未だ受け入
れられていない、さらに、これからの不幸に対処する力をこの間に全くつけ
ていなかった(自分自身が成長していない)。
☆ もしこのルサンチマンの件にかんして人間の成長があるとするならそれ
は 《復讐を人間ならぬ絶対者(神なら神)にゆだねる》こと これが い
ちばんであり全部だと考えます。四の五を言わずにです。
高貴と卑賎 強者と弱者といった二項形式の枠組みをほどこし あるいは超
人といったわけの分からない視点を持ち出すから さほどのことでもない問
題がこじれて長引くのではないか。――と考えます。
No.28
- 回答日時:
日本的なお祭りとしてのものと、バブル的な遊びは少し違うのかも知れませんが、
日本的なお祭りとしてのイベントで、男女が知り合う場を設けているばあい、これは共同体的なお互いの顔をよく知っているという間柄で行われ、バブル的な遊びはそれを超えていて、見ず知らずの間柄でワンナイトが行われるばあいがあるように思います。
バッカスたちにとっては、まだお互いに分かり合っているあいだがらで行われている儀式と言えるでしょうか。
ご回答をありがとうございます。
★ 日本的なお祭りとしてのイベントで、男女が知り合う場を設けている
ばあい、これは共同体的なお互いの顔をよく知っているという間柄で行わ
れ、バブル的な遊びはそれを超えていて、見ず知らずの間柄でワンナイト
が行われるばあいがあるように思います。
☆ 万葉集に《嬥歌(かがひ) あるいは 歌垣(うたがき)》が伝えら
れていますね。
▼ (ヰキぺ:歌垣)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%8C%E5%9E%A3
☆ コンパですね。
ですから バッカスの狂喜乱舞は 敵に対して復讐を果たすという要素も
が 入っていますので 何と言ってよいのか。・・・
No.27
- 回答日時:
お酒を飲むと、普段決められている行動や考え方から逸脱するようなものを感じます。
ソクラテスさんの病気は、一種のてんかんのようなものだったのではないかと言われているようですが、なにかしらの病気をもっているひとは、およそなんの障害もなく生きているひとからは、なにか特別な神からの授かりものとして、まわりのひともサポートしていたのかもしれません。
ブドウの汁を保管していて、長くとっておきすぎていたブドウ汁を飲んでみたとき、通常であったひとたちがなにか得体のしれないものを得たように思ったのかも知れません。
ご回答をありがとうございます。
ディオニュソスの祭儀は お酒の神(=バッカス)でもありますから
いわゆるオルギア( orgy )が メインなものです。
忘我境に出て 人間性を取り戻す(?)と言うんでしょう。
このディオニュソス賛歌をうたったら 多くの哲学者たちも その合
唱につらなった。のですから いったいどうなっているのかと思いま
す。
★ なにかしらの病気をもっているひとは、およそなんの障害もなく
生きているひとからは、なにか特別な神からの授かりものとして、ま
わりのひともサポートしていたのかもしれません。
☆ これは その昔の実際であったのでしょう。よく言われます。
《 silly 》という言葉は その昔には 《至福》を意味していた。
▲ ( weblio: silly ) ~~~~~
https://ejje.weblio.jp/content/silly
【語源】 古期英語「幸せな」の意; その後「無邪気な」→「愚かな」
に変化した; 日本語の「おめでたい」を参照
▼ ( EtymologyOnlineDictionary: silly )~~~~~
https://www.etymonline.com/word/silly
The word's considerable sense development moved
from "happy"
to "blessed"
to "pious,"
to "innocent" (c. 1200),
to "harmless,"
to "pitiable" (late 13c.),
"weak" (c. 1300),
to "feeble in mind, lacking in reason, foolish" (1570s).
~~~~~~~~~~
☆ つまり 《神聖な》という意味を帯びていた。つまり:
★ なにか特別な神からの授かりもの
☆ を言っていたようです。
お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!
似たような質問が見つかりました
- 哲学 哲学の普遍性なる太陽は沈んだと決め込み 私的な夜の灯火を求めて蛾のごとく群れているのは 誰だ? 4 2022/07/30 04:55
- 哲学 《人は言葉を話す》という普遍性とは 神の普遍性はわけが違う 12 2022/04/27 17:42
- 哲学 ヨリ・イリ・ヨセなる知性の区分からインタムライズム 1 2023/05/03 01:05
- 哲学 Gooにおける哲学とAIにおける哲学 4 2023/03/16 09:27
- 哲学 キリストは勝手に人間イエスとなり 磔に遭った――ここに チカラが・・・ 1 2023/04/12 04:34
- 日本語 普遍・特殊・個別をハガの違いに適用しようとするのは無理筋 139 2022/11/17 19:59
- 哲学 カルト宗教の批判は 成り立ちませんか? 129 2022/10/26 05:12
- 哲学 一般および個別絶対性理論 ならびに 特殊絶対性仮説 または 宗教への絶対批判 1 2023/04/18 13:41
- 哲学 カルトに憤りを込めて:一般および個別絶対性理論 ならびに 特殊絶対性仮説 または 宗教への絶対批判 4 2022/09/06 14:38
- 哲学 一般および個別絶対性理論 ならびに 特殊絶対性仮説 または 宗教への絶対批判 7 2023/03/13 04:59
おすすめ情報
デイリーランキングこのカテゴリの人気デイリーQ&Aランキング
マンスリーランキングこのカテゴリの人気マンスリーQ&Aランキング
-
「私」と「この私」
-
即効で文章の暗記のしかた 覚え方
-
三回忌法要で詠むお経の種類を...
-
「構制」とは何ですか?
-
理趣経には、どんなことが書か...
-
絶対的な考えと、相対的は考え...
-
お墓参りで読経するお経はなに...
-
『身近な哲学』という題で
-
あなたは何に人生を懸けたので...
-
哲学者のプロとアマの違いは何...
-
日本の老人はなぜあほとばかと...
-
人はエレベーターに乗るとなぜ...
-
祈るより大事なこととは
-
哲学と文学の違いを教えていた...
-
大物になる人は変わった人が多...
-
写経の願文
-
ウシャニパッド哲学 ~梵我一...
-
哲学とは 交通整理である
-
納骨袋に般若心経を書きたいの...
-
哲学とは何か
おすすめ情報
№5つづき
★ 貴方は強すぎる、
その毒舌に近い正論で何人の自称 哲学の徒
達を、敗戦させてきたか。
☆ あとの者が先になり 先の者があとになります。
★ 私は中庸に、"それもあるかもしれない"
☆ もう一皮 心の明けを!
★ 時に敗北も含めて
☆ わたしは いつも 負けていますよ。怒らせるだけだとしたら。
★ 『くっ、今回もまた負けた!
しかし、次こそ、
勝つ!』
☆ 別に勝とうとは思っていない。推論の間違いなさを問い求めるのみ。
★ 良薬口に苦し
☆ これですよ わたしの書く文章は。
★ 私は神聖騎士団 クラウソラスを創立したに過ぎません。(光の剣)
☆ そうですか。
★ ゆかりのさん、
☆ どういう意味?
★ 毒舌は治しましょう。
☆ 文体は そんなに変わりません。