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ホモサピエンスはどの経路で日本に来たのか?
縄文時代樺太から南下した部族(アイヌ語族)と、台湾から沖縄から鹿児島「上野原遺跡」しかし北上した縄文人は鬼界アカホヤ噴火で絶滅。
上野原遺跡からは不思議な事に弥生時代の壺も出土!
では弥生人はどこから日本に来たのですか?
トバのボトルネックを考慮してお願いします。

A 回答 (1件)

なにを考えて質問されているのかがわかりませんが、現代人も弥生人も縄文人もホモサピエンスです。

ロシア人も、インド人もホモサピエンスです。最近だとアメリカやヨーロッパから直接に日本列島に移住してくる人もいます。1000年以上も以前だと直接太平洋を渡るのはまず無理ですが、それでも、樺太などの方向から日本列島へ、朝鮮半島から日本列島へ、台湾から日本列島へ、中国南部やフィリピン周辺から日本列島へという多彩な多くの経路で列島にきたでしょう。海路は陸路よりも移動が容易という面もあるから、列島のどこかに到着すれば、あとはあらゆる方向に移動し、また河川にそって内陸にも移動したでしょう。 旧石器時代には、ホモサピエンスでない人類が(たぶん主として北海道方面から)列島全域に広がったのですから、移動性がさらに高まったホモサピエンスにとってはどの経路などの限定はなくて散乱するようにすべての方向からあらゆる方向に進んだのです。 縄文早期の豆粒文土器や隆起線文土器でもわかるように散乱拡散は短期間に広域になされるのであって、ある地点にだけ縄文人が住み着いているわけではないです。
鬼界アカホヤの噴火や火山灰などで自然環境が激変し、生物相が変わっただけでなくて、人間の社会生活が激変し人口もおそらく激減したので文化は変わります。鬼界アカホヤの噴火や火山灰などで自然環境が激変し列島にその時点で住んでいた人数が激減したあとでは、朝鮮半島や北方あるいは南方から次々と新しく移住してくる人数と列島にその時点で住んでいた人数の比率は大きく違って、次々と新しく移住してきた人々の影響も大きかったでしょうが、列島に前から住んでいたいた人々の社会も自然環境が激変してしまえば文化が大きく変わるのは当たり前です。 血統的なことで言うなら、「縄文人は鬼界アカホヤ噴火で絶滅」なんてことはありません。 九州のほぼ全域に分布のみられる轟A式土器は鬼界アカホヤ噴火の影響によって断絶することはなく、九州レベルでみれば轟A式系統の土器を製作し使用する人間の営みは継続したと考えるしかないのです。大隅諸島や薩摩半島、大隅半島、南九州と地域を限定すれば比較的長期間人間社会らしきものがなかったという事態になってはいたものの、「縄文人が絶滅」なんて、なにを考えているのかわかりません。

> 上野原遺跡からは不思議な事に弥生時代の壺も出土! 
上野原遺跡には弥生時代の住居遺跡もあります。 出土した7500年前の壺型土器は弥生時代の土器ではないです。出土した7500年前の壺型土器は用途も地中に穴を掘り埋めて火を使う祭祀用の特殊なものらしいですが、南九州では結構出土しています。http://www.jomon-no-mori.jp/jimages/uenohara/twi … 「上野原遺跡からは不思議な事に弥生時代の壺も出土」なんて、なにを考えているのかわかりません。

> では弥生人はどこから日本に来たのですか?
弥生人ってどんなのをイメージしているのです。 webサイトにも、なにを弥生人と呼ぶのかがいろいろ書かれています。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%A5%E7%94%9F … 

> トバのボトルネックを考慮してお願いします。
なにを考えているのですか。 時代も、規模も、影響も全く違うでしょう。 応仁の乱、江戸の大火、昭和の空襲で多数の人が死んでも、遺伝子の多様性が変わったように観測されるというようなことはないのと同じです。 人間というのはかなり短期間に拡散するので、広範囲でみた遺伝子の分布確率が時系列で急激に変わるような影響を及ぼすイベントというのはまず起きません。
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