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最近、古代日本史について、学校時代に捏造された歴史を刷り込まれていることに気づきました。
歴史書などを調べて、弥生時代から大和時代ぐらいまで、古代日本と古代朝鮮とは密接で平和的な交流があったと確信するに至りました。
 その際、朝鮮半島から古代日本に最初に移住してきた人々は、櫓漕ぎ船を使ったのではないかと思いつきました。
 しかし、いくつかの歴史書を見ても私のような視点が見当たらないので、ご存知の方がいたら、ご教示していただきたくて質問しました。
 なお、遣唐使初期まで、朝鮮半島と日本との行き来は、壱岐・対馬を経由した島伝いだったことは、既存の歴史書でも確定しています。

櫓漕ぎ船については、以下の動画サイトが参考になります。


以上、よろしくお願いします。

質問者からの補足コメント

  • 回答していただいた皆様、ありがとうございました。
    伝統的な日本の櫓漕ぎの和船を体験したこともない方々が、知識だけで否定されていることに少々驚きました。これが歴史学の限界なのかもしれないと思いました。
     歴史に興味ある方は、古代においてどこから伝来したのかということに関心はあっても、どうやって、ということにはあまり興味ないこともわかりました。
    おつきあい、いただきありがとうございました。

      補足日時:2018/08/07 07:13

A 回答 (6件)

わたしの、見たのでは、5000年前まで、朝鮮半島は無人だったとありました。


その頃から、前方後円墳、ヒスイなど、出土してきたそうです。
これは、考古学で証明されています。(韓国人は認めませんが)

つまり、縄文人が、海を渡り、増えて、百済をつくったと聞きました。
朝鮮半島の南は、任那という日本人の出先機関がありましたよね。
新羅とシナの連合軍にせめられ、日本に帰ってきた、残された男は殺され、女は残り、北からきた民族と混血、それが今の韓国人だといいます。

新羅も百済も倭国に朝貢し人質を差し出したと言ってます。新羅の四代目の王は、兵庫県の人だったと。
日本人は海洋民族です、ムー大陸からきたといいます。そうした技術はあったのではないですか。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
貴方の回答が、私の言う捏造された古代日本史のひとつのような気がします。貴方が言われている記述のいくつかは、定説、すなわち多数派の主張でも否定されていることがあるようです。

お礼日時:2018/08/07 07:12

あなたの質問は矛盾していますよ。


質問文に『密接で平和的な交流』と書かれていますよね。
それをするためには、命がけの航海ではなくて、高い確率で戻って来られるだけの航海技術が必要です。

朝鮮半島から日本に渡来って、それ最初は単なる命がけの片道切符じゃないですか。
また遺跡発掘の研究成果により、朝鮮半島からの渡来人よりも台湾からの渡来人の方が早かったようですよ。
彼らは櫓漕ぎ船で渡来したと言われています。
まぁ片道切符ですけど。

そして貴方は古代、古代と連呼していますけれど、具体的に西暦何年を古代と言っているんですか?
紹介したサイトに書かれているように、弥生時代後期には東アジア地域に帆船が存在したわけです。
弥生時代は古代に含まれるでしょう?
あなたは、あなた一人にしか通用しない『古代』を勝手に定義しているのですか?

『櫓漕ぎ船で渡ったに違いない』という自説、これまでの定説とは異なる自説に自惚れ過ぎて、客観的思考を見失っていませんか?
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この回答へのお礼

再度の回答ありがとうございます。
私が櫓漕ぎ船にこだわっているように、貴方もこの時代の帆船にこだわっていてるようです。こだわること、大事です。お互い、この時代の朝鮮半島と日本列島の往来に自説の船が使われた科学的な証跡を求めて頑張りましょう。

お礼日時:2018/08/07 07:11

>古代日本と古代朝鮮とは密接で平和的な交流があったと確信するに至りました。


そうですよね。これは常識でしょう。
今更ながら、「確信するにいたりました」とは・・・。
「櫓漕ぎ船」で果たして海を渡れるかどうかはわかりません。実験してみて下さい。
またのレポートを待っています。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
ポイントは櫓漕ぎ船で海を渡れたのかどうかなんですが、絶対的に言えることは、同様な大きさのオール船でf外洋は渡れないということです。理由は簡単で、疲れるからです。
古代船なみはやの実験レポートを見ればイメージしていただけると思います。

お礼日時:2018/07/30 00:31

朝鮮人と日本人に、ミクロネシア人に匹敵する航海能力があったか。


これがその説を左右します。

もしあったのなら、画像のような小さい船でも十分行き来できたと思います。
対馬海峡は外洋とはいえ、ミクロネシア人が渡ったと思われる黒潮の比ではないからです。
ただし画像のような小舟では、荷物を運ぶことはできないでしょう。

なかったのなら、遣隋使、遣唐使のように、大型の帆船に頼ることになります。


船の残骸が発見されれば、一気に解明が進むと思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
古墳時代までは帆船の操船技術はなかったと思って良いと思います。

お礼日時:2018/07/30 00:29
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
朝鮮半島から古代日本に最初に移住してきた時代は、既存の歴史書では弥生時代ごろのようですので、この時代に東アジアに帆船はなく、操船技術もありませんでした。

お礼日時:2018/07/30 00:29

>古代日本と古代朝鮮とは密接で平和的な交流があったと確信するに至りました。


ねつ造もなにも、これは常識です。

ただ学校ではそこまで手が回らないだけです。
例えば中世、長野の秦氏は有力な氏族です。
それくらい古来から日本に入ってきている民族です。
それに、朝鮮どころかインドやペルシャとも交流がありましたし…。

が、学校教育というのは「全体をザックリ教わる場所」でしかありません。
だからこそ網野義彦の「日本の歴史をよみなおす」のような本が今でも根強いのです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
質問以外の箇所に反応されていることにも、常識と言われていることにも、驚きました。
私の記憶では、大陸との交流としか教わっておらず、そこから朝鮮半島との交流をイメージすることは出来ませんでした。

お礼日時:2018/07/30 00:29

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