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王国と帝国の違い

A 回答 (4件)

王国は「王」(king)が統治する国家


帝国は「皇帝」(Emperor)が支配する国家。

複数の国家、地域、民族を支配する国家を「帝国」と呼びます
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お礼日時:2018/08/05 18:35

王国と帝国の違いは2種類あります。



①王と帝による違い
その国の支配者が「王様」なのか「皇帝」なのかによって、王国と呼ぶか帝国と呼ぶかが変わってきます。

このとき王様と帝王には以下の違いがあります。
・王様は国家の支配権(軍事指揮権・行政統制権)を持つが祭祀宗教権は持たない
・帝王は祭祀宗教権も含めてすべての国歌支配権を持つ

ヨーロッパにおいて「皇帝」の始まりはローマ皇帝ですが、ローマは元々民主主義(元老院政)で一人の個人に権力を集中させるために「行政統制権・軍事指揮権」を一人に集める必要が生じました。ただ、この状態だと「王」にしかならず、ローマは以前いた「王」を追い出した「王様嫌いの国」だったので、自分の身分を保証するために当時終身役職だった「宗教祭祀権者」の身分も合わせて持つようにしました。
当時のローマでは、多神教で宗教祭祀も「選挙で選ばれた個人が死ぬまでその役に付く」というものだったからです。

これにより、ローマでは「軍事・行政・宗教」の3つを一人で持つ支配者を「皇帝」と呼ぶようになり、ローマ崩壊後宗教祭祀権がローマ皇帝に移ると、多くの小国が「王として認めてほしい」とローマ教皇に申し出るようになり、各国の王は「軍事指揮権・行政統制権」を「神(ローマ教皇)に認めてもらったから自分がこの国の支配者」と言うようになったのです。

中国では秦の始皇帝が、それまで儒学者が行っていた先祖祭礼を「自分で行う」ようにしました。それまでは中国には王国がたくさんありましたが、どこの国でも王の権限は「軍事・行政」だけで宗教権は儒学者が握っていたのです。

「儒学者が国家に2重権力を作りだして、国家の安定を損ねる」と考えた始皇帝によって、儒学者から自分に宗教祭祀権(先祖祭祀)を移して軍事・行政・宗教の三権を始めて一人で握ったから「始皇帝」とよばれるのです。

ローマの皇帝と中国皇帝は政治のメカニズムがちがいますが、どちらも「軍事・行政・宗教」の3権を一人で握っていることは同じなので、エンペラー=皇帝と翻訳されるようになりました。

現在、日本の天皇だけがエンペラーと訳されるのは、天皇が日本の宗教祭祀権をもっていて(大嘗祭などを執り行うのは天皇)、軍事と行政は立憲君主制で民主主義に委託しているだけだからです。日本は民主主義ですが、法律などは「天皇御璽」がないと発効できないため、理論上も「天皇は国のオーナー」であるといえます。

②帝国主義国家と王国の違い

現在の日本の天皇は「エンペラー」ではありますが「日本帝国」とはいいません。これは日本が敗戦したからでもありますが、それ以上に「植民地主義=帝国主義」という考え方があるからです。

これも起源はローマにあり、ローマは元々のイタリア半島から出て、ヨーロッパのほぼ全部と北アフリカを支配したのですが、この時に本国・ローマの属州・皇帝領に分けて統治したやり方がのちのイギリス帝国などによる植民地支配の基礎になっています。

西洋の植民地主義時代に「植民地を持つ国家」が『帝国』とよばれたので、当時、朝鮮や台湾さらに一次大戦後には南洋州も委託統治していた日本も「帝国」と呼ばれたのです。

①と②は基本的に「ローマの統治の方式」から出来た言葉ですが、①と②は関連性がないので、ごちゃまぜに理解されていて、だから「日本は敗戦後植民地などを持たないから、天皇がエンペラーなのはおかしい」という論調が出ることがあります。

帝国主義的な国家と、その国のオーナーである人物の統治権が宗教祭祀権を含むかどうかは別の話なので、イギリスは帝国と今でもいえる(カナダやオーストラリアなどはいまだにイギリス国王を元首としている)のに、イギリス王(現女王)はエンペラーとは呼ばれません。

なぜならイギリスでは宗教祭祀権をイギリス国教会が持っていて、国王が王位に就く時には「祭祀長によって戴冠される(神によって許可される)」儀式が必要だからです。

日本の天皇は、大嘗祭を自分で取り仕切ることによって、先祖神からの許可を自分でもらって天皇に践祚されるので、エンペラーなのですが、現在の日本は植民地などを持たないので帝国ではない、ということになります。
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ありがとうございます!

お礼日時:2018/08/06 14:24

皇帝が支配する国を帝国、王が支配する国を王国といいます。

王とは領主のことで、皇帝とは王を統制する人のことを言います。つまり、皇帝が直接支配している国が帝国、皇帝の支配圏ではあるが、帝国の領土ではない土地のうち、王が統治する国が王国です。まぁその意味から外れるところもありますが
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この回答へのお礼

ありがとうございます!

お礼日時:2018/08/05 18:35

帝国と王国は同じです。


帝国を細かく分ければ王国、公国、大公国、首長国などに分かれます。
ようするに皇帝(王)が君主として統治する国を帝国(王国)といいます。

日本やイギリスのように憲法で君主(王・皇帝・天皇)の権限が制限されている国を立憲君主国と言います。
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この回答へのお礼

ありがとうございます!

お礼日時:2018/08/05 18:35

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Q帝国と王国の違いについて

帝国と王国の違いについて教えてください。

帝国の定義としては「ある特定の民族が他の民族や領土の支配をともなって統治している場合」という記述がありました。

歴史を見るとナポレオンは自らを皇帝と称しましたが、この時代のフランスは帝国ですか?

また明治維新以後敗戦までの日本は「大日本帝国」ですが、これは台湾や朝鮮などを支配していたからでしょうか?

ドイツは小王国に分かれていたのが統一されてドイツ皇帝
Kaizerを戴きましたが、ワイマール共和国が成立するまでは帝国だったと言えますか?

中国は明帝国、清帝国など、周辺の諸民族を柵封し、支配していたので帝国ですよね。

しかし、オランダ、スペイン、ポルトガルなどは植民地をもって多民族を支配していたのに、王国でした。

はっきりとした違いはあるのでしょうか。

Aベストアンサー

本来は他の方もおっしゃるとおり、皇帝の称号はある文明・文化圏における最高の君主が名乗るものです。
古代ペルシャの「諸王の王」という表現が一番ぴったり来るでしょうか。

××帝国、という言い方はかなりあいまいな基準によります。
皇帝を擁する大国を帝国と呼ぶのはもちろんで、オーストリア帝国とかムガル帝国、歴代の中国統一王朝などはそれにふさわしいものですが、これが中央アフリカ帝国となると歴史も由緒も???なところがあります。
このほかにイギリスやスペインのように、帝国主義政策を取った国とその植民地をあわせて帝国と呼ぶことがあります。この場合、アメリカ合衆国やソビエト連邦のように君主国ですらない国についても帝国と呼ばれることがあります。

西アジア~南アジアではペルシャ帝国崩壊後、イスラム教のカリフ(後にスルタン)が皇帝と訳されるようになります。

ヨーロッパ圏ではローマ皇帝の後継を称する君主が名乗るものでした。エンペラーだのカイゼルだの、という称号はそれぞれ古代ローマのコンスルが有していた最高指揮権(インペリウム)、及びカエサルの名に由来します。ローマ帝国末期の東西分裂などのため皇帝位は大雑把に西系(ローマ教皇により戴冠)と東系(ビザンツ皇帝→ロシア皇帝)に分かれますから、皇帝が複数いる事態が異常とは思われていなかったようですが、相応の由緒と実質がないと他国が認めませんでした(ロシアの君主が皇帝となるのは1721年のことです)。

スペインが皇帝位を名乗らなかったのは、すでに本家オーストリアのハプスブルク家が神聖ローマ皇帝位を名乗っており、分家たるスペイン・ハプスブルク家が皇帝を名乗るわけにはいかなかった、という事情があります。
ポルトガルやイギリス・フランスといった他の王家が皇帝位を名乗れなかったのも同様の理由によります。

ナポレオン1世もローマ教皇から戴冠を受ける、という形式を整えた点ではこのラインに属しますが、あまりにもなりあがりぶりが露骨だったため評判はよろしくありません。また、神聖ローマ皇帝がありながら皇帝を名乗ったため、皇帝位の価値を下げた、とする見方もあります。いずれにせよ、まずありえないことですがボナパルト家の人間がフランスの君主になった場合、その人物はフランス皇帝を名乗ることになるでしょう。

オーストリアはナポレオン1世による神聖ローマ帝国解体後も皇帝位を維持しました。ただしオーストリア皇帝、ということになったため、結果的にプロイセンが統一したドイツが、我こそは神聖ローマ帝国の後継国家なり、としてドイツ皇帝を名乗る余地を与えています。

東アジアでは始皇帝が皇帝という称号を発明しました。それまで分裂していた中原諸国を統一した、という点で、王という称号に満足せず、伝説の三皇五帝からとって皇帝と名乗ったとされます。
本来は天帝から天命を受けた者が皇帝として地上を支配する、という建前なので、皇帝が乱立する分裂状態は中華文明としては異常事態と考えられていました。
中央アジアの遊牧民たちのハーン位も皇帝と訳される場合があるのは、中華皇帝が大ハーンを名乗ったことがあるためです。唐のように遊牧民への威圧から皇帝がハーンを名乗ることもあれば、元のように遊牧民が中国を占領して皇帝になる場合もあります。

日本はまあ、夜郎自大、という見方もありますが、大陸及び半島に対しては欧州の海に比べ格段に波の荒い海で隔てられた別個の文化圏と見るべきでしょう。なお、天皇の称号の由来はどうやらかの則天武后によるようです。
今となっては日本の天皇は世界唯一の皇帝になってしまいました。

大韓帝国は日清戦争により清の冊封体制から外れ独立国となったときに李朝の王が皇帝を称し、皇帝と名乗るにはいささか弱小でしたが、独立した君主国であることを明示しました。

エチオピアの君主は15世紀ころから皇帝を名乗っていましたが、1974年に社会主義クーデタにより最後の皇帝ハイレ・セラシエ1世が廃位されました。

中央アフリカでは1976年のクーデターでボカサが政権を掌握、77年に壮大な戴冠式を挙行して皇帝を名乗りましたが79年に失脚しました。数々の残虐行為で何かと物議を醸した人物で、大統領と名乗っておけば十分なところを皇帝と称し、戴冠式まで挙げたのは彼の虚栄心のなせる業と思われます。

以下蛇足。
 奇人変人の類ですが、アメリカ合衆国皇帝にしてメキシコの護国卿ノートン1世、なんて御仁もいました。よーするに南北戦争前後、19世紀後半のサンフランシスコにいた浮浪者なんですが、なぜかアメリカ皇帝を名乗った人物です。当時のサンフランシスコ市民も相応の敬意を払って彼の発行した国債を引き受け、税を納め(商店主に月50セント)、汽車などの交通費は請求せず、衣装や靴が傷んだら洋品店が無料で代わりの品を献上(?)したとか。1880年に死去した際、彼の葬儀には1万人以上の市民が参列したといいますから立派なものです。

本来は他の方もおっしゃるとおり、皇帝の称号はある文明・文化圏における最高の君主が名乗るものです。
古代ペルシャの「諸王の王」という表現が一番ぴったり来るでしょうか。

××帝国、という言い方はかなりあいまいな基準によります。
皇帝を擁する大国を帝国と呼ぶのはもちろんで、オーストリア帝国とかムガル帝国、歴代の中国統一王朝などはそれにふさわしいものですが、これが中央アフリカ帝国となると歴史も由緒も???なところがあります。
このほかにイギリスやスペインのように、帝国主義政策を取...続きを読む


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