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『この忙しい世の中に、運慶なんぞどうでも好いと思つたから、浮かない先生をつかまへて、トルストイとか、ドストエフスキイとか云ふ名前のはいる、六づかしい議論を少しやつた。』

始めのところには、誰が「この忙しい世の中に、運慶なんぞどうでも好い」という感じがありますか。語りですか。それとも語り手は「漱石」が「この忙しい。。。。好い」という感じがあると思うという状態ですか。

『久しぶりに漱石先生の所へ行つたら、先生は書斎のまん中に坐つて、腕組みをしながら、何か考へてゐた。「先生、どうしました」と云ふと「今、護国寺の三門で、運慶が仁王を刻んでゐるのを見て来た所だよ」と云ふ返事があつた。この忙しい世の中に、運慶なんぞどうでも好いと思つたから、浮かない先生をつかまへて、トルストイとか、ドストエフスキイとか云ふ名前のはいる、六づかしい議論を少しやつた。それから先生の所を出て、元の江戸川の終点から、電車に乗つた。』

A 回答 (2件)

>誰が「この忙しい世の中に、運慶なんぞどうでも好い」という感じがありますか。


語り手龍之介です。
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勝手に解釈してみました。


ちょっと極端かもしれません。

「漱石先生は、仁王像を刻んだ運慶に思いを巡らせていたが、せいぜい彫刻家だろう、忙しい世の中に熟慮に値するとは思えなかった。だから、私は、そんなに考えこむのならば、むしろトルストイやドストエフスキーについて、考えてみてはいかがだろうか、と思い、話題を持ち出して、議論してみた。」
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