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教育哲学とは要するにどういうことを学ぶものなのでしょうか?
また「なぜ義務教育が必要なのか」を考えることも教育哲学と言えるのでしょうか?

A 回答 (7件)

教育哲学とは要するにどういうことを学ぶものなのでしょうか?


   ↑
要するに、教育って何?
というのが教育哲学です。



「なぜ義務教育が必要なのか」を考えることも教育哲学と
言えるのでしょうか?
  ↑
ハイ、教育哲学の一つです。



(1)教育はだれにこそ与えられるべきか。
つまり,教育の機会をどのように配分するのが公平か。
(2)よい教育というとき,その「よさ」は何できめられるのか。
だれがきめることができるのか。
(3)ことなる文化や宗教や信条をもつ人びとに,
おなじ価値を教えることができるか。
そのときの「おなじ」とはどういう意味か。
(4)正しいことを強制的に教え込むことはわるいことか。
目的は方法を正当化してくれるか。
(5)能力別に教えることは差別になるのか。
「能力別編成」と「個性を生かす指導」との差は何か。
(6)変動の激しい社会において,教育は何を課題とし,
目的とすべきか。

などなど。これらの問題は,
「教育って何?」という問題にまでさかのぼらなければ,
解答はえられません。
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そうですね。

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「教育哲学」についてウィキペディアで引いてみたら、その流れで「教育人間学」が出ていました。

それで不思議だったのは、それら分野の研究者や提唱者の名前が全て西洋人の名前だったのです。日本人の名前が一人も出てこない。

日本は開国当時識字率は50%を優に超えており、ヨーロッパで一番高かったイギリスでもやっと40%止まり、フランスなどは5%ぐらいだったそうです。江戸時代の江戸の貸本屋の数が記録に残されていますが、それによると江戸の貸本屋の定番客が10万人ほどいたとの試算が出ています。ルソーだペスタロッチだなんて言ってるけど、この識字率の低さを見ると、何ともはや、日本と比べてはるかに教育が遅れた国の連中の話なんですね。ことほど左様に日本は西洋と比べて教育に成功した国なのです。そんな教育に遅れた国の連中が提唱した教育学をありがたがる日本の教育学部の大学の先生方って、私には理解不可能です。

日本には、寺子屋を広めた石田梅岩に始まる石門心学の人々や、鎌倉時代の下級武士や一般庶民に読んでもらいたいためにわざわざカタカナ混じりの文章をふんだんに使い、俗語や雅語を自由に駆使して平易に史論『愚管抄』を書いた慈円ら、優れた教育論者がいくらでもいます。日本の教育学部の大学の先生方って、何故、教育に成功したこれら日本人から何かを学ぼうとしないで、教育レベルがはるかに劣っている西洋人から教育論を学ぼうとするのでしょうか。私には重ね重ね不可解です。
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哲学は、物事の根本原理や真理を探求する事にあります。


その対象になる物事が、教育であれば、教育哲学と言えるでしょう。

ですから、「なぜ義務教育が必要なのか」を考える事は、教育や義務教育の目的や制度、効用等々を考える事に成るのでしょうから、教育哲学と言えるのでしょう。
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教育の使命は、


一人一人の生命に内在する無限の可能性を開き、伸ばすところにあります。
教育は、一人一人の人格の陶冶を促すものであるとともに、
すぐれて次の時代をつくる作業でもあります。

産業、経済、政治、学術、芸術など、あらゆる社会の活動の主体は、
「人間」にほかなりません。その「人間」を一切の原点とし目的として、
人間性の完成を実現していくことこそ、教育の最重要テーマであり
普遍的な次元から、人生と社会に役立つ自立した「人間」の育成を目指ものが教育です

カントは
「人は教育 によって人間になる」と言っています

又、ルソーの教育論等、参考に

結論すると教育とは
「子どもの幸福にある」と言えます
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田k過ぎ新作の舌のくを知りませんでした。


幕末は全然知らないです。
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教育を受けることで人は幸せになれるか?


なれるとしたらそれはどのような教育であるか?

なぜ義務教育を強制するのかもテーマの一つになり得ますが、実際にはそのテーマに突っ込む先生は少ないような気がします。
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