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「傍線部の漢字を、ひらがなに改めなさい」という問題があるのですが、どう回答すればよいかわかりませんでした。
その為、ご存知の方がいらっしゃいましたら、ご教示いただければと思います。

         ___
漢字を、ひらがなに改める

なお、私は下記の2つの解釈が考えられ、1かなと思いました。

1. 「改める」に傍線がひかれているものの、傍線部の漢字は「改」のみのため、回答は「あらた」。

2. 「改める」に傍線がひかれていることから、回答は「あらためる」。

よろしくお願いします。

A 回答 (6件)

「傍線部の漢字を、ひらがなに改めなさい」



この「の」は、
1ー㋒所在。…にある。…にいる。「大阪の友人」
https://dictionary.goo.ne.jp/jn/171157/meaning/m …
という用法の格助詞と捉えて良いでしょう。

「傍線部にある漢字を、ひらがなに改めなさい」

みなさんおっしゃるように「あらた」で良いと思います。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

「傍線部の漢字を、ひらがなに改めなさい」を「傍線部にある漢字を、ひらがなに改めなさい」と読み替えれば、回答は「あらた」で良さそうですね。

このたびはどうもありがとうございました。

お礼日時:2018/11/27 21:36

どちらにしても誤差の範囲ですよ。

どちらも○です。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

このたびはどうもありがとうございました。

お礼日時:2018/11/27 21:38

>傍線部の漢字を


傍線部の漢字をひらがなに改めなさい、→「改めなさい」がみそ、漢字に振り仮名ではなく・・・。
傍線部の漢字をひらがなに改めて回答(書きなおし)しなさい
したがって、1も2も出題内容が異なるため、どちらも正解です。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

このたびはどうもありがとうございました。

お礼日時:2018/11/27 21:37

通常「あらためる」と書きます。

厳密にも「送りがな」を含めるのは許されています。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

このたびはどうもありがとうございました。

お礼日時:2018/11/27 21:37

1です。


傍線の引き方を「改」だけにすると見落とす人もいるので、「改める」すべてを引いて、漢字部分の読みを聞いたということです。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

このたびはどうもありがとうございました。

お礼日時:2018/11/27 21:34

1でいいと思います。



「傍線部の漢字を」という質問文を「傍線が引かれている部分の漢字を」と読み替えれば、回答は「あらた」です。
ひらがな部分はあらためてひらがなにする必要はないでしょう。

質問文が曖昧なので、出題者、採点者によっては、「あらためる」でもいいのかもしれませんが、1、の方が間違いないと思います。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

「傍線部の漢字を」を「傍線(が引かれている)部(分)の漢字を」と読み替えれば、回答は「あらた」で良さそうですね。

このたびはどうもありがとうございました。

お礼日時:2018/11/27 21:31

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2008年には、「ないです」の使用が「ません」の使用を約 3 倍も上回る結果が出たという研究結果もあります。↓(けっこう分かりやすい。短いのも助かる)
https://www.lang.nagoya-u.ac.jp/nichigen/menu7_folder/symposium/pdf/8/10.pdf
因みに、わたしは(若くはありませんが)書き言葉でも使っています。
とはいえ、子供の頃は使っていなかったように記憶している。

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・現代日本の話し言葉と100年前の話し言葉はかなり違う。
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 さて、今度の質問は「歌わないです」が間違っているという話。これが、「美しくないです」だったらどうなるのでしょう。「歌わない」の「ない」は打消の助動詞。「美しくない」の「ない」は形容詞。「形容詞」+「です」は間違いという人がいても不思議ではありませんが、「助動詞(ない)」+「です」はあっても、また不思議ではない。(「ません」が普通ですが)
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こんにちは。

「形容詞+です」この問題は古くて新しい問題ですね。
私の思うに、はっきりした解決、というか、こうなれば落ち着く、ということの言い難い問題です。文法の体系性という点で、小さな矛盾を含んでいると思うからです。

「用言+ないです」のほうでは、「ない」が2種、あるいは3種に分けられるということは、異論の少ない(いろいろ言う人はいますが)ところだと思います。
「形容詞」「助動詞」と、「補助形容詞」。この点については、1311tobiさんが紹介された chiebukuro の解説がわかりやすく、私も勉強になりました。(私は、意味がほぼ同じで活用などが同じなら、品詞をごちゃごちゃ議論することもないだろう、という怠惰な考えだったので、あまりまじめに考えたことがありませんでした。要は、同じ語形が「多少」違った使い方をされるだけで、「基本的な」ところは一緒だろう、と思っているのです。)

皆さんが触れられていない点で、私が重要だと思うのは、「です」にも2種類ある、という考え方です。
これは、たぶん私の学生時代(ン十年前です)から言語学のほうではそうだったと思うのですが、確証はありません。私はずっとそう考えてきました。
今回、改めて国語辞書の記述を見、辞書の付録の「助動詞活用表」などを見て、「です」が一つしかない(「丁寧な断定」という用法)ことにちょっと驚いたくらいです。まあ、国文法の分析が言語学(少し前の「日本語学」)と違うのはよくあることですが。

かんたんに言えば、「名詞/形容動詞+だ/です」の「です(1)」と、「形容詞+です」の「です(2)」は違うものだ、という分析です。(「形容動詞」を「ナ形容詞」と言い換えるのは、今回はやめておきます。)

上に書いたとおり、「です(1)」のほうは、「だ」の丁寧な形、です。「断定」(この用語は好きではありませんが)の助動詞で、丁寧さによって形が分化します。
   学生 だ/です   まじめ だ/です

それに対して、「です(2)」のほうは、「だ」とは対立しません。
   美しいです (×美しいだ)
この「です(2)」は、「断定」の機能を持たず、「美しい」という、すでに「断定」の機能を持った言い切りの形に「丁寧さ」を加えているだけです。つまり、「断定」の助動詞ではなく、「丁寧」の助動詞です。(動詞文の「ます」に対応します)

また、「です(1)」は活用を持ち、「でした/でしたら」という形になります。
   学生でした   紅葉の名所でしたら、例えば、、、
(「でしょう」を活用形とは考えません。「だろう/でしょう」は一語の助動詞と考えます。)

それに対して、「です(2)」は活用を持ちません。
   ×美しいでした (美しかったです)  ×美しいでしたら (美しかったら)

(ここで、「美しいなら」の「なら」を、「だ」の活用と見るか、という問題も関係するかもしれませんが、まあ、これは「なら」をどう考えるかという、もっと複雑な問題になります。私は、「だ」と「なら」は、少なくとも現代語では、別物と考えます。)

ということで、多少の言い訳を必要としながらも、形容詞文の丁寧体として、「美しいです」は一つの位置を与えられるわけですが、さて、それがなぜ「不自然/不安定」に感じられるのか、1131tobiさんによれば「厳密には誤用」と言われてしまうのか、です。

ちょっと話の流れを変えます。
日本語の文の分析法として、文を「命題+モダリティ」という形で考えるということがあり、かなり一般的になっています。(国語学では「叙述+陳述」という、似た考え方が昔からあります。)

これによれば、文の終わりには、話者(書き手)の、その文の内容に対する「断定」や「推量」など、話者の「意志」、あるいは聞き手に対する「命令」や「勧誘」、「確認」「質問」などの、ある種の「態度」が現れる、とされます。
これは、用言のいわゆる「活用形」や助動詞によって表されるわけです。「ね」や「よ」などの終助詞もモダリティを表すとされます。

ここで問題になるのは、「丁寧さ」というのはモダリティなのか、ということで、どうも文法の中の位置づけが微妙なものです。
前からの呼び方では「文体」の一つの要素なのでしょうが、それは文を文として成り立たせる必須の要素、つまり「文法」の一部なのか。

で、私の考えでは、「形容詞+です」の不安定さは、この、「丁寧さ」が文を終結させるためのモダリティとしては不十分だ、というところにあるのではないか、となります。

「名詞/形容動詞+だ/です」の「です(1)」は、「断定の助動詞」に丁寧さが加わったもので、立派な(文を終結させる「力」を持った)モダリティですが、
   学生/まじめ です(断定+丁寧)
「形容詞+です」の「です(2)」のほうは、「丁寧さ」だけの機能しかないので、
   美しい(断定?)+です(丁寧)
という形が、文の終わり方としてどうも安定しない、と感じられるのではないか。

「美しいです」が不自然だという人も、「美しいですか/ね/よ」などにすると安定するように感じる、というのはなぜか。これに対するうまい説明は今のところないように思うのですが、どうでしょうか。(単に私が知らないだけかも)
終助詞「か/ね/よ」が文終結のモダリティとしての機能を持つからだ、と考えるとうまく説明できます。
   美しい+です(丁寧)+ね/よ/か(確認/主張/質問など)
もちろん、「でしょう」をつけても、「でしょう」の持つ「推量(あるいは確認)」というモダリティによって文として安定します。
   (たぶん)美しいでしょう。
   (どうですか?)美しいでしょう?

これは、世代が違ってもあまり変わらないようで、今の若い人も「形容詞+です」には何らかの不安定さを感じるようですが、どうでしょうか。
「「ね」や「よ」をつければ自然だから、変じゃないよ」というのは、上に述べたように「形容詞+です」の弁護にはなりません。

以上、私の考えをざっと述べてきましたが、ただ、「モダリティ」という概念は、研究者によってかなり幅があって、不用意に使われすぎている感があります。この概念そのものの検討が必要であり、いろいろ行われているようですが、私は不勉強でよく知りません。
(さらに、「文が終わる」とはどういうことなのか、「文成立の要件」となると、もう、根本的な議論になり、わけがわからなくなります。「文とは何か」ですから。)

この「形容詞+です」の不安定さ加減は、話し言葉では語調によって文の自然さが変わってくるので、微妙です。

   「どうですか?」「いやあ、なかなかがんばってますねえ。面白いです!」

などと、ある種の強調を込めた言い方をすると、それなりに自然な文として成り立つように(私には)思われます。
(語調が(文終結の)モダリティの機能を肩代わりする? 語調が文の意味を変えることは、「ある。」「ある?」など、ごくふつうのことです。単に「歩く。」と言うと描写あるいは意志に過ぎませんが、「(さっさと)歩く!」とある語調で言うと「命令」になります。)

なお、「話しことば」と「書きことば」で、後者のほうが「正式な」ことば、「正しい文法」の基準になるようなものと考えることは、私はしません。

言語学の考え方では、話しことばのほうが言語として自然な形であって、書きことばはそれに何らかの人為的な手が加わっているものだと考えます。(明治期の「言文一致運動」などを考えればよくわかることだと思います。)
言語の音韻や文法は、人間の意図とは別に、それこそ「自然言語」であって、自ずから文法の体系ができあがっていき、また変化をするものだと考えます。

「書きことばの文法」というのは、「規範文法」への傾斜を持ちやすく、「素晴らしい言語文化・言語芸術」がその後ろ盾になります。そうすると、言語としての本来の自由さ・内発的なエネルギーが失われてしまいます。それでも、話しことばはそんなことにかまわず、本来、内部にあった動きがどんどん現れてくるのだろうと思います。
それに対して、より以前の文法を持った世代がいろいろ抵抗感を持つことは、当然のことですが、それはまあ、時代の流れということで。

上に述べた私の考えは、「形容詞+です」に関しては、「単に新たな変化の一つで、そちらへ(いやでもおうでも)動いていかざるをえないもの」というのではなくて、文の作り方として少し無理があり、世代が変われば移っていくものとはかんたんに言えない、という見方です。
あと50年もしたら、どうなっているのでしょうか。あまり変わらず、「ね」や「か」をつけて使われ続けているのでしょうか。(「動詞+ないです」のほうも、興味深い現象ですが、これはまた別の話だと思います。)

もう一つ、「国語審議会」が認めた、という話ですが、「これからの敬語」自体が国語審議会の答申の一つ、ということなのではありませんか?(今、「これからの敬語」のアドレスをコピーしようとしたのですが、なんと「メンテナンス中」だそうです!)

長くなりました。最後まで読んでくださった方に感謝します。

saburoo

こんにちは。

「形容詞+です」この問題は古くて新しい問題ですね。
私の思うに、はっきりした解決、というか、こうなれば落ち着く、ということの言い難い問題です。文法の体系性という点で、小さな矛盾を含んでいると思うからです。

「用言+ないです」のほうでは、「ない」が2種、あるいは3種に分けられるということは、異論の少ない(いろいろ言う人はいますが)ところだと思います。
「形容詞」「助動詞」と、「補助形容詞」。この点については、1311tobiさんが紹介された chiebukuro の解説がわかりやす...続きを読む

Q日本の方は麺を嚙み切りますか

日本語を勉強中の中国人です。日本の方は麺を食べる時、音を出して一気にすするようです。お伺いしたいのですが、喉に詰まったら危ないかと思うので、一旦噛み切って食べる方法もあるでしょうか。

また、質問文に不自然な日本語の表現がございましたら、それも教えていただければ幸いです。よろしくお願いいたします。

Aベストアンサー

手軽においしく食べられることから、日本人だけでなく、訪日観光客にも人気の高い、蕎麦、うどん、ラーメンなどの麺類。
そんな麺類に関して昨年、ちょっとした騒動が日本で起こった。
食べる時に「ズルズル」と音を立ててすすることが、外国人に不快感を与える「ヌードル・ハラスメント(ヌーハラ)」だと、ツイッター上で訴えるアカウントが現れたのだ。
すぐに多くのユーザーがリツイートし、テレビ番組や新聞でも紹介され、すすることに対して肯定、否定の意見が多く出された。
このヌーハラ騒動は具体的な根拠のないものとされ、すぐに沈静化したが、実際「すする」という食べ方は日本独特なもの。
その光景を初めて目にした外国人の中には、驚く人や嫌悪感を持つ人もいる。
パスタや中華麺など世界には麺料理が数多くあるが、音を立てて食べることはマナー違反とされ、どこでもモグモグと静かに食べているからだ。
では、日本料理のマナーで、すすることが良しとされているかというと、そうではない。
正式なマナーとしては、やはり音を立てて食べることは良くないこととされているのだ。
では、なぜ日本人は麺類だけはすするのか? 
今回は私の専門分野「蕎麦」に焦点を当て考察したいと思い、200年以上続く老舗店であり、外国人客も多く訪れる麻布十番(東京都港区)の「総本家 更科堀井」の堀井良教(よしのり)さんに話を伺った。

「蕎麦の香りを楽しむために、すするようになったということでしょうね。
蕎麦はもともと鼻じゃなくて、口の中で香りを楽しむものですから。ワインのテイスティングの時、まずは鼻で香りを嗅いだ後に、口の中で転がして喉から鼻に抜ける香りを嗅ぎます。
確か、前者をオルソネーザル(鼻先香、立ち香)、後者をレトロネーザル(口中香、あと香)と言います。
そして、蕎麦は前者が弱いので、後者を楽しむもの。
特にもり蕎麦は冷たいから匂いも立ち昇らないし、鼻で嗅いでも分からない。
強くすすって、口の中に広がる香りを堪能するのが正しい食べ方なのです」
確かに、蕎麦はモグモグやっても味気ないものだ。
しかし、そのマナーを破った食べ方が、どのように日本中に広がっていったのか? 歴史資料や堀井さんの知見を基に、私なりに推論を立ててみたい。

栄養価が高く、コメなどに比べ短期間(2カ月半から3カ月位)で収穫できる蕎麦は、古くから日本各地で食べられていた。
最初のうちは粒のままでおかゆなどにして食べられていたが、そのうち粉にひいて練った「蕎麦がき」に変わり、やがて麺状にして食べるようになった。
そんな蕎麦が食事として定着したのは、江戸時代の初期。
1600年代の後半には、すでに多くの蕎麦店ができていた。
最初こそほとんどの店で蕎麦とうどんを併売していたのだが、やがて蕎麦の人気が高まってうどんを駆逐してしまい、江戸の名物となっていったのである。

「蕎麦は当初、セイロで蒸して食べていたので、蒸した時に漏れる蒸気から、蕎麦の香りに気づいたのでしょう。
それで、すすって食べてみたら、香りも楽しめておいしく食べられた。
そんな感じで、自然に身に付いた知恵だと思いますよ」(堀井さん)

蕎麦が人気となった理由としては、その味もさることながら、栄養価の高さもあったのだろう。
うどんの原料である小麦と比べると、蕎麦はタンパク価が高く、ビタミンB群も豊富。
当時は栄養価を調べることはできなかったかもしれないが、「体に良い」ということは体験的に分かっていたのではないか。
蕎麦を売る店は時代を経るにつれ増え続け、江戸時代後期の1800年代には、江戸に700軒ぐらいの蕎麦店があったとされている。これは、当時の飲食店で最も多かった居酒屋に次ぐ数字だ。

「当時の江戸は100万人都市だったと言われています。
世界でも有数の人があふれる街で生き抜くために、短時間に高栄養価の食事を取らねばならなかったことでしょう。
それが、関西はうどん文化なのに対して、江戸には蕎麦が根付いた原因の一つだと考えられます」(堀井さん)

堀井名物「さらしな」(930円)は、蕎麦の実の芯の粉で打った白くきめ細かい蕎麦。
すするたびにほのかに蕎麦の香りを楽しめる、まさに「すする」にはぴったりな一杯
気軽に食べられる屋台や、てんびん棒をかついで売り歩く「夜蕎麦売」が多かった。
武士など上流階級が食べに行く高級店もあったが、蕎麦はまさしく庶民の食べ物だったのである。
ちなみに、日本の名物となっている寿司や天ぷらも、そのルーツは江戸時代の屋台で、蕎麦と同じく庶民の間で大流行していた、手軽に食べられるファストフードだったのだ。
そんな江戸時代、日本にはすでに食事のマナー、礼法があった。
それは現代に通じているもので、音を立てて食べるということは、当然マナー違反。
しかし、堀井さんも「庶民の食べ物だったので、マナーを気にしなかったんでしょう」
と言う通り、そんな野暮なことを言い出す江戸っ子はいなかったはずだ。
また、屋台の食事は仕事の合間などに小腹を満たすもの。
立ったまま食べることがほとんどだったため、自然と急いでかき込まなければならなくなる。
そうなると、ごく自然に蕎麦を「ズルズル」と音を立てて食べていたのではないだろうか。
そして、その習慣がそのまま現代まで続き、ラーメンの食べ方などにも影響を与えているのではないか。

蕎麦を食べるための最も適した「すする」という方法。
せっかくだから、ヌーハラなどと言わず、どんどん世界に広めていきたいと思うのだが、実際に「総本家 更科堀井」では外国人客にどう教えているのだろうか?
「こちらから教えるということはないです。すすれない方は、みなさんモグモグ食べていますよ。
私はすすることにこだわるよりも、まずは蕎麦のおいしさ、栄養価の高さを分かってもらいたいですね。
モグモグ食べながら、そのうち“すするとおいしい”ということに気付いてもらえればいい。
あまり押しつけるようなことをしても、受け入れてもらえないですから。
すするのは、あくまで蕎麦の一つの食べ方。お客さんに喜んで食べてもらえれば、それが一番なんです」(堀井さん)

「すする」という行為は、江戸時代から続く日本の食文化。
それを押しつけたり、逆にハラスメントになるからと遠慮したりすることは、どちらも正しくはないだろう。
まずは食べ方にこだわらず、蕎麦を味わってもらうこと。
なによりも食事というものは、マナー以前においしく食べることが、最も重要だと堀井さんも言う。
ちなみに「総本家 更科堀井」では、日本人の常連客が外国人客にすすり方を教えていることが、時折あるそうだ。
近くに大使館が多い土地柄から、高齢でも英語を話せる方が多いため、仲良く話をしているうちに自然とそうなるらしい。
こうした形で、蕎麦のおいしさとすする食べ方が世界に広まればうれしい。

https://www.nippon.com/ja/views/b07501/

手軽においしく食べられることから、日本人だけでなく、訪日観光客にも人気の高い、蕎麦、うどん、ラーメンなどの麺類。
そんな麺類に関して昨年、ちょっとした騒動が日本で起こった。
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Q名前の読み方

男性の名前で「浅利和美 」という名前の読み方を教えてください。

Aベストアンサー

「あさり かずよし」でしょう、私の叔父も「久美」で「ひさよし」と読みますが、たぶん祖父母が面倒になって女なら「くみ」男なら「ひさよし」と読むことにしたのでしょう。

Q日本語について聞きたいです

下記は、ネットで見つかった文です。なんか読みやすくて分かりやすい。では、それは、参考になれる?
ジョン・スミスへの手紙
サイバー・ラボ・ノート (3380)

 「は」と「が」の違い
 -述語を強調する「は」、主語を強調する「が」-

 「空は青い」と「空が青い」の違いがわかるだろうか。また、その違いを言葉で説明できるだろうか。

 何となくわかっても、言語化できる人は、案外、少ないのではないだろうか。

 結論から言えば、「空は青い」と「空が青い」では、強調している箇所が違う。「空は青い」の方は「青い」、「空が青い」の方は「空」を、それぞれ強調している。

 「は」と「が」の違いは、述語を強調するのが「は」、主語を強調するのが「が」だ。

 例えば、「彼は犯人です」と「彼が犯人です」を比較すれば、理解できるだろう。

 「象は鼻が長い」という応用問題についても、触れておこう。

 まず、主語は「象」、述語は「鼻が長い」に分けられる。「は」なので、述語が強調されている。

 更に述語部分の「鼻が長い」も、入れ子構造で「主語+述語」になっており、分解すると、「が」なので、「鼻」が強調されている。

 この文の強調順位は、「鼻」「長い」「象」の順となる。

 山田詠美の作品に『ぼくは勉強ができない』という小説があるが、同様にこのタイトルも、強調順位は「勉強」「できない」「ぼく」の順になっている。

 ところで、日本人は、"This is a pen."を条件反射で「これはペンです」と訳している。だが、僕は「これがペンです」の方が適訳のことも多いと思う。

 強調すべきが、手に持つなりした「これ」なら、当然、「これがペンです」となるべきだ。

 手品をやる際、後ろの方の人に説明するなら、「これはペンです」。どう見ても、消しゴムにしか見えない物体が実はペンなら、「これがペンです」だろう。

 また、「彼が犯人です」を「は」を使って書くと、「犯人は彼です」となる。

 話の聴き手は、「既知の情報→新情報」という言葉の流れの方が、「新情報→既知の情報」という言葉の流れより、自然と頭に入りやすい。耳で聞くなら、従って、「彼が犯人です」より「犯人は彼です」の方が、理解しやすい。

 「彼が犯人です」と「犯人は彼です」は同じ意味だが、新情報を先に出すか、後に出すかによって、若干、ニュアンスは違っている。

 要するに、「は」と「が」の軸、「既知の情報」と「新情報」の軸の組み合わせで、同じ意味でも、表現に「味付け」をすることができるわけだ。

 「は」と「が」の使い分けは、日本語文法の根幹部分だ。「主語を強調するか、述語を強調するかで使い分ける」という話は、小学校の国語で教えるべきレベルだろう。

 しかし、僕自身は、学校で教わった覚えはない。大人であっても、明確に言葉で説明できる人は、おそらく少ないだろう。

 「主語を強調するか、述語を強調するかで使い分ける」という話は、あくまで僕自身のノウハウを言語化したものだ。

 日本の学校教育の現場では、「は」と「が」の使い分けという、日本語にとって、最も大事な話が抜け落ちているのではないか。

 山田宏哉記

下記は、ネットで見つかった文です。なんか読みやすくて分かりやすい。では、それは、参考になれる?
ジョン・スミスへの手紙
サイバー・ラボ・ノート (3380)

 「は」と「が」の違い
 -述語を強調する「は」、主語を強調する「が」-

 「空は青い」と「空が青い」の違いがわかるだろうか。また、その違いを言葉で説明できるだろうか。

 何となくわかっても、言語化できる人は、案外、少ないのではないだろうか。

 結論から言えば、「空は青い」と「空が青い」では、強調している箇所が違う。...続きを読む

Aベストアンサー

1.
>-述語を強調する「は」、主語を強調する「が」-

この箇所は正しい。
a.「は」は主題提示の係助詞です。
「彼は犯人です」は「彼について言うなら・・・」という意図の文。
「は」以降の述部の内容を伝えるのが主要な意図なので、『述語を強調する「は」』という見解は正しい。
b.「が」は主格の特定、及び希望・好悪・能力などの対象を特定する格助詞です。
「彼が犯人です」は「犯人です」の主格を特定しようとする意図の文。
主格が「彼」であると特定することが主要な意図になるので、『主語を強調する「が」』という表現は正しい。

2.
> 強調すべきが、手に持つなりした「これ」なら、当然、「これがペンです」となるべきだ。
 手品をやる際、後ろの方の人に説明するなら、「これはペンです」。

この箇所は正しい。

3.
>どう見ても、消しゴムにしか見えない物体が実はペンなら、「これがペンです」だろう。

この箇所は誤り。
a.『どう見ても、消しゴムにしか見えない物体が実はペン』だとしても、その物体について説明したい場合には「これは(消しゴムにしか見えませんが実は)ペンです」と表現する。
b.『どう見ても、消しゴムにしか見えない物体』が複数個示されていて、その中のひとつだけがペンの場合は「これがペンです」と特定して表現する。

4.
> 話の聴き手は、「既知の情報→新情報」という言葉の流れの方が、「新情報→既知の情報」という言葉の流れより、自然と頭に入りやすい。耳で聞くなら、従って、「彼が犯人です」より「犯人は彼です」の方が、理解しやすい。
 「彼が犯人です」と「犯人は彼です」は同じ意味だが、新情報を先に出すか、後に出すかによって、若干、ニュアンスは違っている。

この箇所は誤り。
『同じ意味』になることはあり得ない。
「同じような意味」に見えることはあるが、『ニュアンス』ではなく【意図】が異なるので、文の本質的意味も異なる。
「彼が犯人です」と「犯人は彼です」はシチュエーション次第で使い分けるべき表現。
理解しやすいか否かという問題ではない。
また、異なるのは意図・意味であって、ニュアンスという曖昧なものではない。

a.たとえば、捜査本部の一室。
複数の刑事が血だらけの男を部屋に連れてくる。
それを見た部長刑事が「なんだ?どうした?」と刑事たちに尋ねる。
一人の刑事が報告する。「彼が犯人です」
このシチュエーションで「犯人は彼です」と言う刑事は稀です。
なぜなら、部長刑事が知りたいのは「血だらけの男について」であって、「犯人について」ではないからです。
刑事は「血だらけの男」が犯人であることを特定する意図で、「彼が(我々が探している)犯人です」と表現するのが妥当。

b.2人の男が揉み合っているところに警官が駆けつけた。
「お前が犯人だな?コンビニ強盗の容疑で逮捕する」と言って男 A に手錠をかける。
男 A は「違う違う!」「犯人は彼です」と男 B のほうを見る。
このシチュエーションで、「彼が犯人です」と言う人は稀です。
なぜなら、警官が知りたいのは「犯人について」であって、「彼(男 B )について」ではないからです。
男 A は、「犯人について言うなら、それは男 Bです」という意図で「犯人は彼です」と表現するのが妥当。

5.
> 要するに、「は」と「が」の軸、「既知の情報」と「新情報」の軸の組み合わせで、同じ意味でも、表現に「味付け」をすることができるわけだ。

この箇所も誤り。
『同じ意味』になることはあり得ない。
意味の違いは4で述べたとおり。
残る『軸の組み合わせ』についても一応検証してみよう。
a.「彼は犯人です」
彼について言うなら・・・という意図。
「彼が犯人です」よりも冷静な、あるいはのんびりした表現と言える。
b.「犯人が彼です」
これは特殊なシチュエーションと言える。
「犯人(役)が彼です」など。

6.
この山田氏の記述は、以上述べてきた内容とは別に、もうひとつの問題を抱えている。
・「が」の前は新情報(「が」の後は既知の情報)。
・「は」の前は既知の情報(「は」の後は新情報)。
ということを前提に論を進めている点だ。
「彼が犯人です」
「犯人は彼です」
「彼は犯人です」
という文にあたっては、確かにそういうことは言える。
しかし、たとえば次のような場合はどうか。

※むかし、むかし、ある所におじいさんとおばあさんが住んでいました。おじいさんは山へしば刈りに、おばあさんは川へ洗濯に行きました。おばあさんが川で洗濯をしていると大きな桃が流れてきました。※

おばあさんは新情報ではなく既知の情報ですが、『おばあさん [が ] 川で洗濯をしていると~』のような表現が成立しています。
このように従属節においては、「が」の前は新情報という公式は適用できないのです。
なので、「新情報・既知の情報」という捉え方は基本的に推奨しません。
ただ、従属節などの例外を考慮できるのであれば、そういう理解の仕方があっても良いでしょう。

この文は、個人的には以下のように考えたいところです。

・おばあさんについて言うなら⇒⇒川で洗濯をしていると大きな桃が流れてきた。

という意図ではなく、

・川で洗濯をしていると大きな桃が流れてきました。⇒「川で洗濯していたのは(おじいさんではなくて)おばあさんです」と(補足的にですが)特定している。

という意図。
重要なのは、「おばあさんは何をしていたのか?」ではなく「大きな桃が流れてきたこと」が、この文の骨子だ、という点に気づくことです。
外国語学習者の方々にとって、こうした理解の仕方のほうが汎用性が利くのではないかという気もするわけです。

1.
>-述語を強調する「は」、主語を強調する「が」-

この箇所は正しい。
a.「は」は主題提示の係助詞です。
「彼は犯人です」は「彼について言うなら・・・」という意図の文。
「は」以降の述部の内容を伝えるのが主要な意図なので、『述語を強調する「は」』という見解は正しい。
b.「が」は主格の特定、及び希望・好悪・能力などの対象を特定する格助詞です。
「彼が犯人です」は「犯人です」の主格を特定しようとする意図の文。
主格が「彼」であると特定することが主要な意図になるので、『主語を強調す...続きを読む

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