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絶対的に正しいことを演繹的に定義してみました。

私たちは「大切なものを守ることは正しい」と感じます。(うん、そりゃみんなそう思うね)
では「最も何よりも大切なものを守ることは最も何よりも正しいとなる(まあ、当然そうなるな)

では「群れにとって最も何よりも抜群に大切なものは群れの命でしょう」(まあ、そりゃ~、そうだろうな)
それでは「最も何よりも大切な群れの命を守ることは最も何よりも正しい」となります。(そうなるね)
逆から言えば「何よりも抜群に最高に正しいことは群れの命を守ることである」となる。(そりゃ~そうだろう)

つまりその群れにとって、「絶対的に、何よりも最高に正しいことは群れの保存、存続である」と言うことが導かれる。
結論、その群れにとって、何よりも、絶対的に、最高に正しいことは群れの存続、群れ社会の安寧秩序を守ることである、となった。

私は哲学は素人なもので、どこか間違っていないでしょうか?よろしくお願いします。

A 回答 (35件中1~10件)

冒頭の「大切なもの」には「何が」が含まれていません。


個人単位で見れば人それぞれで万人共通ではなくなります。
しかし、「社会にとって」と言うならば「万人に共通なもの」が見えてくるでしょう。
後半ではそれが示されています。
私的に言うならば、群全体の安全安心と個々の平等」になると思います。
わがままな個だけに与えられるそれは、除外されるはずです。
ご参考まで。
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この回答へのお礼

返信ありがとうございます。

>冒頭の「大切なもの」には「何が」が含まれていません。<

あなたにとって大切なものです、なんでもいいのです。子供達でも恋人でも、お金でも。

お礼日時:2018/12/09 18:46

こんにちは。


Aがあり、Bが正しい
Bがあり、Cが正しい
よって
Cが正しいならばAが正しい

間違っていない哲学だと思います。

その群れの規模が変動しますが。
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この回答へのお礼

返信ありがとうございます。

>その群れの規模が変動しますが。<

群れの規模は自分たちを守っている仲間の群れです。各国になると思います。

お礼日時:2018/12/09 18:47

群れの存続は良いと思いますが 群れの為に自分を犠牲にするかどうかも問題になります。



個人主義で行けば 群れは自分が守られる為に在るので 自分を犠牲にしてまでは守らない

力を合わせて敵から逃げる 或いは群れのチームプレイで相手を撃退する

集団主義でも全体主義でも民主主義でもそれはそうなるでしょう。

ただ問題は撃退する相手が本当に敵かどうかです。

アメリカと中国は本当に敵なのか それとも人類として隣人なのか?

敵だとみなせば軍事的に守り或いは挑発するでしょうし、味方だと思えば話し合って協調するでしょう

群れを守る事はいいのですが 敵を作る事が問題です。

人間は弱肉強食に居るわけではありません。政治家の言うウィンウィンの関係で付き合っていけば

何時かは仲良くなれるでしょう。

私は、ですから正義とは世界中の人間の存在と人権を守る事だと思います。

相手がエイリアンなら別ですが、通訳すれば話せる相手です。お互いに通商すれば得もあります。

その点最近のアニメやゲームは相手を倒す、破壊するのが多くて目に余ります。
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この回答へのお礼

返信ありがとうございます。

敵とかそういうことではなく、仲間の群れを守ることが絶対的に正しいとなったのです。群れを守ることが絶対的に正しいとなったのです。群れを守ること=絶対的に正しい事という答えが出たのです。

お礼日時:2018/12/09 18:52

全くダメですね。


最初の一文で『定義してみました』と宣言している割に、全く定義が抽象的で曖昧で、人によって受け取り方が異なってしまうという、厳密さの対極にあるようなロジックでした。

あなたは『エチカ』を読んで、厳密な論考というものがどういうものか勉強するべきでしょう。


そもそも『大切なもの』とは、どうやって決めるのですか?
人によって『大切なもの』は異なりますよね?

そうであるのに、『群れ』、言い換えると人間の集団にとって『大切なもの』を、どうやって決めるんですか?
家族の中ですら『大切なもの』なんてバラバラなのに、他人と『大切なもの』なんて共有できるんですか?

また世の中に戦争という事象がありますが、戦争は群れの存続のための手段でしょうか?
あるいは戦争により群れの安寧秩序は乱されるでしょうか?


最初の所でボロボロなので、ツッコミどころ満載のロジックになっています。
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この回答へのお礼

返信ありがとうございます。

大切なものは何でもいいのです。大切なものを守ることは正しいと感じることに正しいが現れているのです。正しいとは「大切なものを守ること」、その最大が群れの命ということです。

戦争は考えなくて、ただ群れを守る事が絶対的に正しいことと分かったのです。

お礼日時:2018/12/09 18:56

大切なものを捨てることでより良いものを手にする事ができた人の選択は正しかったのか。

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この回答へのお礼

返信ありがとうございます。

あなたの言いたいことの意味がよく分かりません。すみません。

お礼日時:2018/12/09 18:58

どこが演繹的?


定義と公準は何?

大切、守る、正しい、群れ、何より、最高、存続、・・・・、これ等の定義は。
定義した要素間の関係を示す公準はどれ?
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この回答へのお礼

返信ありがとうございます。

「大切、守る、正しい、群れ、何より、最高、存続」みんなが共通した概念でいいと思います。

そうなると定義の定義は?となりますのでみんなが感じている概念でいいと思います。

お礼日時:2018/12/09 19:00

これについては既に答えは出ておりまする。



あまりに正しいこととは何か
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/9252227.html
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この回答へのお礼

返信ありがとうございます。

>それはこの宇宙である。宇宙は存在する。これは絶対的に正しい。<

リンク先を読ませていただきました。宇宙が存在するのが絶対的に正しいといかにして導かれたのかが分かりません。

お礼日時:2018/12/09 19:02

私は哲学的では無いですが回答します


「その群れにとって」正しい事ですね
ただ、それは蟻とかの真社会性動物にとっての正しさです

しかし、群れの外側の生き物のは当てはまらないので
「絶対的に」正しい訳では無い
(こういう思考を構造主義って言うらしいよ)

最初の「大切なものを守ることは正しい」
これってホントなの?
「大切なものを守ることは正しいは本当に正しいのか?」
をまず考えた方が哲学的なんとちゃう?
な~んか結論ありきの持論の展開に感じました
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この回答へのお礼

ご返事ありがとうございます。

>最初の「大切なものを守ることは正しい」これってホントなの?<

大切なものを守ることは正しくありませんか?お金でも子供でも、正しいと思いますよ。

お礼日時:2018/12/09 19:12

その群れにとって、何よりも、絶対的に、最高に正しいことは群れの存続、


群れ社会の安寧秩序を守ることである、となった。
 ↑
正しいですよ。

これが全体主義の論拠です。



ただ、絶対、という言葉は使わない方が
良いです。

絶対、というのは例外が無い事、
相対的で無い事、を意味します。

群れの為に、個人が犠牲になることがあるが
それでも正しいのか。

他の群れ、群れ以外のモノにとっては大切で
ない場合もあるでしょう。
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この回答へのお礼

返信ありがとうございます。

>これが全体主義の論拠です。<
>群れの為に、個人が犠牲になることがあるがそれでも正しいのか。<

全体主義かどうか知りませんが演繹的にこのように出たのです。恣意的なものではありません。

>他の群れ、群れ以外のモノにとっては大切でない場合もあるでしょう。<

他の群れにとっても自分たちの群れを守ることは絶対的に正しいのです。自分たちの群れを守ることは正しいと出たのです。

お礼日時:2018/12/09 19:16

どこが間違っているかどうかは、あなたがいう「群れの存続、群れ社会の安寧秩序を守ること(以下、「群れの存続」とします。

)」の定義の説明がされていないので分りません。


例えば、アドルフ・ヒトラーの「生存圏」は、「群れの存続」に該当するのか。
例えば、吉野作造の「自存権」は、「群れの存続」に該当するのか。

アドルフ・ヒトラーの「生存圏」は、「群れの存続」に該当しないが、吉野作造の「自存権」は、「群れの存続」に該当するのであれば、私のイメージする「群れの存続」に近いといえますが、その線引きがあなたの文章では見当たりません。

あなたの文章を読む限り、「群れの存続」の定義が不明ですので、あなたの主張が間違っているかどうかは良く分かりません。




(補足)

吉野作造の「自存権」は、ヒトラーの「生存圏」と似た意味だと思われる人も多いですが、全く違います。

「自存権」は満州事変当時の言葉ですが、1929年世界大恐慌以来、世界各国は保護貿易を推し進めブロック経済化していきました。日本では事実上の経済封鎖を受けているようなものでした。しかも、日本が権利を有する満州では、法外な排日・反日運動が展開しています。満州事変というのは、このような状態に置かれた日本が民族生存のために起こした行動です。あなたの言葉で言うならば、「群れの存続、群れ社会の安寧秩序を守ること」のための行動と言えます。

(当時の排日・反日運動が、どれほどの壮絶なものだったかは、『現代史資料』(みみず書房)の「満州事変(正、続)」の巻に詳しく書いています。或いは、外交資料館の「外務省記録」には膨大な一次資料が残されています。)


ヒトラーの「生存圏」は、水晶の夜以降、暴走しますが、ラインラント進駐やオーストリアの併合までのミュンヘン会談までは、ヒトラーはウイルソン主義を実践しているだけですので、ウイルソン主義を肯定する人からすれば必ずしも否定は出来ないでしょう。(ウイルソン主義者は、ミュンヘン会談までのヒトラーの行動がウイルソン主義であると認めたがらないかもしれません。)

しかし、当時のオーストリアは国内でドイツ人を襲撃したり、オーストリア政府がそれを率先して推し進めるなどの、満州で起きているような排日・反日運動などは起こっていません。ドイツ側は国際法で認められている自力救済をオーストリアに行う権利は無いと言えます。それを、民族自決というウッドロー・ウイルソンが提唱した、国際法にもなっていない新しい概念を利用して、「同じドイツ民族が一緒になりたがっているのだから、いいじゃないか。」としてウイルソン主義を用いて併合しました。これがミュンヘン会談以前のヒトラーが暴走する前の「生存圏」ですが、吉野作造の「自存権」とは根本的に意味が違います。

(「水晶の夜」以降のヒトラーの「生存圏」は完全に暴走していて、「群れの存続」としてめちゃくちゃです。1801年のコペンハーゲン焼き討ち事件を、イギリスは古代ギリシャの寓話「カルネアデスの板」を持ち出して、それと同じ緊急避難(「群れの存続」のための正当な避難行動)だとしましたが、それ以上にめちゃくちゃな「群れの存続(あなたの「群れの存在」の定義に該当するかは不明)」です。)
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この回答へのお礼

返信ありがとうございます。

majimemaruさんは見識ある方でとても尊敬しております。

そうですね、吉野作造の「自存権」と同じだと思います。私は先の戦争は日本は正しいと思います。自衛戦争ですから、自衛の為なら満州などを占領したことは正しいと思います。限度というものはありますが。

私はこの演繹法で絶対的に正しい事=「群れを守ること、または社会の安寧秩序」であると見つけたと言うことです。これはいわゆる絶対正義です。その絶対正義を守る為に最も正しい方法が絶対善である「私より公を優先する行為」なのです。

詳しくは下記のリンクを覗いてください。絶対善を定義していますから。読まれましたら、コメントください。

https://ameblo.jp/shinwood/entry-12277885699.html

お礼日時:2018/12/09 19:29
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