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性別役割分業の考え方はいつ日本に根付き始めたのでしょうか?またそれが根付いた背景など詳しく知りたいです。

A 回答 (5件)

生物が雌雄の合体で子孫を残すように進化した時からではないですか。

その結果、雌雄の体系が決定的に異なることになった。だから分業をできない連中は滅ぶ以外になかった。

日本での性別役割分業の決定的なものは稲作農家の田植えですね。骨盤の構造上、男性は前向きにしゃがんだまま持続的に行う作業は女性には敵わなかった。だから田植えは女性の独壇場でした。田植え時期の男性の主な役割は子守りと弁当作りぐらいのもので、退屈な男どもは田植えのリズムを取るために太鼓を叩いたり、岡でそれに合わせて踊りを踊るぐらいなものでした。今でも田植え祭りにその情景が残っています。

さらに、貴重な労働力である娘を、結婚したからと言って他家へ嫁がせてしまうのは農家にとって大変は損失になってしまいます。そこで、日本の多くの地方の農村では江戸時代まで第一子が生まれるまで夫が嫁の家に通う通い婚を採用していたという記録が残っていると、日本民俗学者の雄、柳田國男が書いておりました。

田植えは稲作農家では最も重要な行事でした。だから、江戸時代以前国民の9割以上いた農家では、女性は貴重な肉体労働者でしたの、その重要性は男女共に認められており、女性に絶大な権限を与えていました。現在でも家庭での財布を握る権限を女性に任せていることでその名残りはが残っています。これは人類でも稀な風習で、欧米を含めて財布の紐は男性が握っている国がほとんどです。明治開国後に欧米から家長制度という新しい風習が移入され、表向きは欧米並みに男女不平等の考え方が輸入されました。しかし、一千年以上に渡って培われてきた男女平等の考え方を日本人が捨てるのは不可能でしたので、いまだに女性が財布の紐を握っているという珍しい国が日本です。

戦後の高度成長期になると欧米の考え方がとっぷりと日本に入り込み、欧米特有の男女不平等の考え方をする日本人もだいぶ増えましたが、いまだに日本の女性が家の財布を握っているので、日本ではそうは簡単に欧米並みの男女不平等な社会にはならないようです。
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ホモ・サピエンスは男女の体格差がそれほどありませんが、種によっては1.5倍くらい違うものもあります。

同じ役割というわけではなかったでしょう。
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根付いたのは戦後の高度成長期です。


夫が外で働き妻が家事をするという形は、夫だけである程度の収入がないと無理です。
都市部ではありましたが、全体では少なかったです。
中産階級のサラリーマンが増えた高度成長期に増えました。

それまでは農家など共働きがほとんどでした。
金持ちは金持ちで、妻ではなく雇われた人が家事をやったりしました。
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これは人類発祥からでしょう。


人間は動物の一種として、種の発展、という
本能があります。

女性には妊娠出産育児生理というハンデがあります。

だから、腕力が強い男に働いてもらい、女性は
家事育児をやる、という役割分担が自然発生的に
できあがったのです。

種の発展の為には、そうした役割分担が
合理的だからです。
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人類が(今の)日本に棲み着き始めた頃でしょう。

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