一回も披露したことのない豆知識

一番最初の出所はどこですか?
ネット検索では海軍の五省が出てくるようですが、それ以前には無かったですか。

A 回答 (3件)

「至誠」という語句は、春秋時代の儒教で使われましたが、「至誠に悖るなかりしか」は旧海軍の五省でしょう。

(兵学校で使われました)
一、至誠に悖るなかりしか(誠実さに背いていなかったか)
一、言行に恥ずるなかりしか(言行不一致な点はなかったか)
一、気力に缺くるなかりしか(精神力に欠いた点はなかったか)
一、努力に憾みなかりしか(努力するのに心残りはなかったか)
一、不精に亘るなかりしか(怠けてものぐさになっていなかったか)
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

至誠に悖るなかりしか

海軍発祥の文言と考えてよろしいでしょうか。

お礼日時:2019/02/04 22:37

>>吉田松陰が引用したものを海軍が孫引きしたということでしょうか。



孟子→陽明学→吉田松陰→海軍軍人という連鎖で伝わったものです。

陽明学
各界における信奉者[編集]
財界
岩崎弥太郎 - 三菱財閥の創設者
渋沢栄一 - 第一国立銀行(現 みずほ銀行)等の創設者
その他
広瀬武夫 - 大日本帝国海軍軍人、軍神
東郷平八郎 - 大日本帝国海軍軍人
奥宮健之
幸徳秋水
富岡鉄斎 - 文人画家・儒学者
三島中州
三島由紀夫 - 作家。ただし、三島は王陽明の『伝習録』を直接読んでいる形跡はなく「日本陽明学」の系譜からの影響を受けた。三島は井上哲次郎の『王陽明の哲学の心髄骨子』を読んでいる。三島の評論には『革命哲学としての陽明学』がある[3]。
安岡正篤 - 戦後初期における自民党のフィクサー、陽明学者。今日、陽明学のイメージを「帝王学」にしてしまった点で、本来は「心学」である陽明学イメージを変えた(歪めた)という意味で、功罪がある。安岡が東京帝国大学卒業時に出版した『王陽明研究』は日本および中国でも識者に大きな影響を与えた。安岡は大正末期から様々な活動をしており、若い頃は西洋の思想・宗教・哲学・文学なども耽読し、東洋思想に辿り着いた。安岡の著書は『東洋宰相学』『日本精神の研究』など多岐にわたる。それらはトータルとして安岡の「人間学」として大成されたもので、安岡を陽明学者としてのみ位置づけるのは本質を欠くとも言える。【ウィキペディア:陽明学】

で、現代に続いています。■
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

『至誠』について非常に詳しくありがとうございます。
ただ、申し訳ありませんが、私が知りたいのは『至誠に悖るなかりしか』という【言い回し】についてです。
このような【言い回し】も昔からされていたのでしょうか。

お礼日時:2019/02/06 23:06

〈至誠而不動者未之有也〉


至(し)誠(せい)にして動うごかざる者ものは、未いまだ之これ有あらざるなり
出典:『孟子』離婁上

解釈:こちらがこの上もない誠の心を尽くしても、感動しなかったという人にはいまだあったためしがない。誠を尽くせば、人は必ず心動かされるということ。
孟子 … 7編。戦国時代の思想家、孟子(前372?~前289)の言行や思想を弟子たちがまとめた書。四書の一つ。ウィキペディア【孟子 (書物)】参照。

を吉田松陰が引用し、そこから生まれた言葉です。

https://kanbun.info/koji/shiseinishite.html
file:///C:/Users/Hattori_kazuo/Downloads/2187_6525_049_15.pdf
参照■
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

孟子からですか。
参考になります。
吉田松陰が引用したものを海軍が孫引きしたということでしょうか。

吉田松陰引用を示すサイトなどありましたらお願いできますか。

お礼日時:2019/02/04 22:35

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