私は一つの発見をしました。それは「社会的問題は国民みんなの為にある」と言うことです。例えば憲法改正問題は賛成である、反対であると議論されています。しかし何故賛成、反対なのか、その根拠、理由は何でしょうか?それはやはり国民みんなの為なのです。憲法改正すればみんなの為にならないから改正は反対である。また憲法改正はみんなの為になるから賛成なのです。
つまりどちら側の意見もその根拠はみんなの為なのです。消費税問題も同じです。増税しなければ国民が困るから増税賛成であり、逆に増税すれば国民が困るから増税反対なのです。これもどちらもやはり国民みんなの為が根拠、理由なのです。いじめ問題も体罰問題も不正問題などなどもすべて国民みんなの為に解決しようとしているのです。つまり社会的問題の根拠、理由は全て「国民みんなの為」なのです。
そんなことは当たり前ではないかと言われそうですが、そうではありません。このことが良く分かってない、または良く認識されていないから、いろんな問題がなかなか解決できないのだと思います。この発見はいろんな問題の解決の大きな糸口になるのではないでしょうか。
それでは一番「国民みんなの為」になることは何でしょうか。それは社会が平穏であり、秩序が保たれていることです。つまり社会の安寧秩序です。一歩家を出れば暴漢に襲われたり、作物を作ればすぐに盗まれたりすれば、これはもう社会は成り立ちません。やはり国民の為になる一番大切なもの、最高のものは「社会の安寧秩序」なのです。
また正しい、正しくないは問題があるから必要なのです。問題が何もないなら「正しい」なんて必要ありません。つまり社会的問題を解くには「正しい」が必要になります。では正しいとは何でしょうか。正しいを辞書で引けば「あるべき姿があり、それと合致している様」と書いてあります。それでは「あるべき姿」とは何でしょうか。それは正しい根拠、理由です。みんなが正しいと思っている根拠、理由に自分の考えが合致するから「自分の考えは正しい」と言えるのです。
ですから自分が正しいと言うためには正しい根拠、理由がなければならないのです。そしてあらゆる社会的問題の根拠、理由は上記で示したように「国民みんなの為、社会の安寧秩序の為」なのです。
ですから正しいとは、あるべき姿である「社会の安寧秩序の為」に自分の考えが合致していることなのです。つまりこれはあらゆる社会的問題を解決するためのひとつの「方程式」が出来たと言うことなのです。何故なら「社会の安寧秩序」に合致していれば正しいと言えるのですから。
私たちは「正しいとは何ですか?」と聞かれてもなかなか答えることが出来ません。私も多くの人に聞いてみましたが誰も「正しいとはこうである」と答えた人はいませんでした。しかし社会的問題に対する「正しいとは何か?」が分かったのです。それは「国民みんなの為、社会の安寧秩序の為」です。正しいとは何か?それは「国民みんなの為、社会の安寧秩序の為」に道理的、論理的に合致していることが正しいと言うことなのです。
ですから死刑問題なども人権に反するから死刑は廃止すべきであると言うのではなく、また凶悪犯は死刑にすべきであると決めつけるのではなく社会的問題を解く方程式である「国民みんなの為、社会の安寧秩序の為」に合致する方が正しいと考えればいいのである。これにどちらが道理的、論理的に合致しているかと議論すれば、長らく議論されてきてもなかなか結論が出なかった死刑問題もやがて解決に向かうのではないでしょうか。
いろんな社会的問題もすべて正しい根拠、理由である「国民みんなの為、社会の安寧秩序の為」に合致するように考えていけば正しい結論に辿り着けると思います。
どうでしょうか。私の見つけた問題解決の方程式は間違いありませんか?
No.9ベストアンサー
- 回答日時:
#8です。
>綺麗ごととは「とてもできないようなことを言っている」という意味です。
:
了解しました。
>あなたはNo6 で「現段階の人類は未だ本能の占める領域が広すぎて、本能の言いなりになる部分の多い自我同士がぶつかりあっている状態」と書いていますが、悪をやるのは理性です。理性のない動物だけの世界に悪は在りません。
:
はい、おっしゃっていることは非常によくわかります。
おっしゃるところの『理性』は、「本能の言いなりになる部分の多い自我」とお考えいただいてよろしいかと。
本来の理性と、理性と思い込んでいるものとは別物だということなのかもしれませんね。
動物の場合も、単に性欲・食欲以外の自我的本能みたいなものもあったりするらしいです。プライドとか仲間外れとか嫉妬とか、なかなか複雑とのこと。
精神分析の岸田秀だったと思いますが、昔、人間は本能の壊れた動物である、みたいなことを言っていました。
人間が人間である以上、純粋本能にのみ従って、それこそ純粋に生きることは難しいという宿命を背負っているのかもしれません。
理性というか、超自我性をどこまで組み込んでいけるか、といったことになるのでしょうね。
>私たちは人を殺すことはいけないと感じます。このように本能は人を殺すことは悪いことであると知っているのです。
私たちは「善いな~」と感じることがあります。それは本能が快いフェロモンを出しているのです。私たちは本能的に善を感知しているのです、それが正しいの基となっているのです。私たちはすでに本能的に善を感知して生きているのです。
:
それを妨げているものは何か、ということになりそうですね。
たとえば自分の「善いな~」と他者の「善いな~」がバッティングする場合など。
hakobuluさん
>おっしゃるところの『理性』は、「本能の言いなりになる部分の多い自我」とお考えいただいてよろしいかと。<
私も良く分かりませんけど、本能は絶対善です。何故なら種族保存の為にどうしても必要だから本能となったのです。絶対善は群れを守る事、それは社会の安寧秩序を守ると言うことです。理性の中に良い理性と悪い理性が在るのです。善人とは自分の利益を損なおうが公の為に行える人です。
悪人とは公に害を与えようが私欲を優先する事です。我々凡人は善と悪の間をうろちょろしている存在なのです。
>精神分析の岸田秀だったと思いますが、昔、人間は本能の壊れた動物である、みたいなことを言っていました。<
本能が壊れているとは本能が働くなると言うことです。本能は機能的に出来ていて使わない本能は長い年月をかけて消えていきます。本来子供たちはよく遊び喧嘩をし危険な遊びを経験して生きるための本能をいきいきさせているのです。しかし現代は危険なことはさせない、喧嘩はダメという、こんなことばかりやっているから本来働くべき本能が働かなくなっているのです。私はこれらを戸塚宏先生から学びました。私の知識は殆ど戸塚先生によるものです。
>それを妨げているものは何か、ということになりそうですね。たとえば自分の「善いな~」と他者の「善いな~」がバッティングする場合など。<
「善いな~」と言うのは本能から来るものですから皆さん同じものです。正しさがバッティングするのは理性で考えられた正しさです。皆さんが善は人それぞれと考えているから絶対善は在ると主張しているのです。絶対善を知れば答えは一つに収斂していくでしょう。
No.13
- 回答日時:
★(№12お礼欄) 正しいとは何か?
☆ ただしいとは ただしいともみんな(というあいまいなままにしています)が
そうだとみとめることです。
常識・コモンセンス・共同主観です。その認識内容について 妥当性あるいは合理
性があるとみとめられたものごとです。
★ まあそんなに難しく考えなくても私たちの社会にとって最も大切なものは「社
会の安寧秩序」です
☆ 盾突くのではなく わたしの言い方では いのち・存在・人格・自由意志・こ
れらの互いのとうとび――そしてそれにもとづく社会における人びとの共生〔また
秩序もでしょうか〕――です。
No.12
- 回答日時:
★(№10お礼欄) 絶対善があればその反対が絶対悪です。
☆ 人間のおこなう経験行為やこの世の経験事象に 《因果関係から
自由なモノ・コト――これが 絶対性ということです――》は あり
ません。
★ 絶対善が「私より公を優先すること」であれば悪は「公より私を
優先すること」です。
☆ 《公共のもの・公益》といった具体性を持つなら 或る程度はっ
きりしますが 《私に対する公》というだけでは その内容ははっき
りしません。
くるまの左側通行だとか交差点での信号の規則は 公共の制度として
出来上がっていますが それは 個人が私的に交通するために適切な
形態としてみんなで取り決めたものです。
その証拠に くるまが右側通行の場合もあるわけです。
公か私かどちらを優先するかといった基準で判断せよ・行動せよとい
う考え方は なお個人の多様性に切り込んで 正解をあきらかに認識
することができるようになるとは 思えません。
★ 悪とは公の為にならないと知りながらも私欲を優先させることで
す。
☆ ぶっちゃけた話としては 現在の人間は 社会のルールにのっと
ってそれぞれ私欲を実現させようとしているわけです。
その上に・そのほかに 何か倫理的な規範を持ちそれに従って行動せ
よと言っていますか?
法律やあるいはナラハシとして必要なものを あたらしく導入すると
いうなら そのように具体的に提案すればよいのです。
bragelloneさん
私は正しいとは何か?を知りたかったんです。誰に聞いても分かりませんからね。それはそうです。正しいとは何か?とは正しいの本質とは何かということです、正しいの本質とはそれがあるから正しいと言えるもの、またそれがなければ正しいと言えないものです。
いろんな正しいが在りますがそれらすべてに内包しているもの、いわゆる正しいのイデアです。
まあそんなに難しく考えなくても私たちの社会にとって最も大切なものは「社会の安寧秩序」です。本能的に知っているのですよ。動物たちも性欲よりも群れの秩序を守ると言う本能が上位にあります。ゆえに群れは秩序が保たれているのです。
一歩家を出れば暴漢に襲われたり、何か作ればすぐ盗まれたりすれば、これはもう社会は成り立ちませんから。ですから絶対的に正しいことは「群れを守る事、社会の安寧秩序を守ること」です。決まっています。これ以上に大切なものがあると言うなら示してください。
そしてそのために最も正しい行為が「私より公を優先する行為」です。分かり易く言えば愛や思いやりです。つまり「私欲を少し抑えて公の為にとみんなで考えること」なのです。これ以上に正しい方法、行為はありません。
群れが一番うまくいくには「愛や思いやり、公の為と考えること」だよと大自然は教えてくれているのです。
No.11
- 回答日時:
頭が冴えている時に絶対というものは無い。
しかし、私の中には有る。探そうと思いました。今は深刻な悩みの中で絶対は有るのか分かりません。余裕が無い。
貴方は貴方で探しなさい。私は私で探します。
注意が有ります。思い込まないことです。知能が低い者は思い込まないで考えるのは難しい。
しかし、その人の考えを調べているわけではないのです。普遍で絶対は有るのかを調べているのです。
人というものは思うと※になります。思い込めば※になります。考え込めば※になります。
その人の思い、考えをを世界だと思うのは過ちです。
NNNTraditionさん
正しさは人それぞれでは、ヒトラーに様に「俺が考えたことが正義だ!」ということになります。絶対善が必要なのです。絶対善は「私欲を少し抑えて公の為とみんなで考えること」です。独善を許しません。ほとんどの問題はみんなの為にあります。ゆえに何事もみんなで公の為と考えなければならないのです。
財務官僚が天下りの為、国民と話しあおうともせず独断で増税を決める、こういうことが悪なのです。奴らにとって天下りが国民の幸せより優先するのです。
しかし国民が正しいとは何かを知れば日本も変わっていきます。正しいとは公(みんな)の為なのです。正しいとは群れを守る事、社会の安寧秩序の為、みんなの幸せの為、つまり公の為」なのです。
No.10
- 回答日時:
ひとつに 動機の押しつけ・あるいは操作は まったくうべなうことは
あり得ません。
一人ひとりのわたしの意志を踏みにじるという不法行為を侵します。
ファッショにつながることは ダメです。
たとえば 《一般意志(ヴォロンテ・ジェネラル)》は 思考の段階に
おいて〔のみ〕 有益な考え方であるかも知れないという程度なのだと
考えます。
ひとつに ともに生きるという課題で考えるときに 動機の問題とその
政策(案)とを分けなければいけません。
極端な話 動機がいかにあれ――たとえばあの首相はいけすかないから
追い落としてやれという心づもりであっても―― よい政策であるなら
ば 賛成票が投じられましょう。
政策の実施という問題は けっきょく――しばしば多かれ少なかれ――
後戻りのむつかしい社会的・歴史的な実験になります。
むろんほかの国々との外交・調整という作業もありますが 国民として
は そういった試行錯誤であるということをわきまえるのがよいでしょ
う。
そういう意味で やむを得ず多数決で決めるという考え方も みとめら
れています。
★ 諸問題の解決方法
☆ を考えるにあたって おそらくみんなの考慮してよい前提事項を挙
げてみました。
★ 絶対善
☆ を説くことのまづいところは それでは 絶対悪があるのか? と
問い返されるところです。理論的な問題を別とするなら。
bragelloneさん
何度も言いますがあなたの文章は全く分かりにくい、何を言いたいのか分かりません。
>絶対善を説くことのまづいところは それでは 絶対悪があるのか? と
問い返されるところです。理論的な問題を別とするなら。<
絶対善があればその反対が絶対悪です。絶対善が「私より公を優先すること」であれば悪は「公より私を優先すること」です。悪とは公の為にならないと知りながらも私欲を優先させることです。
No.8
- 回答日時:
#7です。
>綺麗ごとですけれども絶対善ですから、難しいけれど最高のことを示しているわけです。ですから私欲を少しでも抑えて公の為と考えなければならないのです。その代わり他の皆さんが私のことも含めて公の為と考えてくれるのですから心配はいらないのです。
:
そうなるときは、信頼関係が前提として構築されている素晴らしい世界でしょうね。
『綺麗ごと』というのは、おそらく本能には逆行する、という意味になるのでしょう。
わたしは、本能的に善が感知できるようになる手段がないものかと考えています。
世の中全員千代女であれば、たしかに理想的かもしれませんね。
句を見るたび、優しさというより、心のゆとりであるような印象を受けていました。
hakobuluさん
>『綺麗ごと』というのは、おそらく本能には逆行する、という意味になるのでしょう。
<
綺麗ごととは「とてもできないようなことを言っている」という意味です。
あなたはNo6 で「現段階の人類は未だ本能の占める領域が広すぎて、本能の言いなりになる部分の多い自我同士がぶつかりあっている状態」と書いていますが、悪をやるのは理性です。理性のない動物だけの世界に悪は在りません。
悪さをするのは理性なのです。悪とは公に害を及ぼそうが私欲を優先する事です。自分の為だけに生活していても公に反したことをしないならば悪ではありません。しかしそれは善人でもありません、凡人です。
>わたしは、本能的に善が感知できるようになる手段がないものかと考えています。<
私たちは人を殺すことはいけないと感じます。このように本能は人を殺すことは悪いことであると知っているのです。私たちは「善いな~」と感じることがあります。それは本能が快いフェロモンを出しているのです。私たちは本能的に善を感知しているのです、それが正しいの基となっているのです。私たちはすでに本能的に善を感知して生きているのです。
No.7
- 回答日時:
#6です。
>ですから私は善とは「社会の安寧秩序を守る事」であり、そのために最も優れた正しい方法が「私より公を優先する行為、つまり愛や思いやり」であると定義しています。
:
『愛や思いやり』が他人のためではなく同時に自分自身のためである、と実感できたときに、善は自然に実現するような気がしますね。
そのためには、我=彼であることの証左を科学的に示すことが有効かと思う次第。
因みに、私は哲学にも科学にも疎い、ただのおっさんです。
あなたはお若い方のようですが、まあ、お互いぼちぼち行きましょう。
コメントありがとうございます。
>『愛や思いやり』が他人のためではなく同時に自分自身のためである、と実感できたときに、善は自然に実現するような気がしますね。そのためには、我=彼であることの証左を科学的に示すことが有効かと思う次第。<
本来は私欲を抑えて公の為と考えるときには、私欲をみんなが持って考えたならば、よい結論にはならないのです。綺麗ごとですけれども絶対善ですから、難しいけれど最高のことを示しているわけです。ですから私欲を少しでも抑えて公の為と考えなければならないのです。その代わり他の皆さんが私のことも含めて公の為と考えてくれるのですから心配はいらないのです。
加賀の千代の句に「朝顔につるべ取られてもらい水」というのがあります。朝顔にも思いやりを持つ、つまり植物も人間も同じである、主客同一というか、私より公を優先するとは行きつくところは禅の境地かもしれませんね、良く分かりませんが。
>因みに、私は哲学にも科学にも疎い、ただのおっさんです。あなたはお若い方のようですが、まあ、お互いぼちぼち行きましょう。<
私もあなたと同じおっさんです。でも私は急いでいます。このままでは日本は沈没してしまいます。なんとか日本を変えなければなりません。
No.6
- 回答日時:
>しかし社会的問題に対する「正しいとは何か?」が分かったのです。
それは「国民みんなの為、社会の安寧秩序の為」です。>私の見つけた問題解決の方程式は間違いありませんか?
:
いいところまで行っていると思いますね。
他の見解もほとんど同意できます。
ただ、肝心なのは、それをどのようにすれば人々が納得できるか、という点でしょう。
現段階の人類は未だ本能の占める領域が広すぎて、本能の言いなりになる部分の多い自我同士がぶつかりあっている状態。
アプリオリに備わっているはずの超自我性が発揮されるためには、感覚的に、つまり本能にもビビッとくる感じで何らかの真理が提示される必要があると思います。
トランプせよ金正恩にせよ安倍晋三にせよ、「たしかに、そう言われてみりゃ、そうだよな」と得心のいくような真理の登場が必要です。
これが無いと、「みんなの為」は一過性に終わってしまうでしょう。何しろ本能の本質は自らの生存ですので、これを凌駕する真理は余程のものでなければ弾き飛ばされてしまう。
これが有ると、なにしろ真理なんで「みんなの為=自らの為」ということにならざるを得ず、誰しもが得心して結果的に「みんなの為」が自然に実現されることと思う次第。
個人的には科学的事実から、その真理は導き出されるべき、というか、それしか無いだろうと思っています。
途上ですが、一応、入口に近いところまでは来ているはず、と考えている。
真理を導く論理過程を、もう少し詰めつつ、肉付けしていかなければならない、という段階です。
>いいところまで行っていると思いますね。他の見解もほとんど同意できます。ただ、肝心なのは、それをどのようにすれば人々が納得できるか、という点でしょう。<
賛同のコメントありがとうございます。私は哲学には詳しくないので、ある哲学掲示板で「一緒に善の定義をやりませんか」と問うても誰も賛同してくれません。やはり絶対善と言えば拒否感は強烈ですね。
しかし地動説も科学者たちが認めれば一般の人たちも認めるようになるのです。ですから私も哲学者などにメールしいてるのですが、ほとんど無視されていますw
辞書で善を引けば「善とは道徳的に正しい事、また道徳的に正しい行為」です。ですから私は善とは「社会の安寧秩序を守る事」であり、そのために最も優れた正しい方法が「私より公を優先する行為、つまり愛や思いやり」であると定義しています。このことを分かってもらう為に手を変え品を変え投稿しています。
あなたも科学的見地から真理を考えておられるのですね、お互い頑張りましょう。
No.5
- 回答日時:
国民みんなの為、社会の安寧秩序の為と発見したあなたは素晴らしい。
しかし、多くの人間は自己中心なのであなたの意見は潰されるでしょう。
しかし、論語に在るように庶民は草のようなものである。風が吹けばなびく、と在る様に
多くの人が国民みんなの為、社会の安寧秩序の為と発言すればあなたの発見は通るでしょう。
嬉しいコメントありがとうございます。
>しかし、多くの人間は自己中心なのであなたの意見は潰されるでしょう。多くの人が国民みんなの為、社会の安寧秩序の為と発言すればあなたの発見は通るでしょう。<
「正しいは人それぞれ」というのは皆さん納得しやすいので、天動説である相対主義がはびこっています。ですから変えるのは大変です。手を変え品を変え皆さんに「絶対善はある」と分かり易く説明しているのです、この投稿もその一つです。分かってもらう為にはあと7~8年はかかるでしょう。
絶対善は「みんなの為であり、そのためには私欲を少し抑えて公(みんな)の為と一人一人が考えること」なのです。これ以上のものはないのです。
絶対善など、コイツ頭がおかしい!と考えずに、深く考えてもらえれば、やがてわかってもらえると思うのですが・・・大きく言えば、絶対善こそが日本を変え世界を変え、やがて世界平和に繋がると信じています。
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