これ何て呼びますか

哲学の普遍性なる太陽は 人間たるおのれが生きるところに輝くはずだ 

いや 輝いている と知ることになるその問い求めの道が 哲学であり

そのよろこびだ。

――ということであろうか?



言いかえると 哲学は たがいに社会を成してまじはり交通する主体そ

のもの・その動態そのことである。したがって それらの交通を整理す

ることの中には よろこびは すくない。

――というのが 人間の真実なのであろうか?




ひとつの疑問は こうである。:

太陽のほろぶ未来をすでにいま先取りしてかからないのだろうか?

いま 終わりから始めるのが 哲学の道ではないだろうか?

なぜなら 哲学は世界のすべてであるのだから。



みなさんの見解やいかに?

A 回答 (1件)

疑問、一つじゃないじゃん。

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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

☆☆ 太陽のほろぶ未来をすでにいま先取りしてかからないのだろうか?
☆ その《未来》というのは 《すべての終わり》にふくまれます。

したがって:
☆☆ いま 終わりから始めるのが 哲学の道ではないだろうか?
☆ つまり いま現在の時点で 《終わり・あるいは未来の任意の時点》
をも先取りして 〔いま現在の情況を把握し問題に取り組むという〕哲学
の作業に入る。

☆☆ なぜなら 哲学は世界のすべてであるのだから。
☆ 空間としても・時間としても すべてを捉える視点に立つ。




そうであるからには いまいかに着実に歩をすすめつつ いかにその信ず
る道を行きその時々の成果を噛みしめているのだと言っても そのよろこ
びのあいまいさたるや そよ風の前の塵埃のごとし。・・・と言われても
仕方がないのではないか?



こういう趣旨の疑問点です。

お礼日時:2019/04/01 09:18

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