日本各地にはお寺が存在し、広い敷地と立派な建物があることが多いです。
今の時代、悩んでいる人・苦しんでいる人は多く、そういった社会問題を解決しようと慈善活動・社会活動・NPO活動を行っている人も出てきていますが、そういった活動において、寺や仏教は影が薄いです。
困った人の受け入れ先となる駆け込み寺、貧しい子供のための子ども食堂なども、お寺は関係していないことが多いです。
駆け込み寺なんて、「寺」という漢字がついているのに、寺以外の団体が運営しています。また、子ども食堂はキリスト教の教会はやっていたりするのに、お寺はやっていません。
街中でお寺ほど敷地に余裕のある場所はなく、仏教は悩み苦しむ人を救うのが本来の教義であるはずなのに、慈善活動や救貧活動に熱心でないのはなぜでしょうか。
No.2ベストアンサー
- 回答日時:
たぶん、今の寺は実質世襲制になってしまっているからでしょうね。
本来は優秀な弟子の中から次の住職を選ぶべきところを、自分の子供しか弟子がいないので多くは長男が家業を継ぐ感覚で住職になってしまう。
もちろん、各宗派違いはあるにしても修行の末坊主になるんですが親の地盤受け継ぐのでは使命感みたいなものは生まれにくいと思います。
まあ、でも、やっている人はいないことはないです。
金取らないで小学生の塾みたいなことやっていたり、他国の文化を紹介する催し開いたり。
No.10
- 回答日時:
> 檀家は減ってますし、葬式もイオンが行うようになり、僧侶の仕事は減っています
イオンだけではありません イオンしかご存知ないですか いろいろ参入しています
そして、そこで契約してノルマを課されて、それで寺を維持する僧侶が多数います
仕事へるどころか 僧侶の仕事は増えるばかり
> 私の意見に反対されたいようですが、それなら具体的に反論いただきたい
すべて具体的に申し上げておりますが 回答を閲覧なさいましたか
> 具体的にどう忙しいのか、施設を遊ばせていないならどういう仕事に使っているのか
それも申し上げてありますが 回答を閲覧なさいましたか こまったな
> 他に立派な建物と敷地があるなら、どこなのか
あなたは外を出歩いたり旅行したりTV番組を視聴したりなさらないのでしょうか
No.9
- 回答日時:
> 宗教施設なんて、どれだけ人に使われてナンボです
すでに、ひとに使われています あなたの主張に沿う仏教施設は僻村の廃寺です
是非お探しになって利用しませんか、あなたご自身の手で
> 檀家がどう思うかなんて気にしたら何もできません
なに様でしょうか
> 田舎ならいざ知らず、都会にはないですね。寺院くらいでしょ
ありますよ広い敷地と立派な建物 あなたがご存知ないだけ
> 個人の住宅はもちろん使えないし、公共施設も、民間施設も用途が決まっており
お寺も用途が決まっております じつに、おかしな話しです つじつま無用の論法ですね
> 特に、仏教は悩み苦しむ人を救うための宗教です
すでにお寺は、それをやっております
お寺は広い敷地と立派な建物を持っていても無駄に遊ばせているわけではありません
それをいくら告げても無視して回避されるのは結論ありきのことだと思えます
広い敷地と立派な建物がいくらもあるのに、なぜ寺院のみを標的とされるのか 寺院だけ
が例外的ですか、あなたにとっては
いますこし勉強されていただきたい お寺の知識がうすいのに語っては、なりません
No.8
- 回答日時:
> 全く理解されていない
そのお言葉そのままそっくり、お返しいたしましょう (笑)なんて不要な修飾ぬきで
> NPO法人のために名義を貸したり、寺の敷地を慈善活動の場として提供しても、
> 僧侶の追加負担はゼロです。むしろ安くても場所代を取れば、経済的に楽になり
ます
わたしの記述をご覧になっていない、もしくはご覧になっていても読解力がないかの
ような、お話しぶりです ご覧になりましたか それともあらかじめ結論ありきで無視
なのですか
檀務に忙殺されているか兼業しながら檀務を勤めるか葬式寺かご祈祷寺をやるか
で、それにくわえてさらに場所を提供だのと、やっている余裕ありません
場所を貸しっパだけで場所代を稼ぐとか、それもありません おかしな話しです
お寺をご存知ないのは明らかですね、あなた お寺は忙しいのです 場所を貸して
はいられません いろいろやることがあって事前に準備もあって 事前も予定もなか
った法事も急に入って それが日常です そこへ部外者が入ったり出たりすれば、
どうなるか想像できませんか
お檀家が出入りする場です にわかにNPO法人?慈善活動?の人らが出入りして
環境が変われば、お檀家にストレスをあたえかねません あなたは墓参や寺参りを
されたことがありますか ちょっと想像できませんか
> 僧侶が行う修業のプログラムに、慈善活動を入れればいいだけです。かかる労力
> は変わりません。山に籠ったり托鉢する代わりに、社会奉仕活動をした方がよっぽ
> ど本人と社会の為になります
結論ありきですか 僧侶が行う修業 意味ないですか、あなたにとって
教員資格のない教師や医師免許のない医師でも、ありですか おかしな話しです
修行歴のない人を僧侶だと、だれが思うのでしょうか おかしな話しです
あなたは、なぜ僧侶と寺院だけをターゲットにしたがるのですか
さきにも申し上げましたが 広い敷地と立派な建物は、とくにお寺でなくとも、よそに
あるのです あなたご自身が名義を貸したり敷地を貸したり、あるいは僧侶をやって
みてごらんなさいまし
No.7
- 回答日時:
> 金銭的に厳しいのは百も承知です
そうでしょうか 本気でそれをおっしゃいますか
お寺の損益分岐点はお檀家数200軒だとされています 分岐点を
下回っても、お寺は 損するだけだから辞める とは、いきません
ではどうやって維持をするのか
住職は檀務のために休みをとりやすい職に就いて、その収入から
寺院を維持します この時点ですでに慈善事業です 財産を持ち
出ししてまで檀家を守るのですから ちなみにわずか200軒であっ
ても住職ひとりでの檀務は、かなりハードです くわえて副業する
のですから、ただ金銭的に厳しいなどと安易に表現できません
あるいは業者と契約して葬式寺となります これを選択すれば連日
葬儀を執行するわけで、たいへんな激務です これはたまらん休み
たい、といってノルマを落とすわけには、まいりません
あるいはご祈祷寺となります これも選択すれば連日儀式を執行す
るわけで、たいへんな激務です
損益分岐点を上回れば上回ったで檀務に忙殺されます 土日祝日
は一切存在しません 明け方や深夜でもTelがかかってきます
> 極端な話、NPO法人と組んで名義と活動場所(お寺の敷地)を貸
して、実際の活動はNPOに任せればよいのです
…まったく極端なお話しです 上記のような現実があってなお、それ
をやれとおっしゃいますか 僧侶だったら過労死するまで人のために
働いて、すべて犠牲にしつくして死ねと、おっしゃいますか
わたしは、お寺を支持してお布施を納めていますから寺院を批判した
り場合によっては非難する資格を充分に具えていますが、そのような
過酷なことを他者に指図するほど厚顔無恥ではありません
さきにも申し上げましたが個人レベルでの活動をされるお寺さんはいら
っしゃいます できるお寺さんが、できる範囲のことをされています
それでは足りん そう思われますか
広い敷地と立派な建物は、とくにお寺でなくとも、よそにあるのですが
No.6
- 回答日時:
> 江戸時代以前は、そういった活動も行っていました
鋭いご指摘です ですが、お寺の現状にも考察と分析を願いたい
お寺の二割は損益分岐点を下回って住職が副業?で寺を維持
しているのです 維持できなければ潰れろや、ではありません
お檀家先祖累代の墓をあずかっていたり法類に迷惑かけないと
いった配慮が、あるのです 責務と痛みが、あるのです
損益分岐点を下回らないお寺は左団扇なのかといえば違います
左団扇なお寺もあるらしいですが、ふつうはなにがなんだか分か
らんほど多忙です
また
行政や司法に関わりかねない事例には、お寺は関わりづらいです
なぜなら 戦前から仏教界は富国強兵に賛同しつづけ政府もそれ
を利用してきた経緯から現在ただいまは政教分離が大原則です
わざわざ行政や司法と寺院が関わっているケースもありますが、
なにか慈善活動 社会活動 NPO活動 という規模ではありません
個人的な規模で活動されるお寺さんは、います
坐禅会ひとつやるだけでも、かなりお寺は負担です
こういってはなんですが、お寺を支持したり布施を納めたりしないお人
が寺院を非難されても、なんやねんそれ、です
No.5
- 回答日時:
これは、江戸時代に導入した、檀家制度が
原因だと言われています。
キリスト教の布教を阻止するため、江戸幕府は
檀家制度を設けました。
それでキリスト教布教は阻止できたのですが、
反面、仏教に競争原理が失われ、それが堕落の
原因だ、という説明です。
その檀家制度が、現在まで残っているわけです。
そのため、日本仏教は葬式産業株式会社に
成り果てたのです。
ちなみに、キリスト教ですが。
ルターの宗教改革で信者を減らしたカトリックは
国家と組んで外国布教へ乗り出しました。
大航海時代です。
だから、欧米以外の国のキリスト教はカトリックが
多いのです。
戦国時代に来日したイエズス会もカトリックです。
カトリックは、信者を増やすため
各地で貧民救済などをやりました。
このように、宗教といえども競争原理が働く
のです。
No.1
- 回答日時:
>仏教は悩み苦しむ人を救うのが本来の教義であるはずなのに、、、
かなり勘違いをされているようですが、悩み苦しむ人を救うために『法』を説くのが
本来の仏教なのです。直接何かを施して一時的に助けるという事ではないのです。
当然、大災害などが起きた場合などは、また別のケースとなりますが、基本的には
自らの苦を開いて自らが幸福境涯を築いて行けるように、仏の道に導くために仏教
はあるのです。
目先の事象ではなくて、根本的な教えを説いているのです。
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仏教の話でなく、お寺がそうしない理由を聞いています。
江戸時代以前は、そういった活動も行っていました。
お寺なんか、駆け込み寺や子ども食堂に最適です。
仏教の本来の教義に立ち返って説こうとする、それは「原理主義」です。イスラム原理主義がまさにそれ。
本来の教義に立ち返ることも大事ですが、今の時代にあわせて形を変え、仏教や寺院を社会の役に立てる方がずっと大事です。
金銭的に厳しいのは百も承知です。
でも、僧侶の修行の一環として慈善活動やNPO活動をやるとか、寺院の敷地を慈善活動・救貧活動のための場所として提供するとか、そういうことであれば金銭的な負担は必要ありません。
極端な話、NPO法人と組んで名義と活動場所(お寺の敷地)を貸して、実際の活動はNPOに任せればよいのです。
全く理解されていない(笑)
>お寺の損益分岐点はお檀家数200軒だとされています
→ 僧侶が行う修業のプログラムに、慈善活動を入れればいいだけです。かかる労力は変わりません。
山に籠ったり托鉢する代わりに、社会奉仕活動をした方がよっぽど本人と社会の為になります。
>僧侶だったら過労死するまで人のために働いて、すべて犠牲にしつくして死ねと、おっしゃいますか
→ NPO法人のために名義を貸したり、寺の敷地を慈善活動の場として提供しても、僧侶の追加負担はゼロです。むしろ安くても場所代を取れば、経済的に楽になります。
葬式利権にしがみつくよりも、仏教の本来の教義(悩み苦しむ者を救う)に立ち返り、社会にとって何が求められているか、改めて考えてみることです。
訳の分からないNPO法人よりも、お寺の方がよっぽど信用と財産があるのですから、いくらでもやりようがあります。
場所の提供ですが、不動産を管理してくれるサービスなんていくらでもあり、僧侶はそれに契約するだけです。負担などありません。
寺に人が出入りするのは当然でしょう。宗教施設なんて、どれだけ人に使われてナンボです。檀家がどう思うかなんて気にしたら何もできません。
僧侶の行う修行ですが、意味がないとまで言いませんけど、時代に即して変化してないのは確かです。
医者でも教員でも、時代に合わせて教育プログラムを変えてますが、僧侶が行う修行は江戸時代からほとんど変わっていません。
古い体制を守るばかりで、新しいニーズを掴む努力がほとんどなされていない業界にしか見えませんね、残念ながら。
>広い敷地と立派な建物は、とくにお寺でなくとも、よそにあるのです
→ 田舎ならいざ知らず、都会にはないですね。寺院くらいでしょ。
個人の住宅はもちろん使えないし、公共施設も、民間施設も用途が決まっており、使うにはそれなりの使用料がかかります。
一方、寺は広い割にガランとしていますし、僧侶が出かけていて不在のことも多いです。
せっかく寺院には課税が免除されているのだから、その場所を有効に使わないといけません。
特に、仏教は悩み苦しむ人を救うための宗教です。慈善活動や救貧活動は仏教本来の趣旨に即した活動なのです。
檀家は減ってますし、葬式もイオンが行うようになり、僧侶の仕事は減っています。
僧侶が忙しいというのも言い訳に過ぎません。
今の時代、葬式など金をかけずに簡素に済ませたいという人が多いです。
私の意見に反対されたいようですが、それなら具体的に反論いただきたい。
具体的にどう忙しいのか、施設を遊ばせていないならどういう仕事に使っているのか、他に立派な建物と敷地があるなら、どこなのか。