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参考書に17c、チャールズ1世(英:在位1625~49)の圧政に対して権利請願を起草したエドワード=コークは、ブラクトンの言葉を引用して法の支配を要求した。
 と、ありますがチャールズ1世に対してではないのですか?

A 回答 (2件)

権利の請願は、議会が、専制的な政治を行っていたチャールズ1世に対して出したものですよ。



>法の支配を要求した。

というのは、議会の承認なしに税を徴収しない、とか、法律によらずに国民を逮捕しない、ということです。
チャールズは議会や法を無視した(俗に言えば自分勝手な)政治をしていたわけです。

結局その後も王は権利の請願を無視して、議会を解散して自分ひとりで10年近く専制的な政治をしていました。

イギリスは王権が伸長しても、他の絶対主義国のように、議会が立法や財産上の権利を失うことがありませんでした。
17世紀になると、議会を通じて勢力を伸ばそうとする中産階級と、王権とで決定的に対立するようになります。

その象徴的な出来事が権利の請願であり、その後のピューリタン革命につながるわけです。
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こんにちは。



ピューリタン革命当時にはジェームズは国王神権という立場を取っていました。しかし政治の世界ではそれは同意を得られない状況でした。
これに対してエドワード・コークは「法は国王大権の道具ではなくその限界なのであり、普通法や判例という法の下に国王はあるべきである。」と国王を守ることを狙った論を展開しました。しかしコークは主席裁判官の座を追われ、その論は崩れ去ったという感じです。

ご参考まで。
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