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1956年に日ソ共同宣言がありましたがなぜ当時の米国のダレス長官は北方領土を日本に帰属したら沖縄はアメリカの領土になると恫喝したんでしょうか?

A 回答 (3件)

この条約の成立は、国際連盟規約、ロカルノ条約と連結し国際社会における集団安全保障体制を実質的に形成することになった。

すなわち19世紀の国際法によれば至高の存在者である主権国家は相互に対等であるので戦争は一種の「決闘」であり国家は戦争に訴える権利や自由を有すると考えられていたが、不戦条約はこの国際法の世界観(無差別戦争観)の否定であり、一方で連盟規約違反やロカルノ条約違反をおこなう国に対しては不戦条約違反国に対する条約義務からの解放の論理が準備され、「どの国家にせよロカルノ条約に違反して戦争に訴えるならば、同時に不戦条約違反ともなるので、他の不戦条約締約国は法的に条約上の義務を自動免除され、ロカルノ条約上の制約を自由に履行できる」と解釈された(制裁戦争)。
この条約はその後の国際法における戦争の違法化、国際紛争の平和的処理の流れを作る上で大きな意味を持った。( パリ不戦条約 _ wiki )
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 神風、侍、それら時代遅れの非民主主義、暴力を敢行した勢力・国家を 再度 野放しにする、とでも、考えたのではないでしょうか。
米ソによる東西冷戦自体も、キューバ危機(1962年10月から11月にかけてキューバに核ミサイル基地建設)やら各種代理戦争、奢れる者も久しからず、高圧的な勢力は、改善されつつ現在に至る のではないでしょうか。
平和へのハンドルは、残したかったのかもしれないですね。手放しは、急場にしても、アクションスターといえるのかもしれない。
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戦後の国取り合戦の延長上にある話です、ドイツや朝鮮の様に南北にならなかっただけ日本の判断は間違ってなかったのでしょう。


日本は沖縄だけでなく、日本中にアメリカ軍の基地があります。
半分植民地みたいなもんなんです、ソ連には北方領土だけで我慢しておけ、1週間やりたい放題やっただけなんだから、ましてや日本はそんな輩に頼み事をしてはならないという事でしょう。
国連自体が間違った組織ですから、新しい組織を作るべきでしょうね。
中国の事などヨーロッパは他人事ですから、そのくせパリ協定には煩いですから、自国のことだけしか興味がないのが自然なんでしょう。
全てが自国の都合であり、日本の様な敗戦国が文句を言える状態にないという事です。
右に付くか、左に付くかで考えれば日本はアメリカに負けたのであって、ソ連に負けたのではないという事です。
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ダラスの恫喝ですね。



当時は冷戦の真っ最中で、米国組とソ連組が
にらみあっていました。

日本は米国組なので
日本とソ連が接近するのを嫌ったからです。

米国としては、日本は米国の言いなりに
なって欲しいわけです。

それなのに、北方領土返還に伴い、ソ連と
仲良しになったら、米国が困ります。

米国にとって、日本はソ連や中国の喉元に
突きつけたナイフ的存在なんです。

そのナイフの切れ味が悪くなります。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
なるほど。
アメリカとソ連が争っててソ連と日本が仲良くならないでほしいということでの恫喝だったんですね。自分の勉強不足でした。ありがとうございました。

お礼日時:2019/06/03 23:22

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