
A 回答 (10件)
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No.10
- 回答日時:
#9です。
>一番あてになるのは本人自らの五感と感性ではないのですか?
:
デカルトによるとそういうことでしょうが、だからといって、
>議論することはたとえ哲学といえど無意味
:
ということにはならないのでは?
物自体というカントの概念は面白いと思うのですけどね。
存在論は一種の麻薬のよーなもので、誰でも簡単に飛びつくイージーなテーマなんだろーね。
その証拠に仏教であれ、ヒンズー教であれ、無だの空だのを安易に求める傾向があるが、はっきり言ってこれらには何らの思想性も理念も哲学も存在しない。完全なイカサマ、オウムの本質と同じである。
だから存在論は止めたほーが、人のため文明のためと言っているのです。
No.9
- 回答日時:
#5です。
リンク先拝見。
>この世は全て見た通り、聞いた通りの世界だからです
この世に有るものは現に有るのであり
禅問答など無や空について考えても無駄だからです
:
「見た通り」「聞いた通り」「現に有る」という認識自体に疑念を持つのが無意味とは思いませんがね。
人間の認識が、それほど確実なものなら、もっとましな世の中になっているでしょうよ。
もしも人間の五感やその感性を否定したならばこの世界にどんなことが起こりますか?
たとえば本人が足が痛いと言っても、周囲の人間が「いやいやそれはあんたの妄想に過ぎない」なんてことで片付けられるのではありませんか?
そんなことが普通に起こってもいいんですか?
一番あてになるのは本人自らの五感と感性ではないのですか?
No.7
- 回答日時:
No.4です。
> いやいや既に答えはでているから。
何処に?
> 不毛なことを議論しても不毛なんだよ。
貴殿のご質問自体を否定されているのであれば、納得です。
No.6
- 回答日時:
そのとうりです。
200年前にカントが解き明かした人類2000年の誤解を、200年後の21世紀に繰り返すのは無駄と思います。
ontologyをやりたい人は宗教のスレッドでどうぞ!
No.5
- 回答日時:
どんな物・事であれ、何かについて語ることが不毛ということはない。
何かについてどのような視点で語るのか、という点は常に問題になり得る。
>「宇宙は存在する」のであるから
:
という根拠にもとづき『存在論』を批判するのであれば、宇宙はどのように存在しているのか、ということを示すぐらいの責任はあるのでは?
>宇宙はどのように存在しているのか、ということを示すぐらいの責任はあるのでは?
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/11156076.html
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