アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

私のご先祖は、江戸時代は郷士で農村に住んでたんですが、藩の士分(藩士)として何代ぐらいにわたってかは分かりませんが雇われていた時期があります。江戸後期には、藩士は解雇され、名字帯刀はそのままで郷士にまた戻りました
城勤務の長い間、農村の実家の家の田んぼの管理は誰がやってたんでしょうか?奥さんや子供は城下の武家屋敷に住むでしょうし
それと解雇されたら実家に戻れませんよね?
因みに、お墓は城下ではなく実家がある農村にありました、遺体を農村まで運んだんでしょうかね

質問者からの補足コメント

  • 小作人に屋敷、田んぼを任せて、小作人には給料払って、とれた農作物は自分の物というわけですね

    No.1の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2019/06/15 20:50

A 回答 (3件)

たぶん実家は兄弟や親戚が管理していたと思います。

田畑も親戚や兄弟が耕していたと思いますが一般に郷士の所有地は広いので大半は小作に出していたと思います。小作人に手当を払って耕してもらうのではなく田畑を貸して小作料を払ってもらうのです。受け取った小作料の中から領主へ年貢を納めます。年貢は土地に対して掛るので武士でも私有地の年貢は納めます。
領主から暇を出されても金銭的に困ることはないでしょう。田畑からの収入の方が多かったかもしれません。

拙宅の近くにズバリ郷士がいました。主人は20Kmほど離れた城下で暮らしていたと思われますが村の五人組の構成員になっていますから村人としての義務も果たしていたと考えられます。分家があったので普段は分家が田畑も含めて管理していたのではないでしょうか。多くの田畑を持っていたため地主としての顔も持っていました。この家の墓は当地にあります。

村にはもう一軒武士がいました。江戸初期の開拓者でその褒美として御免地も持っていました。分家が2、3軒あり協力して広大な田畑の管理をしていたと思われます。拙宅も昔はここの小作をしたり土地を買ったりしたようです。
幕末に出仕していたことはわかっていますが江戸中期ははっきりしません。もしかしたら領主からの禄より農業(というより地主業というべき?)に専念した方が実入りが良かったのかもしれません。ともかく田畑を持っている武士にとっては武士業の方が副業でしょう。この家の墓も当地にあります。
一般に殿様は幕府の指示で領地を与えられただけで領地とは何ら縁故はありません。領地をうまく経営できるかどうかはそこに古くから住みついている有力者にかかわります。へたをすると殿様も地侍や郷士には頭が上がらなかったと思いますね。極論すれば殿様より郷士の方が偉いんです!!(少なくとも実力はあった)
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。ご回答を読みますと農地、屋敷の管理の件は、問題なかったみたいですね

お礼日時:2019/06/16 04:16

江戸時代ですから、お金ではなく、取れた作物を分ける形でしょう。


屋敷ですが、当時は大家族制。当主の近親者が住んでいたでしょう。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます
屋敷は親戚の誰かが、当主がいない間は住んで管理してくれていたっていうのは、ありそうですね

お礼日時:2019/06/16 04:24

小作という農業の下請け業者みたいな人がいます。

この回答への補足あり
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます

お礼日時:2019/06/15 20:47

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!