プロが教えるわが家の防犯対策術!

私はアレキシサイミアです。常に「感じるってどうやってするの?」と思いながら生活しています。そのため日記や作文でも事実の事しか書けず、小学生の頃から「どう感じたのか詳しく書こう」という注意書きが書かれ、とても不快でした。このような好き嫌いはあるのですが、例えば本を読んだ時、話を聞いた時など、何も感じることがなくただ知識を脳内に入れている状態です。出掛けた時も、「いつ誰とどこに何しに行った」くらいの記憶しか無く、特に言葉にするような感情など生まれないのに毎回感想を書かされ、小さい頃から感想文や反省の存在が苦痛でした。

そこで、辞書や本などで調べて、「ふつう人間はこれをしたらこう感じる」などの知識を入れて、それを自分の経験に結びつけて作文を書きました。

そうしていくうちに作文の文面上だけでなくコミュニケーションにも影響が及ぼすようになり、すぐに「すごく○○だった!」と思ってもいないことを長々と言うようになり、ふと我に帰ると「こんなこと思ってもないのにどうして私はいつも嘘や大げさな発言をしてしまうのだろう」と毎日のように悩みます。
例えば、学校でからかわれた時自分は笑って「えーそんなこと言わないでよー」などと話していてもそれが演技なことに自分でも気付かず、家に帰ると「あいつ私のことを悪く言った。あんな奴と二度と話すか。」と怒っている本来の自分がいます。しかしまた次の日学校に行くと昨日のような演技の繰り返しです。

「感情を話したら無口な自分が少しでも明るい人に見られるかな?」だったり「自分をこれ以上悪く見られたらつらすぎて生きていけないからせめて相手に悪い思いさせてはいけない」という気持ちからこのようなものへ発展しました。
直したいと思っても直したら本来の自分が受け入れてもらえないようで、余計いじめられそうで怖くて直せません。自分自身は本来の自分でいたいのです。でも勇気がありません。

どうしたら虚言癖のある自分を変えられますか?

A 回答 (1件)

性別や年齢が明確ではありませんが、文面から推理するに女性で、中学生か高校生のように思えますので一応そのつもりで書きます。



アレキシサイミアという病名をいつ、どこで、誰から、診断されましたか。

自己診断の域を出ていない印象を受けます。医療機関で正式に診断を受けておられるわけではなさそうです。

精神科や心療内科を受診したくても受診できないのは、ご両親の教育方針によるものでしょうか。こんな質問サイトを利用しているということは、あなたは医療機関にさっさとつながりにくい家庭の事情の方かもわかりません。

医者にすぐアクセスできない場合、何も食えそうなものがないんで餓死するみたいな気分になるよりはマシだろうかーと思うので、何か少し私の思うことを書いておきます。

あなたは発達障害を生まれつき持っている可能性はありそうだなあと私は思いました。
その場合は、アレキシサイミアとは別のキーワードに注目することになると思います。

・自閉症スペクトラム障害
・アスペルガー症候群

上の2つは、あなたの正式な病名や障害名ではありません。
民間人の私の知っているいくつかのキーワードの中では、あなたの悩みっていうか生まれつきの性質にマアマア関係あるんかもしれへんなー、でもまーきちんと検査しないと確かなことはわからんけどなー、競馬的に予想するなら、このへんが本命ちゃうんかー?というかんじで、選び出しただけです。

自閉症やアスペルガーの性質は、まわりから少し浮いてしまったり、からかわれたりする原因にもなります。

たぶんそのせいで、あなたには今、解離という現象が生じやすくなっています。
あなたは解離のことを「虚言癖」と書いていましたが、一応精神医学の言葉で訂正させていただくと、解離というほうが正しいです。虚言というのは、また別の種類の心の態度をいいますので、まぎらわしいから遣わないほうがいいですよ。

いまできるだけかんたんにいえば、解離はストレスがたくさんあって体がへとへとに疲れているときにはひどくなり、ストレス何もないし体も元気っていうときはあまりひどくならない、自我状態を言います。自我状態といってもいいし、自意識とか、自己認識といってもだいたい同じです。

へとへとにつかれてて解離がひどいときの自我状態(自意識)は、白と黒みたいにバーンと対照的なふたつの状態に分かれてしまうことがあります。
そうかとおもうと、解離した自意識は、まるで樹木のように、あっちこっちの方向に伸びながらどんどん細かく枝分かれしてゆくこともあります。
他にもいろいろな解離の自我状態のバリエーションがありますが、さしあたり、解離の症状を応急処置で一旦落ち着かせるのに有効なのは以下のようなことを全力でがんばることです。

以下のことを全部一気にやれという意味ではなくて、まあなんか、さしあたりできそうなやつが1つでもあったら、その1つをしばらく真面目に取り組みつづけてほしい、という意味です。睡眠食事お風呂は別枠として日々心がけてほしいけど、あとは好きにどうぞ。

・1日8時間めやすで、きちんと寝る
・食事のバランスをとる
・できるだけ毎日お風呂に入る

・無理をしない、がんばらない、いやなことをしない。ことわる。にげる。さぼる。
・みんなにうわべで合わせそうになったら、足を引く。実際に一歩も二歩も足を引いて、離れてみる。目をそらしたり、背中を向けたりするだけでもいい。
口先で合わせるしかないときも、目をそらす、手を後ろに隠す、そういうことをしながら今、自分はみんなに調子を合わせたくないんだ。という意思表示を何かの形で表現しようとすること。

・「私はそうは思わない」と毎日唱える。誰かの居る場所で言えるときは言ってみる。
・「私は私、みんなはみんな」と唱える。誰かの居る場所で言えるときは言ってみる。

・一人でいるとき、学校の中では感じなかった気持ちをハッキリ感じたり、「これが本来の私だろうな」と自分で思える気持ちやイメージがハッキリ出てきたときは、どういう気持ちやどういうイメージでも、そのまましばらくじーっと観測しつづける。良いとか悪いとか、正しいとか間違いとかを自分で決め付けないで、ただそのまま、ありのままを観察する。もし、アサガオの観察日記みたいに「心の事実の記録」をかけそうだったら、書いてみる。できるだけ正確に、描写をする。丁寧に感じて表現をする。誰かの真似をしなくてよいので、本来の自分の言葉で書いてみる。

・両親を説得して精神科や心療内科につながることが難しい場合は、スクールカウンセラーや学校の教員に信頼のおける人物がいないかどうか、考えてみる。それも誰もいなければ、地元の児童相談所や保健所に「心療内科を利用したいが、家庭の事情で親の許可が出ないので、どうしていいかわからない。たすけてほしい。」と相談すると、すぐに具体的な支援は受けられないかもしれないが、さしあたり、まったくシカトされたりはしない。記録を残しておいてもらえる。お金もいらない。そのことを覚えておくと万一のときに、役立つ。

・植物や動物や天気をよく見る癖をつける。嘘をつかない、ごまかしのない、そのままそこにあるものを丁寧に見る。人間が加工していないものを見たり食べたりさわってみたり、香りをかいだりしてみる。植物園や動物園や海、山、土をはだしで踏める場所、を時々探して遠足に行ってみる。学校を休んで行っても良い。

・プラネタリウムや実際の天体観測所にも行ってみる。何を正直でいつわりがないと感じるか、自分で探し回る。人工的なものでも正直だと感じたら、どうしてかな?と真剣に答えを出してみる。美術館や博物館にも正直なものやごまかしの多いもの、いろいろなものが入り込んでいる。自分で仕分けをする。人にお任せしないで、自分の脳や目や感覚で分ける。「好き嫌い」や「自分にとってのすばらしいもの、よいもの、きれいなもの、ただしいもの」をちゃんとわかっておく。わかんなーい。で投げ出さない。なるべくいろいろなジャンルから、バイキングの料理を自分でお皿にとりわけてゆくように、お気に入りを選び出す。「主体的になる」こと。自分の感覚や感情を人任せにしない。赤ちゃんみたいに、誰かにやってもらおうとしない。

上のようなことは、あなたの解離やあなたの発達障害自体を治すやり方とは違うことも、一応言っておきます。発達障害は病気じゃないので治す方法はないし、個性というほうがいい。

いま周りにウロウロしている同級生たちは、もしかするとあなたの善き友ではないかもわかりませんが、敵でもありません。しかし、不当に侮辱されたりからかわれたりしたときは、「ふゆかい」という言葉を相手の目をまっすぐに見ながら、静かに口に出しても、いいと思います。

相手を侮辱したり攻撃する言葉を一切使わないように注意することが、あなたを賢くするコツです。「不愉快」というのは、あなたの感じ方を表明しているだけです、そういう言葉で相手にけん制を与えることは、暴力ではありません。「私は今おこっている」という言い方も、あなたを賢くします。普通の上品な言い方で言えばそれでいい。お祈りをして神様に話すつもりで口にすると、うるさく乱暴にいわなくても、届くのだとわかります。

直接相手に声に出して言えないとしたら、家に居るときではなくて、学校にいるとき、不愉快に感じたら、心のなかで(ふゆかい)と唱える練習をしてみてください。学校の中であなたが誰に心を支配されているのかわからないが、学校の中でもあなたが本音を感じていることを、何回も自分で確認してください。心を回復させるためには、段階を踏まなければ行けないかもわからないいけど、コツコツやれば、回復できます。それに、一人でできます。

「馬鹿」とか「やめて」とかは、相手の知性を評価したり、相手の行動を禁止する言葉ですね。そういうのは思わず口走ることはあると思いますが、相手のことをとやかく言ったり相手に何かを要求する言葉は、結局無駄なトラブルを増やします。

先に「私が不愉快なんだ」とか「私が怒っているんだ」ということをハッキリと意識し、心に思い、声に出して表現できるようになったほうが、よいと思います。あなたの場合はそういう言い方のほうが多分、口にしやすいです。

あなたには、うわべの学校での態度とそうではない家の中の態度があるみたいですが、梅の花とかを見ると赤い梅の木なのに白い花を咲かせる場合があったりします。あなたの「自分のいろいろなバリエーション」は若干それと似ている気もしないではありません。つまりどこまでは異常で病気であり、どこまでは個性であり魅力であるか、医師があなたを問診したとしても、判定はけっこう難しい気がします。

周りに無理に合わせているのはよくないが、自分はいろいろな態度をとることができるんだな、私は器用で柔軟なんだ。というふうに、いろいろな態度をとれることそのものは、肯定的に考えても別に悪くは無いと思います。

病気を治すとか、悪いとか、あまり早い段階でご自分の個性の発露を断罪しないで、ある意識の流れや枝分かれが自分の心にハッキリあると感じたら、その流れをできるだけ実りある方向に、なるべく自分の力で丁寧に少しずつ誘導してゆくことが大事だと思います。

私の目から見てですが、あなたは文章が非常にお上手です。それは大人になったらすごい武器になるでしょう。きっとあなたを助けてくれると思います。ペンは剣より強しというのは本当です。ときどき、真剣に丁寧にご自分の心の内側の井戸からいろいろ汲み上げて、あなたの文章を書くことを真面目におすすめします。
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