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条件のifと、仮定法のifの区別がつきません
例文として文字を見ればifと共に助動詞があれば仮定法だな、と分かるのですが
ただ日本語訳をみてもわかりません

例えば、
①もし今いえを出れば、電車に間に合うだろう
②もし私があなたなら、別の仕事を探すだろう

実際には①が条件で、②が仮定法なのですが日本語訳だけで見分けがつきません。
どうすればいいですか?

補足

ちなみに私は①の日本語訳だけを見た時に条件ifなのか、仮定法過去のifなのかで迷います。

A 回答 (3件)

こういう考えでよろしいのでは?


① 「今家を出る」のは不可能なことではないので「条件」
② 「私があなたになる」ことは不可能なので「仮定」
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絶対的な法則ではありませんが、、仮定法過去のifは「もし」を「もしも」に置き換えても違和感がありません。

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日本でもかつては反実仮想(いわゆる仮定法)に特化した助動詞「まし」があり、しかも多くの場合「~ましか/ませば~まし」という構造体として使われました。

しかしこの助動詞と表現方法は今日では使われることはありません。

条件と仮定、の区別にそれほどの有意性が無いというのがこの助動詞の消滅の理由だろうと思います。条件文の実現可能性の程度が条件と仮定を区別する目安になるとされますが、実際には「私が猫だったら」は実現不可能であるにも拘わらず、単なる思考実験の場合は条件に挙げても何ら構わないわけです。この場合は当然「仮定法」の範疇には入りません。

上記の助動詞「まし」には「ためらいの意志・微かな願望」といった意味も有ります。英語の「仮定法」も名付けを変更してこの助動詞のような名付けにした方が良いと思うことがあります。
例えば、ご提示の文で言えば
①もし今いえを出れば、電車に間に合うだろう -> 出ていたい/出ていたかった
②もし私があなたなら、別の仕事を探すだろう -> あなたになりたい/なりたかった
というような「意志・願望」の表現が隠れていますよね。そしてその心情が主たる発言動機であるかどうかが、条件・仮定の分かれ目になりそうだと簡単に言えそうです。しかし実際はその境目は上記の猫の例で分かるように明快ではありません。

>どうすればいいですか?
日本語は「条件・仮定」の区別を単語レベルで放棄して文脈に任せてしまいました。もし「まし」という助動詞が残っていたら、逆に使うか使わないかで大いに迷うということになるかも知れません。本来微妙な心情を単語や構文レベルで区別するのは荷が重すぎるわけで、ある意味賢明だったと思います。
長くなりましたが、結局、単文だけで識別するのは困難です。日本語はそういう選択をした、ということです。
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