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あらゆる社会的問題の正しい答えは「みんなの為」です。みんなの為にならない答えなどそもそも答えとは呼べません。そうでしょう?

そうであればあらゆる社会的問題の絶対の、唯一無二の正しい答えは「みんなの為」ということになります。ピンときませんがこれで正しいのでしょうか?

質問者からの補足コメント

  • と言うことは全体的な利益である「みんなの為」であればすべてが善であり、みんなの為でなければすべてが悪ということになります。
    善とはみんなの為になる事であり、悪とはみんなの為ではない事になります。

      補足日時:2019/10/25 21:04
  • つらい・・・

    絶対善は「みんなの安心・幸せの為」です。これがあらゆる問題において唯一の正しい答えです。

    ですから「みんなの安心・幸せの為」に合致していれば正しく、合致していなければ正しくないと言うことです。この絶対善はソクラテスたちが探していた優れものです。これを知れば皆さんソクラテスになれるのです。他の人は「正しいはそれぞれ」という相対主義者のソフィストたちです。無知な人達です。
    あらゆろ社会的問題の唯一の答えが見つかったと言うのに皆さん、良く分かっていない。これを知ればソクラテスのように賢くなれるのですよ。

      補足日時:2019/10/28 19:29

A 回答 (35件中21~30件)

社会問題を、安全保障も観点から、福祉の観点から、解決すると言うのなら、皆のために、というのは、官僚的、政治的に正しい言い方です

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この回答へのお礼

あらゆる社会的問題の正しい答えは「みんなの為」だけです。唯一無二です。ですからあらゆる問題は「みんなの為」に合致するようにみんなで考えればいいのです。目的地が見つかった、これだけで正しい答えに辿り着けます。目的地が人それぞれではどこに行っていいのか分からない。
トロッコ問題も死刑問題もあらゆる問題が「みんなの為」に合致するように考えれば解けるんですよ。

お礼日時:2019/10/26 20:43

個々は特殊です。

皆、と一般化出来ません。あなたの作品は、あなたならではのものです。けれど、皆と同じく、いいですよね、と、あなたならではの、事情、個性、能力、こだわりを無視された評価を受けたら、不当を覚えませんか。個は、個なんです。皆ではないのです。
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この回答へのお礼

例えばお父さんが失業したと言う問題なら家族みんなの為にどうやったら節約できて貯金で少しでも長く暮らしていけるかみんなで考え決める。家族みんなの為にみんなで考える。何が個なのですか?

お礼日時:2019/10/26 20:43

簡単に言えば、ワンホールのケーキがあって、10人の人がいた場合、10等分して


分けて食べるのが平等で、少々物足りなくはあるでしょうが、10人がそれなりに
満足できます。

一方、その10人のうち、力の強いものが、「俺たちは力の強さで皆を守っている
のだから食べる権利がある」などと理由をつけて、二人で平らげてしまった場合、
残りの8人は、幸福感を得られず不満に思います。(敵なんて何処にもいない場合)

また、その二人も食べ過ぎで血糖値が上がりすぎたりしますし、8人の恨めしい視
線を受けて、必ずしも幸せにはなれないだろうと思う。

しかし、現実の世界は実に複雑ですね、世界を把握できている人が一人もいないの
ではないかと思えるほどに。
ですから、あなたの言うことを人々に納得させるには、膨大なデータと精密な分析
精緻な理論、が必要でしょう。一つの学問体系くらいの。いや、すべての学問体系
くらいの!

一つ言えることは、これはどこかに書いたのですが、「アダムスミスの神の手」の
誤読、というか得手勝手な解釈で、個人個人がそれぞれの欲望で動いても、全体と
して「うまくゆく」「少しずつよくなってゆく」ーー

これって、根拠ないですよね。しかも、神なんて信じていないくせに。この大きな
矛盾に気が付いていないということですね。
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この回答へのお礼

>ですから、あなたの言うことを人々に納得させるには、膨大なデータと精密な分析精緻な理論、が必要でしょう。一つの学問体系くらいの。いや、すべての学問体系くらいの!<

意味が分かりませんな、何故そう考えるのか。例えば健康保険制度を作るとしてその答えは「国民みんなの為」でなければならない。だからみんなで話し合ってこれが一番みんなの為になるだろうと言うものを決めればいいのです。皆さんいつもやっていることです。高給取りは税が高くて嫌でしょうがそこはみんなの為と考え妥協しなければなりません。みんなでこれが一番いいと思う形を選べばいいのです。そうすれば結論は現在のような保険制度になるでしょう。

あらゆる社会的問題の正しい答えは唯一無二「みんなの為」なのですよ。あらゆる問題の正しい答えは「みんなの為」これを国民がよく知っていれば例えば核問題にしても今、日本は核廃絶です。それが絶対に正しいとなっています。そうではなく核問題の正しい答えは「国民みんなの為になる答え」です。そう知っていれば本当に核廃絶で日本国民が守れるのかと話し合うことが出来ます。絶対善を知らないから核廃絶が正しいとただ信じているのです。

しかし絶対的に正しいのは「みんなの為になる事である」と知るだけでいろんなことがおかしいと思えるのです。死刑問題も人権が絶対正しいから死刑反対というがそうではなく正しいのは「みんなの為」何だから死刑が本当にみんなの為になる答えを考えればいいのです。ところが人の命は命で償うのが正しいなんて間違ったものを「正しい」と言い張る。絶対的に正しいのは「みんなの為になる事」です。それを基本に考えれば死刑問題などすぐ答えは出ます。トロッコ問題も答えが出ます。絶対善を本当に知ることはそれほどすごい事なのです。

お礼日時:2019/10/26 19:35

正しくないような



みんなの為に
世界があるとしたら
何故に
争いは無くならないのかと!

結局は
みんなの面倒をみるより

ひとり、ひとりが!
自分の為に
だと
思いますね

ひとり、ひとり、
自分の為に
生きていけば

必要以上に
他人に干渉しないですもんね

みんなの為に
みたいな思想で
他人に干渉している
世の中だと思いますから
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皆のため、というより、個々個別の困っている人に、できるだけ手を差しのべて、助けていくことこそ、社会存続継続持続可能性に繋がると考えます。

「個別」ケースの助けの蓄積が、社会「全体」の持続可能性に繋がると、考え、実行することが大事なのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

>個々個別の困っている人に、できるだけ手を差しのべて、助けていくことこそ、社会存続継続持続可能性に繋がると考えます。<

ですから個々別々の困っている人がみんなの為でしょう。善なる行為を考えてごらんなさい。みんな困っている人を助ける行為なのです。ですから東北大震災という問題が起これば困っている人は東北の人です。その人たちの為の安心・幸せになるのはどうすればいいのかと考えて、うまく助けてあげて困っている東北の人たちが安心・幸せになれば、これが日本人みんなの安心・幸せになるのです。

お礼日時:2019/10/26 19:34

あらゆる社会的問題の正しい答えは「みんなの為」です。


みんなの為にならない答えなどそもそも答えとは呼べません。そうでしょう?
 ↑
自分の為になる場合はどうなんです。




そうであればあらゆる社会的問題の絶対の、唯一無二の正しい答えは
「みんなの為」ということになります。
ピンときませんがこれで正しいのでしょうか?
 ↑
それは全体主義と言われているものですね。

総て全員の為になる、なんてことは現実には
あり得ません。
犯罪だって、犯罪者の為にはなっているわけです。

すると、みんなのため、というのは現実には、多数者の
為、ということになってしまいます。

少数者はどうなるんでしょう。
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この回答へのお礼

>自分の為になる場合はどうなんです。<

ある問題が発生してみんなで「みんなの為」と考えるのが正しいのです。その時自分の為だけを考えるのは悪人と言います。

>少数者はどうなるんでしょう。<

ですから少数の人たちの為にも妥協してみんなが一番良いと思うものを考えるのが善です。健康保険制度を見てごらんなさい、高給取りは高い税で貧乏人は安い税、いろいろと不満はあろうが「みんなの為」と妥協しなければならないのです。仲間ですからね。

お礼日時:2019/10/26 19:34

個人を圧殺した社会至上は


ひずみとなって誰かに負荷がかかりすぎる
ということになると思います。

ということで
理想は利他と利己の合致した状態
という意見です。
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この回答へのお礼

>理想は利他と利己の合致した状態、<

ですから問題が起きればみんなの為になるようにお互いに妥協してみんなにとって一番良い答えを見つけることが「みんなの為」です。

お礼日時:2019/10/26 19:33

>あらゆる社会的問題の正しい答えは「みんなの為」です。

みんなの為にならない答えなどそもそも答えとは呼べません。そうでしょう?

難しいのはポピュリズムへの対応(距離感)でしょう。
一例をあげると、いま、原子力の平和利用を推進するというのは、人気のない政策で、みんなから支持されません。
でも、原子力平和利用を否定して、化石燃料の発電を最大化し、気候変動を加速し、いまや大雨や強風が記録更新状態になっているわけです。

別の例をあげれば、犯罪者の死刑執行問題もあります。
中国では「みんなの為」に、年4000間人ほどの「犯罪者」を処刑しているといわれますが、みんなの為になればどんどん死刑にしていよいのかというと、デンマークとか北欧の先進国では違う考えをしているのです。
みんなの為になろうがなるまいが、国家権力が人間(犯罪者)の命を奪うことは認められないと考えるわけです。

中国、アメリカ、日本は、世界の中でも依然として死刑執行を続けている国になりますが、はたしてこれが善なのか、いろいろと考えされられます。
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この回答へのお礼

>中国、アメリカ、日本は、世界の中でも依然として死刑執行を続けている国になりますが、はたしてこれが善なのか、いろいろと考えされられます。<

まあ、私は絶対善で考えて死刑は反対であるとなったけど「それがみんなの為と決めればそれが正しいのです」結局はみんなで決めたことが正しいとなるわけです。他国の人が口を出す問題ではありません。

お礼日時:2019/10/26 19:32

>ですから全体的利益であるのが「みんなの為です」 その人が死刑になるのは全体的な利益である「みんなの為」とみんなが決めたからです。



だから、そういう考え方を「功利主義」っていう話でしょ。
でも、完全な功利主義は高度に民主化した先進国でも存在しない。人権みたいな考え方は、価値観の中にでも優先されるべき価値観が存在するという「規範主義」という部分からなる。

功利主義を突き詰めると、ナチスのような優生学みたいな話にもなるけどね。

そもそも、あなたの言う「みんなのため」ってあなたが主観的に「みんなのためになる」と思ってることを「みんなのため」と言ってるだけの話で全く持ってみんなのためではないよね。日本は、間接民主主義だが、憲法改正は国民投票できまるのでその意味では「みんながそうするといいと思う=みんなのためになる」と思った制度を根本で決めるけど、それに基づいて法案に落とすところは国民の代表である国会で決まる。死刑制度にかぎっていうなら、量刑を決めるのは裁判官という特殊な訓練を受けた人が、その「みんなの間接的な総意によって決めた法律をもとに」裁判官としての矜持をもって判断する。それだって広義では「みんなのため」であって、別に毎回国民投票してその人を死刑にするかしないか決めることだけが「みんなのため」という解釈にはならない。

要するに、定義や状況設定があいまいすぎる。それを、なんとなく自分のイメージで「犯罪者を死刑にすること=みんなのため」って突っ走ってる。そもそも有罪か無罪か、死刑か死刑でないかなんて二元論でもなく、選択肢なんてのは前提となるものによって何がどういうパラメーターで評価されるかによってどうにでも変わる。一人一票の集まりを総意とみなすのかってところから含めて。
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この回答へのお礼

>功利主義を突き詰めると、ナチスのような優生学みたいな話にもなるけどね。<

功利主義とは知らないけど「みんなでみんなにとって最もいい答えを出すこと」は民主主義と言います。

お礼日時:2019/10/26 19:32

本当の民主主義って言うのは、誰一人として落ちこぼれを無くす政治の事。



多数を優先させるのは社会主義。

あなた、頭大丈夫ですか?
民主と社会の差をちゃんと調べて書きなさい。
おやすみ!
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この回答へのお礼

>民主と社会の差をちゃんと調べて書きなさい。<

ですからある問題が出たらみんなの為に合致する答えをみんなで考えるのですから民主主義でしょう。

お礼日時:2019/10/26 19:32

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