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格助詞の「に」について、辞書を調べたら「動作、態度の向かう先」と書いてあり、格助詞の「から」は動作の主体、起点を表す」と書いてありますが、二つの方向は真逆なので、なぜ「木村さんは山田さんに花をもらいました」にある「に」を「から」に置き換えることができるのでしょうか?置き換えても文の意味は同じでしょうか

「格助詞の「に」について、辞書を調べたら「」の質問画像

質問者からの補足コメント

  • 文の中で、「花をもらった人は木村さん」でしょう?

      補足日時:2019/11/12 20:27

A 回答 (12件中1~10件)

「に」と「から」が殆ど同じにつかわれるのは、「もらう(いただく)」の場合と、受身形の動作主のの場合。


「人<に>言われた」「人<から>言われた」 また、「人<に>聞いた」「人<から>聞いた」もあります。
置き換えができるのは、もっとあるかも知れません。「このとき<から>始まった」「このとき<に>始まった」
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すでに、NO.3,5、6 で回答した通りですが、



「に」の基本的意義は「着点を表わす」です。

文法の説明をあまりにも具体的に表現しすぎた説明です。

「に」は収束、「を」は拡散という認識でいます。

様態を表す/

など、全て誤った回答がされています。何故このような誤った回答がなされるのかを明確にしておきたいと思います。

「に」は格助詞ですが、助詞とは何かというその本質が理解されていないためです。
No.5にも記したように、辞書類の解説も誤っています。

名詞や動詞、形容詞などは対象世界の実体や属性を表わしていますが、助詞、助動詞はこうした話者の外にある対象を表わしているのではありません。

着点や様態は対象世界の実体や在り方ですが、助詞自身はこうしたものを表わしているのではありません。この点が理解できていないため、何かの点や、様態や収束という対象を求めることになります。

助詞が表すのは話者による対象の捉え方自体、格助詞の場合は対象の間の関係、資格の捉え方、つまり話者の認識という主観を直接に表現しています。

助詞という語の意義は、この話者による対象の捉え方自体を表わし、文の中ではその対象自体を表わす語の後にその捉え方が示され、具体的な内容を表わします。これが、意味です。

<文法の説明をあまりにも具体的に表現しすぎた説明です。>と言われる、説明とは意味のことです。この意味は、話者の個別の認識を表わしています。

辞書は本来、まず語の意義を説明しなければなりませんが、この点が理解されていないため意味を並べて誤魔化しているのが現状です。

このように語は意義を持ち、個別の話者の認識を媒介して意味を表わすもので、これらを区別することなく混同しているため辞書や他の誤った回答がなされているものです。

格助詞「に」が表すのは、話者による対象の空間的・時間的な位置付けの認識で、時間的な位置付けの場合は、

会議は5時に始ります。
会議は6時に終わります。

のように表現します。この中で、始点を表わす「会議は5時に始ります。」の場合に「から」を使用することができ、

会議は5時から始り、6時に終わります。
会議は5時から6時までです。

のように表現されます。

このように、助詞、助動詞という語がどのような意義を持っているかを明確にし、意味との相違を理解しないと混乱してしまいます。

なお、助動詞は話者の意志、判断、推量などの主観を直接に表す語です。■
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#9です。


#10さんのご回答に対する感想です。

>語義の7に「原因、理由、きっかけ」とあって「うれしさに泣き出す」「退職金をもとでに商売を始める」の例が出ています。
これも終点とは正反対で、起点ですね。

学研国語大辞典が「に」の本質的意義を明解に記述していると思うので、下記に引用します。
「に」
【㊀《格助詞》{体言または体言あつかいのものにつく}動作・作用が存在し、成立し、由来し、おもむくところ(=時間・空間・心理上ノ静止点)をそこと指定し、連用修飾句を作るのに用いる。】

まさに言い得て妙といった趣を漂わせる語釈。

「うれしさに泣き出す」⇒「泣き出す」という動作が存在し、成立し、由来する心理上ノ静止点を、そこ(=うれしさ)と指定している。

という構図であり、起点ではなく着点です。
たしかにややこしくはありますが、

「泣き出す」という動作が存在する由来(理由)はどこかと探っていけば「うれしさ」に辿り着く。

といったイメージです。
「うれしいから泣き出す」
という起点用法を用いた表現とは異なる点に留意することが重要かと。
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同じ音の一つの助詞でも用途はいろいろあるのですね。



goo辞書は小学館提供の良い辞書で、格助詞「に」の語義がたくさん上がっています:https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E3%81%AB/#jn- …

語義の7に「原因、理由、きっかけ」とあって「うれしさに泣き出す」「退職金をもとでに商売を始める」の例が出ています。
これも終点とは正反対で、起点ですね。

語義8は「行われ方」「あり方」とあって「直角に」「会わずに」の例が出ていますが、これは、また、全然違いますね。

語義10に受身や使役の相手・対象を表すとあり「犬にかまれた」「子どもたちに作らせる」の例があります。

ご提示の「人にもらう」や「人に聞く」などは7か、10にも関係しそうです。

語義1が時間や場所についてですが、思うに、この時間というのが「10時に出る」とも「10時に戻る」とも使いますから起点にも終点にもなるようです。

こう見てくると、敢えて言ってみれば、いずれも語義8にまとめられるように思います。つまり、様態ですね。例えば「よう(様)に」は助動詞とされるようではありますが、「眠れるように」と言うとき「眠れるよう」でも構いませんし、この「に」も「眠れるよう」に付いた様態を表す格助詞とも言えそうです。


>「木村さんは山田さんに花をもらいました」にある「に」を「から」に置き換えることができるのでしょうか?置き換えても文の意味は同じでしょうか

この場合、「に」でも「から」でも意味は変わりません。
「に」のほうが、より気楽に口をついて出てくる感じです。
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#4です。



>「花をもらった人物は木村さんである」でしょう?

そのとおりです。
タイプミスでした。
すみません。
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個人的ですが目的格「に」と「を」。


「に」は収束、「を」は拡散という認識でいます。
そこで「に」の収束、ある行動の収束先・・と考えるのではなく、単に何に収束するか?。
結果に収束する場合は理解しやすいですね、言い換えれば行先(ほぼ辞書での説明に合致します)、でも原因に収束する、という考え方も必要な様です。
例のように、受け身の表現の場合は特に?、もちろんすべてではありません。
※例 木村さんに、車に乗せられた(無理やり)。
車に、の「に」は目的格のようでもありますが、この場合は場所を示すだけの「に」。
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山田さんに殴られた、十分にあり得る表現ですね。


山田さんから殴られた、とはふつうは言いませんね。
「に」はすべて「から」に置き換えられるとは限りません。
「動作・態度の向かう先」、この認識が適当でありません。
文法の説明をあまりにも具体的に表現しすぎた説明です。
「に」目的格ともいわれます、この「目的」の意味を非常に幅広く認識する必要があります、俗には目的といえば目指す一点の場合が多いですね。
もらった、なぐられた、だけではほとんど意味を成しません、だれが、だれに、(なぜ)もあるのかも、なぜ、葉なくても最低限の表現になります。
だれが、は主格ですね、だれに、は目的格ですね。
そのうえで表現された内容を理解したうえで花に注目すれば、その動きは山田から木村ですね、だから「から」で置き換えかのなんです
この「内容を理解したうえ」、これが重要です、理解もせずに機械的には置き換えできません。
他の回答者の説明も参照してください。
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NO.5 の補足です。



文が表しているのは話者の認識です。
それは対象の認識により生まれたものですが、対象と一致しているわけではなく、話者による捉え方が反映しています。

この話者による捉え方を直接に表現しているのが、助詞、格助詞や感動詞で、同じ対象でも捉え方が異なれば表現が異なります。

大阪から東京へ行く。
大阪から東京に行く。

大阪から東京へ帰る。
大阪から東京に帰る。

これらは、どれも大阪→東京の移動を表わしていますが、それぞれ話者による対象の捉え方が異なっており、意味が異なります。この相違が助詞、動詞の違いにより表されています。

このように、対象の在り方と、その認識、表現は相対的に独立しています。

この辺を良く理解し、文の意味を捉えられるようになると日本語の表現、理解が格段に進歩します。■
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なお、〔格助詞の「に」について、辞書を調べたら「動作、態度の向かう先」と書いてあ〕るのは辞書の誤りです。



〔格助詞の「から」は動作の主体、起点を表す」〕というのも誤りで、助詞は場所や点自体を表わすのではなく、話者の認識を対象化することなく直接に表現するもので、話者による対象の捉え方、認識そのものを表現しています。

現在の辞書は、この点を正しく理解出来ずに書かれているので注意が必要です。

「木村さんは山田さんに花をもらいました」

の文で、動作の向かう先を表わしているのは「木村さん」であり、動作の起点を表わしているのは「山田さん」です。「に」が起点自体を表わすのではなく、「に」が表しているのは話者の位置付けの意識、認識です。■
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「に」の基本的意義は「着点を表わす」です。


「木村さんは山田さんに花をもらいました」は、「花をもらう」という動作の向かう先を辿っていけば、山田さんに行きつく、というイメージです。

「から」の基本的意義は「起点を表わす」です。
「木村さんは山田さんから花をもらいました」は、「花をもらう」という動作が山田さんを起点にして始まったことを表わす意図の文。

>置き換えても文の意味は同じでしょうか

結果的にはほとんど同じですが、上記のように微妙な差異があります。

「木村さんは山田さんに花をもらいました」は、「花をもらった人物は山田さんであること」に重点を置いた文です。
「木村さんは山田さんから花をもらいました」は、「花が山田さんから木村さんに渡ったこと」に重点を置いた文です。
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この回答へのお礼

「花をもらった人物は木村さんである」でしょう?

お礼日時:2019/11/12 19:29

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