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「誰も」は、次に打消しを伴いますね。
たとえば、「誰も知らない」のように。

次に、阿久悠の“津軽海峡・冬景色”から引用します。
<北へ帰る  人の群は
誰も無口で
海なりだけをきいている>

この歌詞を
1.誰も無口で
2.誰も海なりだけをきいている
と分けられます。
双方の文とも、「誰も」以下に打消しが続きませんが、なぜでしょうか?

A 回答 (15件中1~10件)

>>なぜ、「誰も」の後ろに打消しが続かないのですか?



「誰も」の後に「無(ない)口」が続いているからです。■
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この回答へのお礼

再度のごかいとうありがとうございます。
<「誰も」の後に「無(ない)口」>ということですね。
無口は意味上・文脈上は取消しになるのですね。

お礼日時:2024/06/02 17:57

No.15 にお答えして。



>>当方には理解できません。

だから駄目なのです。

理解できれば、「元の歌詞が不自然なせいでしょう。」などとピント外れな解釈、感想が生まれるとうことです。

この曲の歌詞は、全体が文章になっており一文だけを前後と切り離し解釈しても正しい理解はできません。

「~で、」というのは連用中止法という用法ですが、文脈的にはここに移行があり、その後も主体の移行が重なり文脈が展開されます。

この回答者は、単に一文を形式的にしか理解できず、文脈を全く捉えることができていません。

一曲が起承転結の抒情の展開であるドラマであることを理解できないと、この歌の良さは全く理解できません。

中学生レベルの一文文法解釈では、こうした作品のストーリー、ドラマは全く理解不能になります。それでは、この歌が何故広く愛され、熱唱されるのかを解明などできません。■
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この回答へのお礼

度々のご回答ありがとうございます。

お礼日時:2024/06/12 16:56

>元々の質問者も、この点が理解できず


 どうやら攻撃が質問者にも及びはじめたようですね。
 当方は質問者の疑問はもっともだと思いますが。

>第三者的な観察者の立場に立ち、「~で」と中止した後、話者は観念的に無口なその人に移行し「海なりだけをきいている」と心情を語っています
 ってどういう意味なんでしょう。当方には理解できません。

 当方がNo.11で指摘したことには何も返信がないんですかね。
 そもそもNo.2で〈「歯を磨いて、顔を洗う。」の「て」と同じです。〉と書いた人が、なぜこんなことを書きはじめたのでしょう。
 No.2の主張なら、まだ理解できるのですが(厳密には少しヘンかもしれませんが)。

 これ以上何か書くと質問者にご迷惑な気がするので、これ以上のコメントは控えたいと思います。せっかくおもしろい質問だと思ったのに残念です。
 気づいたことなどがあったら、下記の続きにメモしていこうと思います。
【<誰も無口で 海なりだけをきいている> goo】
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1987776865&owne …
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この回答へのお礼

度々のご回答ありがとうございます。

お礼日時:2024/06/12 16:56

No.12 に追加しておきます。



韻文と散文では文法が異なり、多くの省略や喩が使用されます。

歌詞も詩であり、散文とは異なる構文になります。散文であれば、代名詞、接続詞などがしようされるところは多く省略されます。

しかし、それは文法を外れていたり、不自然な表現なのではありません。むしろ、話者の認識、思想をストレートに反映、表現するもので、古来重視、重用されています。

詩歌と呼ばれるように、短歌、俳句、詩、川柳、長歌など様々な固有の形式、規範に支えられた表現で、それらはある種の規範化、つまり文法化しているということです。

この規範に支えられた表現という言語の本質を捉えることができずに、初歩的な文法を振り翳し、「元の歌詞が不自然なせい」などというのは言語表現とは何かが全く理解できていない戯言に過ぎないということです。■
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2024/06/10 12:42

No.11 で相変わらずの愚痴が並べられているので、もう少し補足させていただきます。



>>そんな強引な解釈をしなければならないのは、元の歌詞が不自然なせいでしょう。

別に強引な解釈ではなく作詞者の意図に沿った適切な正しい解釈です。

要は、NO.11の回答者は単に字面に拘っているだけで、話者の観念的な移動が全く理解できていないということです。歌詞は、

♪♪北へ帰る  人の群は 誰も無口で

までは、第三者的な観察者の立場に立ち、「~で」と中止した後、話者は観念的に無口なその人に移行し「海なりだけをきいている」と心情を語っています。

 この観念的な移行が全く理解できずに、「元の歌詞が不自然なせいでしょう。」と作詞者を批難すると云う真逆の態度に出ています。

 そんな不自然な歌詞に聴き手が感動する訳がなく、この歌が広く受け入れられているのはその自然な主体の移行に追想し共感するからに他なりません。

元々の質問者も、この点が理解できずに、

>>この歌詞を
1.誰も無口で
2.誰も海なりだけをきいている
と分けられます。

と「で」の前後の主体の移行を無視し、文を機械的、形式的に分解しています。これは、話者、聴き手の観念的な移行を捉えらえない現在の言語論の欠陥を形式的になぞっているためです。

韻文では特に、こうした話者の観念的な移行と回帰が頻繁に繰り返され、立体的、重層的な対象世界が創造、想像されています。

こうした認識の運動を捉えられずに、中学生レベルの文法知識で歌詞を批難するのは全くピント外れな行為だということです。■
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2024/06/10 12:42

No.10のコメントはなんなのでしょう。


 先の数行のコメントの「補足」がこんなに長くなるんですかね。
 当方のNo.7のコメントに反論したくて書いているだけでは。
 意見の違いがあればコメントのやり取りをするのは構いません。でも、あの人とやり取りするとたいてい泥仕合(そういう例が多数あります)になるので、極力関わりたくありません。ウンザリします。
 今回もまったく反論になっていないのですが、かなり迷惑なのであまりにもおかしなところだけ指摘しておきます。

>連用中止しているのは、「北へ帰る人の群は誰も無口(だ)」という文で、この文の主語は不定称の「誰も」です。

>続く、「海なりだけをきいている」の主語は、「(その)無口な人々(は)」です。

 そんな強引な解釈をしなければならないのは、元の歌詞が不自然なせいでしょう。質問者をはじめ、元の歌詞に疑問を感じている人は多いようです。

「母は陽気で、いつも明るい音楽を聴いている。」
 という文があったとします。
 前半の主語は「母(は)」で
 後半の主語は「(その)陽気な人(は)」なんですか?
 どちらの主語も「母(は)」でしょう。

 ご質問に対する当方の意見は、No.7に書いたとおりです。
 元の歌詞は厳密に考えれば不自然ですが、「歌詞」なので許容されるのでしょう。
 すでに書いたように、主語を「誰もが」や「みんな」にしたほうが文法的には正しいのでしょう。「無口」なのも「海鳴りだけをきいている」のも「誰もが」(または「みんな」)なら何も問題はありません。
 でも、作詞者の感覚に合わなかったのでしょう。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2024/06/10 12:41

少し補足しておきます。



1)歌詞(韻文)は文法的に少しおかしくても許容される?
2)「誰も」の後ろは否定形がくることが多い
3)この連用中止用法の主語は?

という回答がありますが、誤りです。

1)歌詞(韻文)は文法的に少しおかしくても許容される?

文法的に誤りであれば受け入れられず、意味をなしません。ましてや、多くの大衆に愛される訳がありません。短い、的確な表現であるために共感を呼ぶということです。

2)「誰も」の後ろは否定形がくることが多い

この「だれ」は不定称の代名詞で、「も」は他の同類の存在を表す係り助詞です。不定称ゆえに否定の語が続くということで、「誰もが」と格助詞「が」で不特定な対象を個別性として捉えなおすことで、肯定的な判断が続くことになります。

3)この連用中止用法の主語は?

連用中止しているのは、「北へ帰る人の群は誰も無口(だ)」という文で、この文の主語は不定称の「誰も」です。

続く、「海なりだけをきいている」の主語は、「(その)無口な人々(は)」です。

この的確な構文が聞き手に共感、感情同化を齎すので、この歌が多くの人の共感、賛同を得てきているということです。

これを正しく捉えないと歌の解釈にはなりません。■
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この回答へのお礼

度々のご回答ありがとうございました。
かりに、文法的に間違いがあろうとも、意味が分からなくとも、
<聞き手に共感、感情同化を齎すので、この歌が多くの人の共感、賛同を得てきている>ですね。

お礼日時:2024/06/09 08:09

一般的にはそのようですが、必ずそうとは限りません。


https://www.weblio.jp/content/%E8%AA%B0%E3%82%82
https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E8%AA%B0%E3%8 …

映画「誰もがそれを知っている」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AA%B0%E3%82%82 …
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございました。
<必ずそうとは限りません。>ですね。

お礼日時:2024/06/04 09:13

歌詞をもう少し続けると、



北へ帰る人の群れは 誰も無口で
海鳴りだけをきいている
私もひとり連絡船に乗り
こごえそうな鴎見つめ泣いていました

となるので、1、2行目の主語は「北へ帰る人の群れ」、
3、4行目の主語は「私」だと思います。

作詞者としては、北へ帰る人の群れは 誰も何も言わずに、海鳴りだけをきいている と言いたかったのですが、字数を詰める必要があったので、何も言わずに を無口と表現したのでしょう。

No.7 の方がおっしゃっているとおり「誰も」を「みんな」にすれば字数もあっているし問題は無かったのですが。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございました。
<「誰も」を「みんな」にすれば字数もあっているし問題は無かったのですが。>ですね。
おそらく阿久悠も迷った挙句選択したのでしょうね。

お礼日時:2024/06/03 16:44

__久々におもしろい質問に出合いました。

ありがとうございます。
 おそらく、少なくとも下記の3つの問題が絡んできます。
1)歌詞(韻文)は文法的に少しおかしくても許容される?
2)「誰も」の後ろは否定形がくることが多い
3)この連用中止用法の主語は?

 結論だけを書くなら……。
 この「誰も」は文法的に少しヘンでしょう。「誰もが」や「みんな」にするほうが自然な気がします。でも歌詞なのでOKでは。
 以下、少し詳しく書きます。長くなるので、随時リンクを張ります。必要に応じてご参照ください。

1)歌詞(韻文)は文法的に少しおかしくても許容される?
 以前、下記の質問がありました。
【普段からメイクしない君が薄化粧した朝、の「から」】
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/11446968.html
 このときも、文法的には「普段から」よりも「普段は」「普段なら」のほうが適切な気がしました。でも歌詞の場合は文字数の制約が強い上に、作詞者の感覚が優先されるべきでしょう。
 今回も、意味としては「誰もが」「みんな」のほうが素直な気がしますが……。
 歌謡曲?などの歌詞は文法的に考えるとヘンなことはよくあります。
【ツッコミ歌謡曲】
https://ameblo.jp/kuroracco/theme-10117327913.html

 
2)「誰も」の後ろは否定形がくることが多い
 後ろに否定形がくる副詞はいろいろ例外があるようです。
【「全然」「まったく」「とても」知恵袋1】
https://ameblo.jp/kuroracco/entry-12538208330.html
===========引用開始
       まったく 全然 とても 非常に
〈「全面的」系〉
ダメ     ○    ○  X    X   
違う     ○    ○  X    X 
別(のこと) ○    ○  X    X 
===========引用終了
 通常、後ろに否定形がくることが多い「まったく」「全然」も、否定形がこないことがあります。
 おそらく「ダメ」「違う」「別」が否定的な意味をもっているからでしょう。
※「全然」は本来は「肯定形でも使う」という話は無視している
※「まったくそのとおりです」のようなものは例外と考える

 同様のことが「誰も」の場合にもあるのでしょう。後ろが「無口」「無意識」などの否定的な意味の言葉のときは、否定形がなくてもよいような。
 ただ、個人的には「誰もが」のほうが自然に感じます。


3)この連用中止用法の主語は?
===========引用開始
北へ帰る人の群れは
誰も無口で
海鳴りだけをきいている
===========引用終了
https://www.uta-net.com/song/3088/

 不意をつかれました。
「海鳴りだけをきいている」の主語は誰なんでしょうね。

A 北へ帰る人の群れは誰も無口で(かつ)海鳴りだけをきいている
 なにか
B 北へ帰る人の群れは誰も無口で(私は)海鳴りだけをきいている
 当方は、Aだと思っていました。
 Bという解釈も可能かもしれません。
 ただ、その直後に「私も」とあるってことはAなのでは。

 そう考えると、「誰も海鳴りだけをきいている」はおかしいのかもしれません。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございました。
軽い気持ちで「誰も」についてご質問しましたが、
<1)歌詞(韻文)は文法的に少しおかしくても許容される?
2)「誰も」の後ろは否定形がくることが多い
3)この連用中止用法の主語は?>のような問題点が潜んでいるのですね。
勉強になりました。
<後ろが「無口」「無意識」などの否定的な意味の言葉のときは、否定形がなくてもよいような。>になるのですね。

お礼日時:2024/06/03 16:40

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