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最近、後悔することが減ってきています。決して成功している人生ではない。しかしながら、かつては、ああしておけば、なぜこうなったのか、という思いに悩まされることが少なくありませんでしたが、今は、あれもよかった これもよかった と思うようになってきています。それは、後悔していたこととは別に、よい事を思い出すようになったのではなく、後悔していたその事を、よかったとおもうようになっているのです。
例えば私は子供の頃、同居していた祖父に冷たく当たっていた時期がありました。大人に成ってもその後悔は長く心にとどまってぬぐえませんでしたが、今思い出せば、祖父のやさしさこそが思い出され、あれもよかったと思うようになっているのです。
学生時代の悪い巡り合わせと思っていた、嫌な教師がいたことについても、その教師の抱えていた苦しさなどが想起されるようになり、恨みに思う気持ちがなくなっています。

また、以前はある種、教条主義的なところも無くはありませんでした。このようにすべきである、かのようでなければならぬ、そのように考えて、畏まってはいても自由ではなかった。今は、立派な教えに対して別に畏まってはいないけれど、縛られてもいない。

これは、私は成長したのでしょうか。自分を赦せるようになったと言えるかもしれない。殻を破ったのかもしれない。

Q:皆さんの人生の遍歴において、ふと気が付けば、自分はこのように変わっていた、という事はあるでしょうか。よろしければ教えてください。

A 回答 (11件中11~11件)

北斗の剣の制定サウザーがキリスト教の逆な幹事のキャラだなあと課


思ったりとか昔はそんなkとは主わなあったので変わったなあと科。

内臓逆胃というのは
身体レベルで逆な尾でしょうね。

鴎外が盛り王がイナ荒
違うのkもしレマ円がきりないr魔s田。
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この回答へのお礼

雪山さんは北斗の拳世代ですか。北斗の拳も一部(ラオウ編)は読んだと記憶しています。
小説はあまり読まないのですが、物語とか、初めに読んだ時と後に読んだときと読後感が変わっていたり、解釈や理解の程度や目の付け所が変わっていたり、しますね。

お礼日時:2019/12/10 23:07

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