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大阪体育大学って難関なのですか?浪人しなければ入れないほどですか?上原浩治は浪人して入ったそうですが。偏差値は40ということなので、難関ではないと思うのですが。

A 回答 (2件)

上原氏は1975年4月生まれなので、現役受験は1994年の1-3月。

18歳人口がピークを迎えたのは1992年ですが、そのたった2年後なので、浪人生も含めてまだ大学受験人口はとても多かった時代です。
その後の18歳人口の激減で大学全入時代となり、相対的に、当時ならば合格しなかった学力層も合格するようになり、合格者の偏差値が下がっていきました。特に当時の中堅レベルの大学ほど、偏差値はかなり下がってしまいました。当時偏差値55くらいだった私立大学が、今は偏差値45前後くらいにまで下がっていたりします。
いま偏差値40の大学は、当時は偏差値50くらいはあったんじゃないでしょうか。体育大学という、実技重視の大学で学力偏差値50なら、難関とまでは言わなくても、易しいとも言えないかと。

それと、高校時代は無名選手だった上原氏は、体育教師を目指して大学進学をしたわけですが、当時は大阪府内で保健体育の教員免許を取得できる大学は今よりかなり少なかったはずです。現在では大阪府内の大学で保健体育の教員免許が取れる大学は結構ありますが、当時はまだ存在していない大学や学部、女子大だったところが大半です。
当時の正確なことは知りませんが、恐らく、大阪教育大学(国立)か大阪体育大学くらいしか選択肢がなかったと思います。選択肢が少なければ、それだけ滑り止め候補もなくなりますから、不合格ならば浪人、ということになります。
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18歳人口の推移。


https://www.mext.go.jp/component/a_menu/educatio …
上原浩治は1975年生まれだから、平成2~3年頃を見れば良いのかな。
18歳人口は200万人。大学入学者は50万人。25%。
対して現在120万人。大学入学者は63万人。50%。
大阪体育大学のポジションが、当時どうだったかは知りませんが、要するに高三生の上位1/4に入らなければ、大学に行けなかったのかもしれません。
ところが、現状で上位1/4になってしまうと、ずっと良いところに受かってしまう。
大学の合格難易度自体が、まるで違うのです。
また、当時の東海大仰星の進学実績、もっと言うと、野球部の進学実績がどうだったのか、ということもあるかもしれません。
今だって、ちゃんと偏差値が出ていて、倍率が概ね2倍以上ということは、誰でも受かるわけではありませんが、当時であれば、ちょっと勉強が疎かになれば、一般入試であれば浪人だったろうと思います。
ひょっとすると、今で言う産近甲龍レベルだったかもしれません。2ランク下ということは無いでしょう。
また、今ほどインチキ推薦入試は無かったでしょう。東海大学に内部推薦でとか、スポーツ推薦でという話ならあったかもしれませんが、しかし少なくとも、エースは建山で、上原は控えでした。
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