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強迫性障害を20年以上患ってます。
不安になる内容はずっと同じではなく、不潔恐怖や確認恐怖は他の不安がひどくなってからは気にならなくなりました。今辛いのは、頭に犯罪者や嫌なイメージ、恐ろしい精神疾患が浮かぶと、その時にしている行動をいいイメージ打ち消すまでやり直してしまいます。また仕事の前や自分が苦手な場面になると頭に次々と非現実的な不安を浮かべてしまい、本当にそうなるのではないかと怖くなります。

また、一人称視点?がとても怖く感じてしまい、これは生きている限りは変わらないことなのでとてつもなく恐怖に感じます。世界中誰もが一人称視点で現実を見てるのに、それは当たり前なのに、自分だけ違うのではないかと思ってしまい現実感がなくなりおかしくなるのではないかとパニック発作のようになります。

頭に浮かぶ不安の内容は本当にバカバカしいと思うし、むしろそうなりたいのかと自分に呆れてしまいます。でもどこか「本当にそうなのかもしれない」と考えてしまい、無限ループに陥ります。また、いちいち自分で不安の確認をして嫌がらせをしてる感じがして悲しくなります。

抗うつ薬はなかなか合わず副作用に不安を感じて飲むことが出来ません。また、通院してる神経科の先生にも強迫性障害には薬が効きにくい、たまたま効けば本当にラッキーだ、と言われてます。カウンセリングも別の病院で受けましたが不安の内容を話しているうちに、その時に楽になるのですがその後余計に不安は強くなってしまいました。

薬が効きにくいこの症状、どうしたらいいのか本当に毎日不安の中もがいてます。少しでも改善された方、どのようなきっかけで良くなったのかぜひ教えて下さい。

A 回答 (3件)

ある特定の行為を執拗に繰り返さざるを得ない状態の強迫性障害ならば、有効な治療法に曝露法(曝露反応妨害法)と呼ばれるものがあります。


もとになっている根拠のない不安の沸騰があれば、別の特定の行為を執拗に繰り返えす強迫性障害を起こす可能性は高いです。 そうなると、不安に感じる次々と変わるだけでなく、あれもこれもと対象が拡大し、曝露反応妨害法で効果をあげるのも大変になります。
また、自分で大丈夫だと確認する一人称を止めて、大丈夫という保証を家族や他人、セラピスト、医師などに繰り返し求める「保証の要求」を求めるようになったり、不安を避けるための儀式的行為や呪文、強迫障害や不安障害に効果があるとされる医薬品を離せなくなるなど、症状は生活全般に拡大し、ルールをより面倒くさいものにして、さらに怖いと感じる対象を避けるようになり、ますます生活上の支障が高まって疲弊していきます。そして多くの場合、不安と強迫とで縛られた不自由な生活に突入していくこともあります。

たぶん、そのような事態に突入していくのは、「根拠のない自信を持たない」ことに関係しています。
泉谷閑示 http://izumiya.asia/our_staff.html という方が、次のようなことを書いていました。
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「自信が持てない」と訴えるクライアント(患者さん)に対して、私はよく「どのようにしたら自信が持てるようになると考えていますか?」と質問を投げかけてみることがあります。これに対して大抵は、周囲から評価を得られるような成果を上げたり、何かを成し遂げられたりしたら、こんな自分に変われたら……、といった答が返ってきます。
 では、そもそも「自信」とはどういうものなのでしょうか。
「自信」は「自分を信じる」と書くわけですが、この「信じる」とはどういうことなのか、これが「自信」を考えるうえで重要な鍵になります。
 目に見える努力や成果、あるいは周囲からの評価を拠りどころにすることは、いわば、自分の価値についての「保証書」や「鑑定書」を求めることだと言ってよいでしょう。しかし、もしそういう「保証書」が得られたならば、もはやそれだけで十分に「保証」されているわけですから、わざわざ「信じる」という大げさな言葉を持ちだす必要はないわけです。
 つまり「信じる」ということは、本来、「保証」や「根拠」を必要としないものだと考えられます。
 たとえば「神を信じる」という人は、「神の存在証明があるから信じます」というわけではないでしょう。つまり「信じる」というのは、対象についてのその人の態度や決意を表わす言葉なのです。
 よく「根拠のない自信」という言い方が人を揶揄するように用いられることがありますが、このように考えてみると、そもそも「根拠のない」のが「自信」本来の姿だったわけです。
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「自信というのは根拠のない思い込み」 他人目線、世間の常識、客観的視点、理論的裏付け、法的裏付けとは関係がないのが「自信」でしょう。 何かをするにも、何をすると決めるのにも、何が好きで何が嫌いでを分けるのも、自分本位でやるのが基本でしょう。 通常、親や指導者、先生などの教えられなくても、自分勝手にやりたいことをやり、やりたくないことはしないのでしょう。 親や指導者、先生、友人から教えられ、あるいは本やネット情報などで見かけたものに影響されて、関心を持ったり、やってみた経験で、やる気や興味を抱く対象、イヤに感じることや危ないと思うことが出てくることは多いと思いますが、それらは二次的なものです。 それらの二次的な思い込みにしても、どれを取り入れるかは、自分が決めてやっているのです。
同じ事柄に関しても、意見や見解はいくつかあります。薬や治療法に関しても効く効かないについてはいろいろの情報があります。食べ物の旨いマズイ、健康法の効く効かない、あることについての知識が重要かどうかでも同じです。 「これはaaaだ」と思う、「これはdddだ」と思う、「これはpppだろう」と思う、「これはqqqに違いない」と思う、「これは、aaa/ddd/ppp/qqq/bbbのどれなんだろう」と堂々巡りして無限ループに陥り悩む、「これがなんであるかは先生に教えてもらう・友達に決めてもらう・多数決をとって決める・ネットで探す」などのどれを選ぶのかも、自分の決定の結果です。 通勤経路・帰宅経路・朝食や昼食・服装や髪型・靴でも、誰かに助けや助言を求めるかどうかさえも、自分の決定です。
飼い主がいろいろ仕掛けて選択の余地がないようにしたところで、ネコは自分のしたいようにしかしません。
人間だって同じです。
結果的にも、実際にも、自分で決めているのです。
ただ、「自分で決めるのはヤダから、……」とか「一人称視点?がとても怖く感じてパニックになりそうだから、……」ということは人間にはあると思います。 一種の責任回避です。 
でも、「一人称視点が怖いから(面倒だから、検討には時間がかかるし知識も自分には少ないから)、……」の方法をとる・自己責任の回避を優先するという選択は、自分でしています。
この「一人称視点が怖いから(面倒だから、検討には時間がかかるし知識も自分には少ないから)、……」の方法をとる・自己責任の回避を優先するという選択は、とてもポピュラーなやり方で、だれもが日常的にとっています。
それをちゃんと理解し、その一般的でとてもポピュラーなものと、自分の状況を比較するのが良いと思います。

もしも、{《自己責任で検討したりはしない、自己責任で決めたとは意識しないはしないようにする》傾向が、世間一般に比べて強すぎて、その結果}、この数年間あるいは最近{不安が強くなっている}、毎日{不安の中でもがいている}のであれば、『今やっていることは、実は、自己責任で決めたやり方・自分が選択したことなのだ』と明確に認識するのが良いと思います。
自分の現状の行動や思考の選択は、『他人によるものでも、世間によるモノでも、習慣やくせによるものでもなく、自分自身がそのように選択し、しかも自分で決めているとは考えないようにしているだけなのだ』と理解すると、対処方法が出てくると思います。 
自分の決定や嗜好に正当性や正しさ、合理性、社会人の常識などの根拠を求めようとしないで、『私は私、元々も今も、そうしてきたけれど、私はなんとか(正当性や正しさ、合理性、社会人の常識などの根拠を求めようとして)、自分視点がないかのようなポーズをとろうとしてきたために、ストレスが溜まって、辛くなり、この先、こういうやり方で続けられるのかの不安が高まってしまっている。 もう、(自分視点がないかのようなポーズをとろうとする)のは止めよう。 自分勝手なネコや、自分勝手な首相や企業幹部のように、自分勝手なクレーマーや消費者のように生きれば、それで良い』と開き直るのが簡単で良いと思います。
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はじめまして。

お話を聞く限り私よりもかなり重症なのかなと思いました。
無限ループは自分は夢の中だけで、起きるとハッとなり夢だったのかという感じでした。
これだけでチュロリーナさんは何を言っているかがわかると思いますが私も同じような病気でした。
他の病院でカウンセリングは受けたとの事ですが、私は自分に合う薬を探すのに15件以上は回りました。
今思えば私にとってセカンドオピニオンが非常に重要でした。
本当に合う医師と薬、これが重要でした。
私の場合はひたすら病院に通い、自分で人体実験ではないですが手当たり次第医師を変えて
これは飲んだ、これも飲んだと徹底的に医師に言ってお薬を変えました。
例え医師がこれで当面様子を見ましょうといわれても嫌だ、合わないと言いました。
毎日不安と対峙するのは本当に辛いですよね。
カウンセリングとお薬、両方を含めて自分に合うところをひたすら見つけてみてはいかがでしょうか?
大変な話をしましたが私のあくまでの経験なので、チュロリーナさんが心の安定できることを願っています。
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イメージや記憶等の情報に触れる際に発生させている恐怖や不安といった負の感情を抑制するのです。


あなた自身を客観的に他人事のように眺めるといったとらえ方をするのです。
つまんないテレビをボーっと眺めるようなイメージですね。
ところで・・・不安や恐怖の反対つまり明るく楽しくなれるような物事をイメージできますか?
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