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2020年から小学3年からの英語の授業が必修になりますね。でも、小学生にロクに英語を教えられる人材もいないのに、随分 先走りしたものですね。先ず、小学生に英語を教えるには 中学生に教えるよりも高いスキルが要求されるし、外部講師で中学の英語を前倒ししたような教え方しかできない人間を招いては 却ってマイナスです。いきなり、小学生相手に 否定文とか疑問文なんて 黒板に堂々と書くことでしょう。

さて、話はガラリと変わって、今でこそ 英語はそれほどまでに重視されていますが、江戸時代の外国語の主流はオランダ語でした。しかし、明治になると 外国語の主流は英語にシフトし、オランダ語は見向きもされなくなりました。 そんな中で、江戸時代と明治時代にかけて活躍した文化人と言えば、1万円札の肖像にもなっている福沢諭吉が有名ですね。

明治と言えば、今のようなパソコンなどの機器はおろか、カセットテープのようなアナログの機械さえありませんでした。しかし、福沢諭吉を初めとする洋学者たちは
≪基本例文を、「まず英文を読んで、日本語に直訳する。」→「何度も英文を音読して、覚えてしまう。」→「和訳だけを見て、英文を言ってみる。」と言うパターン≫
で、きっと英語を覚えたことでしょう。

諭吉たちは すでに オランダ語を学んでいたので、このような学習スタイルにも慣れていたでしょうし、英語とオランダ語は似ていますので、それなりに合理的な方法だったと思われます。
しかし、そんな学習法を未だに推奨している依怙地な人間もおります。

しかし、初めて習う外国語にこの方法は適していないような気がします。少し頭のいい子に限って、
素朴な疑問が上達の足枷になることも少なくありません。
例えば、諭吉なら 英語の beは オランダ語のzijnと同じだというように関連付けられますが、
日本語にはピッタリあたる言葉がないので、仮に be=「~です」と覚えます。しかし、そうすると、
「私は猫が好きです。」が ” I am like cats."
では どうして 間違いなのかとか 頭をかしげたりするわけです。

それに、この方法で 上記の問題点を克服しても、定型的な日本語を反射的に英訳することしかできなくなります。例えば ↓の適語選択問題なんかは難しいのではないでしょうか?


① My daughter is still too ( ) to speak.
私の娘はまだ小さくて言葉をしゃべれない。

ア. immature イ. little ウ. small エ. tiny オ. young


② Please call me as soon as the price is ( ).
価格が分かり次第、お電話ください。

ア. confirmed イ. decided ウ. informed エ. known オ. understood


③ Japanese subtitles aren't ( )in this movie.
この映画には日本語の字幕がありません。

ァ. attached イ. available ウ. contained エ. present オ. written


そこで質問です。小学生に英語を教えるには どんな方法がベストだと思いますか?
目安としては 中学入学前に 英検3級レベル程度を目標とします。

A 回答 (2件)

たしか小学校の3・4年生に関しての授業というのは外国語学習ではなく外国語活動だったように思います。



その上でいうならば、物理的には難しいでしょうが「日本語の話せない(上手ではない)子供と一緒に遊ぶ」ということを取り入れて欲しいですね。
それが英検3級程度に繋がるかどうかはわかりませんが、日本人の多くが多かれ少なかれ「外国人コンプレックス」を持っているのではと思いますし、それが英語を使うことをためらわせていると思っています。

私事ですが、小学校3年生の時に家族でアメリカに旅行をしました。その際に父親の知人宅に訪問したのですが、
父親の知人は日系2世で日本語も話せたのですが、そのお子さんは私と似たような年頃で日本語は全く話せませんでした。
当然、親たちの会話なんて子供には楽しくないので、そのお子さんと私は家の前でお子さんの友達なども含めて数人で遊んだ記憶があります。
当然、当時の私は一切英語なんて話せないですし、他の子供たちも英語しか話せなかったはずです。
が、私の記憶では楽しく遊んだ記憶しかありませんが、どうやってコミュニケーションを取っていたのか今でも不思議です。
おそらくはお互いに身振り手振りだけでやりとりをしていたのでしょうか?

これは、おそらく子供だから可能なことで、大人であれば英語を話せない自分にコンプレックスを感じたり、さらにいえば英語しか話せないコミュニティに自分を置くこともためらうのではと思います。
然しながら、子供は単純で「その場を楽しく遊びたい」という一心で言葉の壁を乗り越えたのだろうと思います。

そこからすると外国語活動の一環として、「外国人の子供と遊ぶ」というのもありなのではと思います。

ちなみに、その経験は私の中では全く英語の学習には役立ちませんでしたが、外国人に対するコンプレックスはその後も生まれなかったように思います。

また、そのような経験が転じたのかどうかはわかりませんが、それから10年以上経ってから留学した際の経験では、
「共通の目的や興味があれば拙い英語でも会話は成立する」ということです。
相手が日本に興味があれば日本に詳しいであろう私の話にも耳を傾けるし、共通の趣味があればその趣味の話では拙い英語であっても話は弾みます。
これもまた英語コンプレックスや外国人コンプレックスを低減する一つの方法でしょう。

外国語活動というのがどのようなものになるかはわかりませんが、とりあえず「英語嫌い」「外国人嫌い」を作らずに、できれば「英語好き」「外国人好き」を増やすことがその後の英語教育になんらかの効果を発揮するのではと思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>たしか小学校の3・4年生に関しての授業というのは外国語学習ではなく外国語活動だったように思います。
外国語といっても 英語以外の選択肢がないのに、どうして 外国語だと思いますか?
よろしければ、こちらの掲示板もごらんください。
https://9200.teacup.com/ingles_555/bbs/22

お礼日時:2020/02/11 17:45

そもそも諭吉がそういう学習法を推奨していただあろうとする根拠は何なんでしょう。

私が知る限り、明治に創立されたミッションスクールの数々も、明治生まれの慶応ボーイたちも、そういう学習法はとっていませんでしたが。

さて、私は教えることに関してはまったく門外漢ですが、きっと文科省がそれなりい良いシステムを考えていると思います。一方で、小学館ホームイングリッシュスクールの学習方法はそう悪くないようでした。歌などを歌うことが中心だったようです。当時は素人同然の日本人を多用していましたが、今なら英語圏人による音源を活用できると思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>そもそも諭吉がそういう学習法を推奨していただあろうとする根拠は何なんでしょう。
諭吉はオランダ語から英語に鞍替えした洋学者であって、「学問のすゝめ」を初めとする著書を出しましたが、特に 英語の学習法を広く教授したわけではありません。

>私が知る限り、明治に創立されたミッションスクールの数々も、明治生まれの慶応ボーイたちも、そういう学習法はとっていませんでしたが。
諭吉の場合は 誰も英語を教えてくれる人がいなかったので、そうやって独学するしかなかったのです。諭吉は 英語学習の先駆者ですからね。
また、明治に創立されたミッションスクールの数々も、明治生まれの慶応ボーイたちも ごく一部のエリートであって、教える側も 布教と言う目的があったので、諭吉とは全然違うと思います。

>きっと文科省がそれなりい良いシステムを考えていると思います。
文科省は そこまで頭が回っておりません。ただ、教材に関しては We Can!という まずまずの出来のものがあるんですが、↓のサイトの主のように ucokさんとは対照的に 文法と和訳は大好きだけど 語学的センスに欠けているので 中学の英語を前倒ししたような教え方しかできない人間が酷評しています。
http://makki-english.moo.jp/contentsfirst2elemen …

お礼日時:2020/02/11 17:34

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