「平成」を感じるもの

世界史を勉強していると、大航海時代というのは、ヨーロッパの国々の視点からみると、ロマンのある時代ということになると思います。
ただ、世界の、その他の国からみると、けっこう、迷惑をかけられた時代のようにも思います。

ところで、ヨーロッパの国々は、海外に植民地を、いっぱいつくったようなのですが、結局、利益は出たのでしょうか?
いろいろな本を読むと、海外に植民地をつくって、領土を拡大したけども、維持費の方が高くついて、全体としては、利益にならなかった、と言っている人もいるようです。

利益が出た国もあれば、利益が出なかった国もあると思いますが、どこの国が植民地で利益をあげて、どこの国が、損をしたのか、解説しているようなウェブサイトはあるでしょうか?

A 回答 (8件)

このサイトはどうでしょうか。


http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51878475 …

企業経営、あるいは起業は利益が出るか、ということに、単純には答えにくいという面もあると思います。
でも、どこかで衰退する、利益がでなくなる、赤字になるということがあったにしても、それまでの期間はそこそこ営業を続けられたのであれば、損益計算書や貸借対照表の利益項目がどうであれ、「企業を作り、運営・操業をしていられたというだけでも、利益はあったのだ」と思います。
収入-費用=利益 ではなくて、収入が増加することが利益です。
古代のローマでも、もっと前のギリシャでも、繁栄したということと、植民地をもっていたこととは不可分です。オスマントルコ、スペイン、英国でも、基本、同じです。

> 海外に植民地をつくって、領土を拡大したけども、維持費の方が高くついて、全体としては、利益にならなかった、と言っている人もいるようです。

たぶん、視点の違いです。 
植民地に自国商品を売り込んだり、植民地から安く物財を得て自国に持ち込むことも、それなりに利益なのでしょうが、(自国のもともとの領域の多くで、植民地を持つ以前よりは、建設や物財の流通量が増える=経済活動の量的規模が増大する)ことが利益なのだと思います。
その利益(経済活動の活性化・規模拡大=繁栄)があるから、起業や操業の継続、植民地獲得や植民地経営継続があるのです。 
[植民地獲得や植民地経営継続をしたら、自国の経済活動が衰退し、物財が減少してしまう]のならば、王や為政者は、面子や主義主張・信条・権威維持のためだけにやっていることになってしまいますが、そのようなことは、例外的な局面でしか行われません。
現在でも、世界的レベルで事業展開している大企業で(年間損益では赤字)を続けているのがありますが、《事業規模が拡大することそのものが大きな利益》です。
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難しいことは抜きにして、単純に説明すれば「利益」という言葉の定義によって変わるということです。


大航海時代のスペインポルトガルを例にとれば、
アメリカの植民地から金銀を奪うことで一時的には国が豊かになりましたが、
対外侵略が中心となったため、国内産業の育成がされなかったことで、両国は没落しました。
つまり一時的に豊かになったことを「利益」というなら、「利益」はありましたが
長期的な視点に立てば、植民地からの利益はなかったとも言えます。

西ヨーロッパ諸国がアジア・アフリカに植民地を持ち、
そこで原材料を生産させ自国での産業革命を成し遂げましたが、
最終的には、世界戦争の原因を作ることとなり、さらに今でもその問題を引きずっています。
そうした事への出費を考えると利益があったのかわかりません。
このように「利益」をどう考えるかによって解説内容が変わってしまいます。
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まず、近代における植民地とは


 本国政府の憲法や諸法令が原則として施行されず、
 本国と異なる法的地位にあり、本国に従属する領土
を指します。
このため、ジブラルタルのような要衝も植民地なので
直接の利益はほぼなくても関税や防衛拠点として
間接的に貢献したものもあります。



16世紀半ば以降、西ヨーロッパを中心とした絶対君主制の国家において、
貿易などを通じて金や銀などの貴金属を集めて富を増やす
「重商主義」という政策がとられました。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%8D%E5%95%86 …
これは「富は金であり、その蓄積が国力を増大させる」
というもので、植民地の独占は多くの富をもたらしました。
また、2国間の貿易だと収支が不均衡になるので
赤字国の金や銀が無くなるなどの問題があったので
他の地域の植民地を介した三角貿易も行われました。
このため、より広域の植民地が求められました。
大航海時代に航海を行うのは商人でもその許可を出すのが国です。
コロンブスのサンタフェ契約にみられるように国の許可が必要。
インカ帝国を滅ぼしたスペインのピサロもカルロス1世から
ペルー支配の許可をもらってから出ています。
このようにして植民地は国の庇護のもと拡大していきました。

しかし、保護貿易を加熱させることで植民地の維持や他国との競合
特権商人の増長などが問題になり、自由経済思想へと移行しました。
おそらく、この過程を指摘されたものだと思いますが、
赤字になる場合や維持が困難なものはロシアにおけるアラスカや
仏領ルイジアナのように譲渡や独立させたはずなので
全体としての赤字経営は日本の朝鮮支配など少数だと思います。
 注 日本の朝鮮支配時には為政者は選挙で選ばれない総督であり、
   総督の下で日本とは別の法が適用されていたことから
   植民地で問題ないと考えます。
   「他国の植民地政策と違う」という抽象的な反論が多いのですが
   具体的な反論があれば異論は認めます。
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商行為の基本は「安く仕入れて高く売る」。



古代ローマ時代インドの香辛料は、インド国内は知らずローマ領内では高く売れた。
だから法外な関税をかけられても、インドで仕入れローマで売ろうとする商人は後を絶たなかった。

これは植民地経営にも当てはまる。

本国から遠く離れた植民地で、本国では生産できない物産を生産する。
労働力などのコストを安く抑え、できるだけ経費を抑える。
それを本国に輸送する。
「希少性」や「ステータス」「有用性」などを喧伝し購買意欲をあおる。
そのように消費心理を刺激し需要を高め、高い価格でも売れるようにする。
売る先は本国とは限らない。
周辺諸国も自国と同様その物産を生産できないなら、貿易によって売りつけることができる。

当然、一部の人間が利益を上げる一方、そのしわ寄せを受ける人間もいる。
そのことは上の文章でもすこし触れた。
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「大航海時代」の「航海」の目的は貿易です。

希少価値のあるものを仕入れて(本とんど略奪に等しかったかも)持ち帰り、ヨーロッパ市場で高く売ることで儲けました。
品目は「香辛料」「茶」「綿織物」「絹」「陶磁器」などで、「航海」の主体は「商人」でした。商人は「出資者」(王族、貴族も含む)から「資金」を募り、その額に応じて「儲け」から「配当」を支払いました。現在の「株式」の走りです。

ここで誤解してはいけないのは、「航海」に出かけたのは「商人」であって、最初は国家そのものが乗り出したわけではないということです。
イギリスやフランス、オランダなどの「東インド会社」は、国から「独占権」などを得てはいましたが、基本は「民間会社、商人」です。

その「貿易会社」が、現地での治安維持・安全確保、現地での一時加工のための工業化、ヨーロッパ製品の市場化などのために、次第に「支配権、統治権、軍事力」を必要とし国家が乗り出していったのが「植民地」です。
当然「金儲け」のための「貿易」「植民地」ですが、現代社会と同じように「儲かる業種、儲からない業種」「ビジネスモデル」「売れ筋商品」「景気の浮き沈み」「社会の変遷」などがありますから、「国」というより「商人ごと」に儲けの多寡はあったでしょうね。商才にたけた人は儲け、商売の下手な人は儲からない、という今と同じような「経済の原則」だったと思います。
国家レベルでいえば、基本は「商業圏」「経済ブロック」の独占的構築(資源の独占的確保、商品の独占的市場)ですから、それを維持してどのように儲けるか、必要なら「アヘン戦争」のようなもので無理やり買わせる、とった荒っぽいこともしたわけです。「儲かる、儲からない」などという「成り行き任せ」「受動的」なものではなく、儲かるように植民地支配の仕組みを強引に作っていったわけです。
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植民地政策を採ったのは、利益を出すため


です。
いじめるためではありません。

現地人を奴隷化して働かせ、資源などを
強奪したんですから、
儲かったのです。

今の欧州の豊かさは植民地政策による
ものです。


その後、第二次大戦を契機に、植民地の
独立運動が盛んになり、これを押さえる経費
がバカ高くなり、
貿易の方が儲かる、と植民地政策から貿易に
切り替えました。
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大航海時代に活躍したのは主にスペインとポルトガルですが、大いに儲けました。


それもたいそうひどい方法で。したがって1588年にスペインの無敵艦隊がイギリスに敗れるまで
スペインは世界最強であると考えられていました。

>ところで、ヨーロッパの国々は、海外に植民地を、いっぱいつくったようなのですが・・・・

ちょっと誤解しているようですが、大航海時代に「活躍」したのはほぼスペインとポルトガルです。

今後、スペインやポルトガルに観光で行く機会があれば、教会へ行くとわかるでしょう。
金ぴかの装飾などの金銀財宝は南米のインカ・アステカ人を騙して滅ぼし強奪したものです。
南米諸国の公用語のほとんどがスペイン語であり、ブラジルがポルトガル語であるのはそのなごりです。

日本にもポルトガルの宣教師が来ましたが、英国人ウイリアム・アダムス(三浦按針)からの情報を得るなどで
彼らの陰謀がわかり、のちキリスト教を禁止しています。
カトリックは南米ばかりかアジア・アフリカを植民地支配するための道具として使われました。
南米は武力で押さえましたが、宣教師の来た頃の日本にはすでに数も性能も世界最高の鉄砲があり、世界屈指の強国であったため
武力による征服をあきらめ、カトリックで日本人の心を支配しようとしたのです。
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利益とは何を指しているのかが解りませんが、


当時は片道切符に等しく、行きついた先で生活しなければならない時代です。
そんな先人が絶えることなく生活して住民が増えることが、
本国から見れば領土を拡大した結果となるので、それが利益になります。
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