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この計画は昔、本当にあったそうです。

A 回答 (3件)

こちらは関西ですが、同じ様な延伸計画があり、西九条~難波間の阪神電鉄なんば線がそれに相当します。

昭21年に計画が持ち上がり、何と70裕余年を経た平成21に完成した。国からは反対されなかった様だが、大阪市からは大反対され、それを妨害する形で地下鉄が敷設され、沿線の商店街からも反対されたり紆余曲折が有って、計画から何十年も経ったが、計画は引き継がれ、ようやく実現した、という経緯がある。東京でも同じ様な事が有ったかも知れませんね。こちらみたいに、時代が変わった事により、実現する可能性があるかも知れません。
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京急(当時は京浜電鉄)に限らず、


・小田急は地下で東京駅まで乗り入れるつもりでした。
・京王は新宿から神田を通って領国まで計画していました。
・京成も地下で新宿や有楽町を経過うしていました。
他にも帝都や東横、東武、東上、武蔵野などの計画もあったと記憶しています。計画が無かったのは西武農業くらいでは戦後、西武新宿に乗り入れ、本来の計画ではマイシティ・ルミネエスト新宿の位置)

また、京浜や京王、京成は都電との乗り入れを考えてトーキョーゲージと呼ばれる1372ミリの世界でも珍しいゲージを採用しました。その後、京急は戦前に標準軌に改軌、京成は都営1号線乗り入れ時に新京成でリハーサルをして標準軌に改軌。

で、こういう計画を戦後、整理したのが都市交通審議会で、各私鉄ごとの都心乗り入れ計画を地下鉄との相互乗り入れにしたのです、ですから、今更、それに逆らうのは難しいでしょう。認可が下りないと思います。
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京急は都心直通の意図は昔からありました。


青山方面のみならず、そのまま新橋方面に北上し銀座線に乗り入れ、浅草までなど。

八ッ山橋から東京都電に乗り入れて高輪まで延伸したのは、当時東京都心部の主要な交通機関だった都電に乗り入れて、都心部までアクセスするつもりがありました。
今になって思うと、交通量を思うに断念して正解だったと言えます。

本社に置かれているデハ230は、銀座線と同じ寸法で作られています。
台車に集電舟を付けて、そのまま銀座線を走らせられるように設計されていました。

>京急電鉄が品川から港区の白金、青山の方面に路線を伸ばすと言ったら今でも国や都から拒否されますか?

拒否するしない以前に、京急にとって旨味がないので申請しないでしょう。
国は良いともダメとも言わないでしょう。
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