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日本史の白鳳文化についての質問です。
教科書に、[中央集権的国家組織の形成に応じて、中央の官吏だけでなく地方豪族にも漢字文化と儒教思想の受給が進んだ。]という記述があるのですが、なぜ中央集権的国家になったために、地方豪族にも漢字や儒教が伝わったのですか?

A 回答 (4件)

明治維新、幕藩体制が廃藩置県となった。

土地の管理者者が大名の世襲制(幕府は承認するだけ)から、中央政府が任命した官吏が管理する形になった。これと同じだ。

天武・持統天皇コンビは、壬申の乱で勝利すると、本格的な律令を定め、民の戸籍を作成して公地公民制を断行した。
つまり、諸豪族などの土地所有権を廃し、朝廷が民とともに一括管理することで、豪族たちを中央政府の官僚に変えた。この時から中央の貴族も地方の豪族も形の上では、朝廷の官僚・官吏、すなわち公務員(お役人)になったわけだ。

地方には中央の官吏が赴き、律令を民に教えたり、戸籍を作ったり、訴訟処理・事務処理などお役所仕事をやった。学者や仏僧とともに教育も行っただろう。土木工事など各種公共事業の指揮・指導も行っただろう。
儒教教育はどの程度かわからないが、神仏習合教育で、神道より深化した形で仏法教育を進めたことは間違いない。
全国各地にあった神社を神宮寺みたいな形で改修し、そこを拠点に政務や神仏習合教育を行っていた可能性すらある。そもそも「寺」とは、今でこそ仏教寺院のことだが、昔は「役所」のことだった。

このような下地が天武・持統天皇時代にほぼ完成していたからこそ、聖武天皇時代の東大寺を頂点とする全国の国分寺ネットワークも比較的簡単に構築され、大仏造りのための寄付金も全国津々浦々からアッという間に集まったのだろう。

※ちなみに「侍」の本来の意味は「役所にいる人」つまり「下級役人」のことだ。源平時代の頃から武士が下級役人の仕事をするようになったので「侍(サムライ)」=武士の意味となった。
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中央集権というのは、中央が命令を出し


地方がそれに従う、ということです。

命令は文書で出します。

当時の公用語は漢字でした。
だから、漢字で命令するわけです。

漢字が判らなければ、命令を受けても
何が何だか判りません。

必然的に漢字を勉強するようになります。

漢字の勉強の過程で儒教も学びます。

そうやって漢字文化が地方に広がった
のです。
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官吏役人が出前出張に励んだためです。

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中央集権というのはどういうことでしょう?


中央(大王・天皇)のもとに地方から集まってくるということですね。
現在、東京で国会が開かれていますが、地方の議員はみんな東京に住んでいるはずです。

 ということは、中央で行われている文化や教育、宗教などが地方にまで普及するということですね。
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