街中で見かけて「グッときた人」の思い出

表題の通りです。

以下の質問は私の意見を含むものではなく、一つの状況を想定したものと捉えて頂ければ幸いです。

近代社会における民主主義の歴史は、まず制限選挙制から出発し、次第に有権者を拡大させ、その結果現在では普通選挙制が一般になっています。
ここで疑問に思うのですが、有権者を拡大させてきたことは、「民主主義の理念を実現する」こと以外に、有権者の拡大が社会の安定化や健全化をもたらすという何か政治学上の理論、研究に基づいた実証的な政策であると言えるのでしょうか。

すなわち民主主義の発達に従い衆愚政治というポピュリズムの問題が一層顕在化し、これが民主主義を自ら機能不全に貶める最大の敵となっています。
よって民主主義の脆弱性が衆愚としての民衆自身の特質にあるとすれば、民主主義を適切に持続させるためにも、民主主義に制限をかけ、しかるべき有権者によって民主主義を担うという制限選挙制への回帰が政策議論の一つとして検討されないのはなぜなのでしょうか。

制限選挙が抱える問題が普通選挙を生み出したという歴史的背景があります。しかし、普通選挙もまた投票率の低下という機能不全を起こしていることも現代史では明らかである以上、どちらも問題を抱えているという点では同様のはずです。にも関わらず、制限選挙と普通選挙どちらが制度として優れているのかという検討をせずに普通選挙が当たり前だとされる思想的風潮にはしっかりとした学術的根拠を踏まえてのことなのでしょうか。

政治の目的は国民の幸福と福祉の増大であり、それが実現可能ならばなにもその政体は普通選挙による民主主義である必要はないはずです。また、その政治の目的の実現が普通選挙制民主主義によってのみ達成可能であるという根拠もないはずです。であれば普通選挙制を維持することだけが自己目的化した民主主義というのは本来の政治の目的から外れていると言えるのではないでしょうか。

以上の点について、皆様の知見を賜れれば幸いです。どうぞよろしくお願い致します。

A 回答 (4件)

書くのが面倒だけど、全然論外ですね


理論整合性が殆どない
冷静に読み直してみた方がいいです
制限を加える人の正義は永遠に証明されない
ただの一人よがり
衆愚政治と書いてあるが、愚は誰がどう決めるのですか
質問者さんの考えは中国共産党
テレビで中国の交換がよく発言します
「我々は中国の法に準拠している」
誰が決めた法だね、愚か者
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
私は質問の冒頭で既に私の意見ではなく人つの状況を想定したものと断りを入れております。
それにも関わらず、「質問者さんの考えは中国共産党」と決めつけることが、それを言う人自身が思想的に偏っている証拠であると言えてしまうのではないでしょうか。
私は民主主義を擁護される方々が、その自身の思想の偏りを自覚された上でなお民主主義の利点を理論的に検証した上で発言しているのかを気にしているのです。
質問内で私は繰り返し理論的根拠について教えて下さいと申し上げております。
No.1様自身の感想や意見ではなく学術的な根拠を踏まえた解答を期待しております。

お礼日時:2020/03/05 11:19

>しかるべき有権者


どうやって選別するのでしょう?
選別者をどのようにして決めるのか、その選別が妥当である事をどのようにして担保するのか。
出来るというなら、なぜ統治者、指導者で無く有権者を選別する必要があるのか疑問ですね。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
質問中でも触れておりますが、私は是非を問いたいのではなく、政治学の理論において「どうやって選別するのか」という方法論上の議論が行われているのかどうか、その研究蓄積や知見はあるのかをお聞きしたいのです。

(制限選挙の場合)選別者をどのようにして決めるのか、その選別が妥当である事をどのようにして担保するのか。

このご指摘はごもっともであると思います。しかしこのご指摘はそのまま同じ論法が普通選挙に対しても向けられるのではないでしょうか?
すなわち普通選挙による有権者たちが有権者として妥当であるかどうかの担保はどのように行うのでしょうか?
普通選挙は有権者たちに対して「信頼」というものを置く以外に、制度としてこれを正当と保障する担保は何かあるのでしょうか?

お礼日時:2020/03/05 11:26

制限選挙から普通選挙に移行したのは


何が原因でしょう。

戦争です。

戦争を契機にして選挙人が広がってきた
のです。

戦争に行かせるんなら、国のために命を
かけたんだぞ。
なら、参政権もよこせ。

そうやって選挙人の範囲が広がってきたのです。

日本では第一次大戦後の大正デモクラシーです。

米国でも、黒人の権利が問題になったのは
第二次大戦後のことでした。
黒人の多くが戦争に参加したため、発言力が
強くなったのが原因です。

公民権運動が盛んになり、選挙権が認められた
のは東京オリンピックの年でした。

何を言いたいのか、といえば、選挙権は
戦争に国民を参加させる根拠になっている
ということです。

ことは戦争だけではありません。
選挙権があることにより、我々の国だ
という認識が醸成出来るのです。

一部の特権階級だけの国ではなく、我々
みんなの国なんだ。

だから、国家に協力するようになるのです。

こうした国家を国民国家といい、
国民国家は戦争を初めとして、強力な
国家になれるのです。

国民国家化に最初に成功したのが西洋で
だから、彼らが世界を席巻できたのです。




ここで疑問に思うのですが、有権者を拡大させてきたことは、
「民主主義の理念を実現する」こと以外に、
有権者の拡大が社会の安定化や健全化をもたらすという
何か政治学上の理論、研究に基づいた実証的な政策であると言えるのでしょうか。
 ↑
1,理論
 なぜ法律に従わねばならぬのか。
 それは国民の代表が作った法律だからだ。
 つまり、国民自ら作った法律なんだだから
 従うのは当然である。
 制限選挙では、こうした理屈が通らなくなります。

2,実証
 国民国家化に成功した国は、皆豊かで強力です。
 途上国の多くは、国民国家化に成功していないが
 故に途上国なのです。
(高木 保興 東大名誉教授)



すなわち民主主義の発達に従い衆愚政治というポピュリズムの問題が一層顕在化し、
これが民主主義を自ら機能不全に貶める最大の敵となっています。
  ↑
その通りです。
湾岸戦争時、大統領の支持率は90%にも
なりました。
そもそもですが、選挙民は政治経済には
素人ですし、情報も持っていません。
そんな選挙民の意思を反映する民主制が
本当に優れているか、疑問もあります。




政治の目的は国民の幸福と福祉の増大であり、それが実現可能ならばなにもその政体は普通選挙による民主主義である必要はないはずです。また、その政治の目的の実現が普通選挙制民主主義によってのみ達成可能であるという根拠もないはずです。であれば普通選挙制を維持することだけが自己目的化した民主主義というのは本来の政治の目的から外れていると言えるのではないでしょうか。
 ↑
事実として、普通選挙制を採っている国の
方が豊かです。

また、政治の目的は幸福と福祉だけでは
ありません。

国際的生存競争に勝ち抜く、という点も忘れる
べきではありません。
国際的生存競争に勝ち抜き、生き残るには
国民皆の協力を得られる
普通選挙制度の方が有利だと思われます。
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古代から人はその問題に悩み続けている。


一定の解決策として、効率が悪く、さっぱり問題解決に向けて動き出せない元老院政治に対し、リーダーシップを発揮できる皇帝制を主張し、元老院には皇帝の行き過ぎ・暴走を抑止する機能を持たせてバランスを取ろうとしたのがカエサルだ。
欧州でカエサルが尊敬を集める理由は、戦争に強かったからではなく、現代にも通じる偉大なる統治システムを考案し、ほぼ実現させたからだ。残念ながら実現まであと一歩で暗殺されたわけだが…。

現代の米国の大統領+議会に代表される多くの国の政治形態のコンセプトは、カエサルが描いた統治システムがベースとなっている。
そしてそれは単なる衆愚政治を避けるために考案されたものだ。
もちろん、それがベストではないだろう。しかし、王制や代議士集団だけの政体よりはマシだ。という理由で世界中に広まった。

これ以上の、永続的に持続できる政体構想は、カエサル並の天才が出現しないと出てこないのだろうか。
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