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神様(相対的に比べて神といっていい存在)はいると思いますか?

私自身、絶対神のような者はいないと考えてますが、
人類と比べ相対的にみて神様のような存在は居ると思ってます。

例:アリから見たら生殺与奪が好きなような人間は神のような存在。

A 回答 (10件)

No.2です。



> ただ私が指すのはもっと途方もない存在です。
魔法のランプ、ドラゴンボールの神龍、人生終了後の天国、…
これらは夢物語であって、実在はしませんよ。

> 人類と比べ相対的にみて神様のような存在は居ると思ってます。
宇宙を見れば、地球とは違う生物体の存在は否定できません。
しかし、「その生物体」と「地球の人類」が意思疎通できなければ、
お互いの存在自体が認識できないでしょう。
認識できない存在から自分が影響を受けていたら、
それは「神」と言えるかもしれませんね。
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この回答へのお礼

度々のご回答ありがとうございます。

>認識できない存在から自分が影響を受けていたら、それは「神」と言えるかもしれませんね。

我々の目では視えないが確実に存在するものは幾つかあります。
それらが影響を及ぼしている可能性は0ではありません。

お礼日時:2020/03/28 16:19

その例えなら、生物である必要性はなさそうなので、地球を神と見立ててもよさそうだな。


その上が太陽。
さらに上も無論あるけど、きりがないのでやめとく。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

そうですね。「地球」という星自体に「意志」があり「知能」を有する可能性は十分考えらえます。
地球から見て地震は人でいう痙攣程度なのかもしれません。

考えるとキリが無いですね。
太陽でさえもこの大宇宙の中で最も大きい星と比べれば、ほんの些細な存在だそうです。

お礼日時:2020/03/28 13:23

人類に比べ相対的に科学技術の進んだ知的生命体(いわゆる宇宙人)はいると思います。


例えば、地球を破壊することもできるような宇宙人もいるでしょう。でも、そのような存在と地球人が出会うことは、恐らくないと思います。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
そうですね。私達は私達の尺度でこの宇宙や地球を見てますが、大きさ1つとっても、地球の星ぐらいの大きさの宇宙人が居ても何らおかしくありませんし、その逆(アリ並みの知的生命体)も然りではあります。

お礼日時:2020/03/28 13:21

居る 居ないなど 関係ない



居るとして どうすれば良いのか?が 分からない人には 居ないのと同じ


喜んでいる神を見てる人にも 神の本当の姿は映っていない
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いると信じればいるしいないと信じればいない。


所詮、言葉で表せるようなものは神ではないと思います。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
そうですね。

ただ確実に存在するであろうと予測します。

お礼日時:2020/03/28 13:18

神はいます。



貴方の
そして私の
心の中にッ!
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

自分自身の身体に居る、細胞や微生物にとっては自分自身の意志というのは神でしょうね(笑)
難しいです。

お礼日時:2020/03/28 13:17

神は居ると思考しています。



この世は物質と精神で構成されています。もし、この世は物質のみで構成されているとしたら、私は何も感じないでしょう。

熱いとか赤いと感じている主体が私です。熱いとか赤いと言う感じは、幾ら高性能な顕微鏡で脳の中を覗いても見えません。物質が、熱いや赤いに対応する動きをしているのが見えるだけです。
その動きの刺激を受けて、精神である私が熱いとか赤いと感じているのです。
熱いや赤いは物質ではないので、それを感じている私も物質ではありません。私は、無限の感受性である精神です。

物質の全体を宇宙と言います。質問者さん、それでは「精神の全体」を何と呼んだら良いでしょうか。

そして、この世の始まりを物質のみで説明することは出来ません。物質の因果関係は、原因が結果を生じ、その結果が原因となり更に結果を生じると言う形になります。
従って、宇宙の始まりは原因なくして結果を生じなければなりません。つまり、無から有を生じなければなりません。しかし、それは不可能です。

一方、精神は物質を動かすことが出来ます。精神である私は物質である手を動かすことが出来ます。ですから、宇宙の始まりにおいて最初に動いたものは、「原因から自由な精神」以外にはありません。

質問者さん、この「宇宙を創造した精神」を何と呼んだら良いでしょうか?

 ユダヤ教・キリスト教では、外界は神が創造したと信じます。
 ここに物が落ちたのは、ここに落ちるように、宇宙が作られているからであると考えます。そして、どうしてここに落ちたのかを追求し、 物体は外から力が加わらなければ、そのまま飛び出した方向へ等速運動を続けるが、落下距離は時間の2乗に比例する為、 放物線を描いて地上に落下し、ここに落ちたことを発見します。
 宇宙で起る全てのことは、必然であり意図されたものであると考えます。ですから、一見偶然に思える事柄に対しても、 必然であると確信し、その仕組みを解明しようとします。
 ある天才は、「神はサイコロを振らない。」と言いました。 これは、現象を確率で説明しようとする態度に対して、必然な説明をしなければならないと批判したものです。
 この様に、西洋では神が宇宙を創造したと言う確信により、自然科学は発達して来ました。

 それに比べて、東洋では仏が宇宙を作ったとは考えません。精神の中に仏が存在していると考え、内心の仏を追求します。
 宇宙は偶然出来たと考えます。物は色んな所に落ちます。物がここに落ちたのは偶然だと考えては、 落下の法則や万有引力の法則は思いつかないでしょう。
 無神論も同様です。ハッキリと必然と分ること意外は偶然であると考えたのでは、人に先駆けて新しいものを発見することは出来ません。


 神を持ち出すと、単純に非科学的であると非難する方が居られます。しかし、科学で全ての現象を説明出来るでしょうか。
 第一、物質の因果関係のみでは、宇宙の始まりを説明することは出来ません。 物質の因果関係は、原因→結果=原因→結果=原因→結果・・・と続きます。原因があり、その為に結果が生じ、 その結果が原因となり次の結果が生じると言う順番となります。
 しかし、これでは最初の原因が存在出来ません。その最初の原因は、何らかの原因により生じなければなりませんが、それがありません。 物質のみでは、宇宙の始まりを説明できないのは自明のことです。

 また、コインのゲームを考えて見ます。コインを縦に立て、倒れて表が出れば私が勝ち、裏が出れば貴方が勝ちます。 科学では、このゲームで私が勝つ確率は50%、負ける確率も50%としか言えません。 しかし、現実にはどちらかが勝ち、掛け金を全て手に入れます。それを決めるのは何でしょうか。
 これと同じことは、素粒子レベルでは無数に起っています。完全に均衡している状態で、僅かな力が加わり少しの不均衡が生じると、 不均衡が不均衡を呼び次第に大きくなり、終にはコインは倒れます。

 確率は50%ですが、ほんの僅かな力が加わることで、表が出たり裏が出たりする。その為に、ある者は人生で成功し、ある者は失敗する。 その僅かな力が精神である可能性はあります。

 精神である私は、物質である手を動かすことが出来ます。肉体は動かすか動かさないかで物的に均衡した状態にあります。 ほんの僅かな精神の力を、物的に均衡した物質(脳)に加えることにより、手は動いたり動かなかったりします。 この様に、精神は物質を動かすことが出来ます。

 単なる偶然の連続で、この宇宙は進行しているのでしょうか。それとも、何らかの意図があり、僅かな精神の力が加えられているのでしょうか。

正しい知識を得るには、全てのものを疑うことの出来ない自明なものなのか否か問いかけることが必要です。 デカルトは、この方法的懐疑により、全ての知識を自明なものか否か検証して見ました。
 その結果、自明なことは唯一つしかないことが判明しました。それは、全てのものを疑っている自分が存在することだけは 疑うことが出来ないと言うことでした。 「我思う故に我あり。」です。それ以外は、正しいと思ってはいたが、そう思っていただけであることが分りました。 これが「無知の知」です。

 しかし、自明なものしか信じないのであれば、そこまでです。そこから先は、何を信じるかによります。
 心は、その中に宇宙を作り出しています。私たちが感じている宇宙は、心の外の宇宙ではありません。心が作り出した宇宙です。 心の外を覗くことは不可能です。心の外に、宇宙があるのかどうかも分りません。
 しかし、心は外界に似せて、心の中に世界を作り出しているのです。心の中では、1+1=0でも、1でも3でも何でも構いません。 心の中に在るものは、消えたり生じたりします。従って1つと1つ在ったものが消え去り0となっても良いし、 新しく生じて3になっても良いのです。決して増えもせず減りもしないと前提して、1+1=2としなければならない必要はありません。

 しかし、外界では、無から有は生じませんし、有が消滅して無となることもありません。エネルギー保存の法則が成立します。 従って、1+1=2でなくてはなりません。
 心が1+1=2に制約されている事実は、心の中の世界は、外界に出来る限り似せて作られていることを証明しています。 外界に1+1=3を適用すると、その行動は誤りであり、失敗するからです。
 従って、外界には、心で感じている様な世界が存在することを前提とせざるを得ません。

 宇宙の仕組みを完全に解明した時、物質だけでは説明出来ないことが残されたら、神の存在を証明したことになります。  この様に、宗教は全く科学的な態度であると言えます。

「神の存在」について、私のホームページに纏めました。是非ご参照下さい。
http://catbirdtt.web.fc2.com/syuukyouhahikagakut …
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
長文、キッチリと読みました。

そうですね。無から有は産まれない。
「神の存在」のページ、後日、ゆっくりと読んでみます。

でも私は神の存在は信じますが、神様も信仰も、信じてもいませんが(^^;

お礼日時:2020/03/28 13:16

こんにちは。



んー、いるとは思う、でも「手助けはしてくれない」と思
います。

ぶっちゃけ地球を含む人間が生存出来る確率の低さを考え
れば、長い年月の偶然で出来たと考えるより、神様が作っ
た、と考えた方が適当だと思うのです。

ただ、じゃ手助けしてくれるか、というと人間(きっと多
くの生物も)はなにかにつけバカみたいにお願いしてるん
だから、そんなお人好し対応はしないのではないか、と思
うのです。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
そうですね。手助けはしないでしょう。
いちいち構ってられないというか、人間がアリ1匹の生死を気にしないのと同じで人間の生死なんて気にも留めないと思ってます。

>ぶっちゃけ地球を含む人間が生存出来る確率の低さを考え れば、長い年月の偶然で出来たと考えるより、神様が作っ た、と考えた方が適当だと思うのです。

→ここにはとても共感します。
遥か昔に、水中にしか生物が居なくて一部が陸上に上がって進化しいろんな動物に変異したとか、どうみても考えられません(せいぜい微生物ぐらいです)

>ただ、じゃ手助けしてくれるか、というと人間(きっと多くの生物も)はなにかにつけバカみたいにお願いしてるん だから、そんなお人好し対応はしないのではないか、と思うのです。

そうですね。

お礼日時:2020/03/28 13:14

当然、います。


各人の知識/技術レベルは様々なので、
自分の知識/技術レベルをはるかに超える人は、正に「神」です。
神業、とは、そういうことを総称しています。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
そういう技術レベルでの差で言えば「神」と比喩しても間違えないですね。

ただ私が指すのはもっと途方もない存在です。

お礼日時:2020/03/28 13:11

神も幽霊なども、存在はしない。


ただ、事象としてはある。

何かしら影響は及ぼしている、と私は思っています。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
神の定義が人によって異なると思うのですが、地球人よりはるかに優れた知能を持った生命体の存在はいると考えておりますでしょうか?

>ただ、事象としてはある。

ええ、人間の目では視えないだけに過ぎないと思ってます。

お礼日時:2020/03/28 13:10

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