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先に質問を行い疑問が深まったので再度質問させていただきます
先の質問
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/11617551.html

ちなみに私は医師からこんな酷い人は見たことがないと言われる程度には酷いASD当事者で、医師からコミュニケーション能力が畑の種ほどもないから目も出ないといわれるほどコミュニケーション能力がないと診断を受けているので行き違いや齟齬があればその都度指摘していただければ幸いです

先の質問で努力とは「目標実現のために心身を労してつとめること」という回答を一人の回答者の方から丁寧に教えていただきました
自分自身が主観として能力に不足を感じ努力をする場合には納得のいく回答なのですが
「他人から努力をしている」と評価を受ける際のことを感じると違和感を感じてしまい、そこを前回の質問では解決できませんでした

私の場合なのですが
1 自分主観では努力なく達成したことを努力したと他人から評価され
2 自分主観ではまさに目標実現のために心身を労してつとめた結果を努力してない・努力不足と否   定されるパターンが多いです(結果の能力不足なのは認めます)

これについて前回の回答では人によって基準が違うという方と努力の言葉の意味はただ一つという方に別れましたが実際どうなのでしょうか

1の場合だと私は自分が知らぬうちに努力していたことになり
2の場合だと私は知らぬうちに努力を放棄しているか手抜きしていることになるのでしょうか?

だとしてら自分の主観で菅汁努力とは何であるのか?気の迷いなのでしょうか?

また自分主観の努力が正しいなら他人から努力している・していないという判定は大勢の方が言葉の使い方を間違っているという事なのでしょうか?

言葉の辞書的意味ではなく現実に流通する生きた言葉としての努力の意味を知りたいです

A 回答 (2件)

貴方が努力もしないで出来たことは 貴方の得意とする分野。


一方 努力しても上手く行かなかったものは 不得意な分野。

人より少し 努力が苦じゃないもの それが得意なものだ。

もともとASDであれば 他人との価値観の共有が難しい傾向だ。
つまり不得意だ。
だから他人の秤では それを得ようとする貴方の努力の成果は あまり量が多くない。
それはむしろ当然のことだ。

しかしあれだな やはり 苦を苦と感じていない部分は 上手く活かせればスゴイことだな。
まあ 欠点は欠点として補ってイザコザが起きなくすることはやっていくとして そういった得意な部分もうまく伸ばしていきたいものだな。
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この回答へのお礼

ありがとうございます

お礼日時:2020/05/12 09:41

「頑張りたい人が頑張る。

または、 事情により仕方なく頑張る。何もしたくない人は努力しなくていい。その代わり、あらゆる幸せを失うことになる。健常者はそれを社会的および、経験論により熟知している。だから彼らは頑張る。」
です。

努力と幸福は比例します。
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この回答へのお礼

ありがとうございます

お礼日時:2020/05/12 09:41

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