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ヨーロッパで黒死病(ペスト)が大流行したのは14世紀の半ばであり、日本では南北朝時代にあたります。
黒死病はユーラシアの広大な地域を征服したモンゴル帝国の支配の下で交流が活発化したしたことにより拡大したと言われており、モンゴル帝国には支配されませんでしたが、西欧における被害はすさまじいものでした。
その中で、南北朝の抗争に明け暮れた戦乱の時代の日本で、黒死病が流行した記録がないのはなぜでしょうか。奈良時代の天然痘の流行は記録に大きく残されているので、それよりも新しい南北朝時代で疫病が発生したら確実に記録されるはずです。

2度の元寇が示す通り、日本においてもモンゴル帝国の脅威は常に存在し、大陸との往来はありました。
また、足利尊氏は日元貿易を行い、元の時代に中国で作られた製品は日本に、南北朝時代に日本で作られた製品は中国に残っています。そして倭寇による大陸侵略が始まったのもこの頃です。

このように大陸との往来もそれなりにあった当時の日本で黒死病が流行しなかったのはなぜでしょうか。

質問者からの補足コメント

  • 奈良時代には中国から天然痘がバッチリ入ってきてますよ。
    南北朝時代より、600年も前の話です。
    奈良時代は、南北朝時代より人の往来はずっと少なかったです。

    No.1の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2020/05/23 11:21
  • >でも、今と比べるべくもなく少ないです。
    そりゃ、今より少ないのは確かでしょうが、当時の感染症対策が未熟だったことを考慮すると、今より危険です。

    >製品は中国から直接、韓半島経由、琉球経由などの経路でやってきます。
    中国と直接取引する航路は遣唐使の時代には確立していました。

    >故に元本国と支配地間の人の移動は少ないのです。
    間違いです。広大なモンゴル帝国の領域内での交易が活発化したことは、マルコポーロの事例を見ても明らかです。

    No.3の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2020/05/23 11:29
  • >移動に時間がかかることも要素のひとつだと書きましたけど、時間の概念はお持ちですか?
    移動に時間がかかっても感染する地域には感染してるので、その説明は意味がありません。

    >経由貿易など存在しなかったと主張したいのでしょうか?
    何を主張したいのか分かりません。直接貿易があったのを否定したいのでしょうか。

    >程度問題ですよ。未開だった航路が開発されればゼロからの増加なので活発化となるでしょう。
    程度問題で逃げるのですね(笑)それ以前もシルクロードによる交易があったのでゼロではありません。
    モンゴル帝国で整備された交通網と交通システムについて、少しは勉強した方がいいです。
    https://www.y-history.net/appendix/wh0403-045.html

    >遣明船で輸入したのは(中略)鼠が付くようなものではなかった。
    生活用に持ち込んだ食料や衣類には鼠やノミが付きます。

    No.5の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2020/05/23 13:24
  • >陸路と海路は随分違いますけどね。海って知ってますか?
    海路と陸路はどう違うのですか?そういえば、ヨーロッパではヴェネツィア商人がクリミア半島からイタリア半島を海路で移動し、ペストが広まりましたね。

    >妄信癖を直すための宿題にしますから、少しは、ほんの少しは物を考えてみるように。
    痛いところを突かれて答えられないんですね。はっきりそう言えばいいのに。

    >異変は察知され対策は打たれるでしょう。
    その当時にそこまでの疫学的知識を持った人がいたとは考えられませんね。

    >もう、阿呆らしいんで、あなたの相手は止めます。さよなら。
    答えられなくなって逃げるんですね。知識がない人をこれ以上追及しても仕方ありません。さようなら。

    No.6の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2020/05/23 17:02

A 回答 (8件)

> このように大陸との往来もそれなりにあった当時の日本で黒死病が流行しなかったのはなぜでしょうか。



感染症は、流行したり廃れたり(?)します。 流行地域もかなり限定的で流行している地域もあれば流行しない地域もあります。 慢性というか環境風土の一部のようになって地域の大半の人々にとってはさして問題ではないことも多いです。
ということは、なぜ流行するのか、なぜ流行しないのか、なぜ廃れる(収めって終息する)のかも、良くわからないということです。
ペストでも、他の流行性感染症でも、相当に感染力が強く、死者も多い地域でも、生き残ってしまう人、軽症で終わってしまう人、ほとんど影響がなかったようになる人もいるので、そもそも感染・発症・重症化する原因やメカニズムが不明なのです。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9A%E3%82%B9 …
この図で緑のロシアは、  https://jp.rbth.com/history/83017-roshia-shijo-s …
過去の状況  https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9A%E3%82%B9 …
中国も、さほどの流行はないです。 元でも何かしらの疫病感染でダウンした人は少なくないでしょうが、元の衰退の大きな要因は気候や内政、内部抗争、そして漢民族のモンゴル反発でしょう。 
朝鮮半島でも、それほどの感染波及はなかったようです。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E9%BA%97

感染症で死ぬ人やダウンしてしまう人、それを極端に恐怖する人がある程度目立つと、社会的に大騒ぎになりますが、さほど治療方法がなくても、だいたいは、流行地域でも20年以下程度で流行は終息してしまいます。
なお、ペストでも、人や家畜からの飛沫感染は結構あるようで、ノミなどがメインとはならないようです。
https://www.city.yokohama.lg.jp/kurashi/kenko-ir …
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まず、モンゴル帝国でペストのパンデミックがおこり、交通・物流インフラを伝わって東西に広まり、ヨーロッパばかりにとどまらないユーラシア規模の災厄をもたらし、モンゴル帝国自体もペストによって崩壊したというのが定説です。

 それではなぜ、モンゴル帝国と地理的にもそれほど遠くなかった日本でペストが流行しなかったのでしょうか? ペストはネズミを宿主としたノミを媒介して人に感染します。 この点、飛沫感染や接触感染により人から人へ感染する天然痘とは大きく異なります。 日本は島国ですからネズミが泳いで渡ってくることはありません。 船にもぐりこんだネズミが貿易の際などに移動してくることは考えられますが、当時は外国船の来航も頻繁ではありませんし、もしペスト菌を媒介するネズミやノミが船内にいたら、日本にたどり着くまでに乗組員の大半が感染してしまいます。 また、ペストは感染してから死に至るまでわずか1‐2日程度ゆえ、感染した乗組員はすぐに死んでしまい、日本に到着できなくなります。 とにかく、感染ルートがほとんどなかったというのが14世紀の日本でペストが流行しなかった理由です。
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>>移動に時間がかかることも要素のひとつだと書きましたけど、時間の概念はお持ちですか?


>移動に時間がかかっても感染する地域には感染してるので、その説明は意味がありません。

陸路と海路は随分違いますけどね。海って知ってますか?

>>経由貿易など存在しなかったと主張したいのでしょうか?
>何を主張したいのか分かりません。直接貿易があったのを否定したいのでしょうか。

あなたは異常なレベルで日本語が苦手なんですか?

>>程度問題ですよ。未開だった航路が開発されればゼロからの増加なので活発化となるでしょう。

>程度問題で逃げるのですね(笑)それ以前もシルクロードによる交易があったのでゼロではありません。

あの、あなた何も読んでないのですね。

>モンゴル帝国で整備された交通網と交通システムについて、少しは勉強した方がいいです。
https://www.y-history.net/appendix/wh0403-045.html

これ、元によってもたらされたものと、昔からあるものがしれっと混ざってかかれてます。妄信癖を直すための宿題にしますから、少しは、ほんの少しは物を考えてみるように。

>>遣明船で輸入したのは(中略)鼠が付くようなものではなかった。

>生活用に持ち込んだ食料や衣類には鼠やノミが付きます。

それがペストノミであり、それによりペストを発症すれば、戻るか避難するか全滅するかでしょう。遣明船は帆船だから航海日数は一週間内外、最悪ケースで日本に入港後発症としても船員が逃げ出しかねないので異変は察知され対策は打たれるでしょう。

もう、阿呆らしいんで、あなたの相手は止めます。さよなら。
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>>でも、今と比べるべくもなく少ないです。



>そりゃ、今より少ないのは確かでしょうが、当時の感染症対策が未熟だったことを考慮すると、今より危険です。

移動に時間がかかることも要素のひとつだと書きましたけど、時間の概念はお持ちですか?

>>製品は中国から直接、韓半島経由、琉球経由などの経路でやってきます。

>中国と直接取引する航路は遣唐使の時代には確立していました。

「直接」という単語は私も書いていますが、何を主張したいのでしょう。経由貿易など存在しなかったと主張したいのでしょうか?

>>故に元本国と支配地間の人の移動は少ないのです。

>間違いです。広大なモンゴル帝国の領域内での交易が活発化したことは、マルコポーロの事例を見ても明らかです。

程度問題ですよ。未開だった航路が開発されればゼロからの増加なので活発化となるでしょう。陸路では地域地域で税関に相当する部族の集積中継点はあるにせよ、取引はゼロではない。元の支配によって、それらが撤廃されたとか、元が一律に管理するようになったとかもない。

間違いとまで言うのであれば、どれだけ急成長したのかご提示下さいな。それともマルコポーロって数の単位ですか? 1マルコポーロ=10京とかですかねw

そもそもペストはほとんどがノミを介した感染ですからね。人の移動よりもノミの移動観点で考えるべきなんですよ。ノミの感染宿主は鼠(というかゲッ歯類)、それを捕食するのは猫とかですから、それらの移動の観点で考えないと。

遣明船で輸入したのは銭、織物、生糸、薬材、書画、工芸品だから積み込み時点で鼠が付くようなものではなかった。船にペストに曝露された鼠を食べた猫がいて、それが人に感染しても、日本に着く頃には発症しているか死んでます。なので、感染者が易々と入り込んでくることはないのでしょう。

天然痘はそのウィルス自体は1年程度は感染力を持ちますから、ちょっと事情は違います。
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大陸との往来もそれなりにしかなかった当時の島国の幸運でしょう。

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>大陸との往来はありました。



でも、今と比べるべくもなく少ないです。感染後、2日から7日ぐらいで発熱しますが、往来に時間を要するのでなかなか国内までは持ち込めなかったのでしょう。

>また、足利尊氏は日元貿易を行い、元の時代に中国で作られた製品は日本に、南北朝時代に日本で作られた製品は中国に残っています。そして倭寇による大陸侵略が始まったのもこの頃です。

製品は中国から直接、韓半島経由、琉球経由などの経路でやってきます。

>2度の元寇が示す通り、

あれは元に支配された韓半島の兵による侵略を企図した行動です。元は支配地の統治に大軍を置きません。いわゆる統治責任者だけを置きます。故に元本国と支配地間の人の移動は少ないのです。
元の統治は恐怖をベースに行いました。「統治責任者を殺したら、それは元に対する謀叛だから土地も人民も一切をこの世から消す」という遣り方です。本当にそれを徹底的にやったので、統治としては成功しています。ローマ帝国のねずみ講方式は官僚機構が巨大化する仕組みでしたが、元の少人数統治主義はむしろ小さな政府というか、持ち株会社式というかそんな仕組みです。

韓半島では元の支配を受けていたものの、韓半島ではペストは流行っていなかった。韓半島を落とした後は「別途、命があるまで待て」状態で、元が言い出したのか、韓半島側が日本への侵略を提案したのか、私は知りませんが、結果的には韓半島の人主体の軍が日本にやってきた。そんなところじゃないかと思います。

欧州の衛生概念は当時は劣悪なもので、今でもそんなに変わっていません。しかしながら、当時の日本の衛生概念がどうだったかには私は明るくないので、この点では比較はできません。
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日本にくる船に患者が乗船してなかっただけ

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日本は開国はそれほどしていなかったから免れたのです。

所詮弱い島国です。
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