これ何て呼びますか

物事を深く考え、理性的な言動・行動をする人は、世の中でどの位いるのであろうか。

哲学をする心とは、次元の高い話題なのかもしれない。

私は、哲学は高貴な学問だと思う。

だが、人間は果たして、高貴なままで死すことが出来るのであろうか。

多分、難しい。

老齢になれば、食することも、排泄することも難しくなり、知能も下がる。

人間の価値とは実に難しいものだが。

あなたは、自分の哲学のためには死ねないであろう。

最期は、老醜を晒して死ぬのだ。

人生の長短は自殺を遂げないのであれば、定命次第である。

※ 私は娑婆の人間で、宗教界の人間ではないです。

生きるという本質を語り合えればと思います。

質問者からの補足コメント

  • 恐らく、人類にしか、自己の子孫を残すか、残さないのかの選択は出来ない、生命体だと思えるのですが。


    ご自身の人生を振り返って、此の世に人として、誕生した、我が子や我が孫のことを思って、自分の子孫繁栄は、決して誤った選択ではなかったと、言い切れる方がいらっしゃれば、ご高説を賜いたいです。

      補足日時:2020/05/31 16:32
  • 人生、なるようにしかならないのだと思います。

    可能限り、人生の軌道修正を試みても、それが少しばかりの改善であるのか、全く改善の兆しすらないのか、どうすることも出来ないことはままあります。人の世に生まれ、人の世で生き、人の世で死ぬんです。

    No.6の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2020/05/31 17:06

A 回答 (6件)

御礼ありがとうございます!




(  ̄▽ ̄)にっこり

哲学とは、想像から創造を言語化する手段かも!
知れないですね


想像できなければ
創造を語れないし

人が何処からきて
何処に向かうのか!

むかうべきなのか!なのかも( ̄~ ̄;)

高貴なのか?
下世話なのか?

迷うところではありますが
人は迷うから人であって
悩むから人でありますもんね
いっさいの事柄に
迷わなくなったり!
悩まなくなったりしたら!

すでに人ではないのかも
知れませんね
この回答への補足あり
    • good
    • 2
この回答へのお礼

長命の秘訣は笑顔だそうです。


何時までも健康で長生きなさってください。

お礼日時:2020/05/31 16:42

哲学とは、立証する事によって結果を求める。



例えば、「われ思う故に我あり」ですね。
自分の存在を証明するには、考える自分が居るから存在が解る。

簡単に言えば、それを証明しても生きて行く上で何ら価値は見いだせない。
なので、単なる屁理屈を繰り返し結果を求める為の1つのツールにしか過ぎない。

「哲学は高貴な学問」?そんなものだとは考えられません。
思考力の訓練と分析力を磨く術です。これは高貴とは言えない。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

そうですか。

高貴かどうかは不明です。確かに。

ですが、

人間は考える葦でもあります。

お礼日時:2020/05/31 16:24

追記!


高貴なのか下世話なのか?

判断は個人、個人ちがうけど

食のありがたみって

奥深いですからね

(  ̄▽ ̄)にっこり
    • good
    • 1
この回答へのお礼

あなたさまは笑顔が多いです。


あなたさまの素敵な人生に乾杯です。

あなた様くらいのご年齢(実は、あなた様のご年齢は知らないですが、私の想像でのあなた様のご年齢です。)


水戸のご老公が5分間ひたすら笑うだけ。
https://www.youtube.com/watch?v=YjupGbVVeK8

※ かなり長めの黄門さまの高笑いですが・・・・。


長生きなさってください。

お礼日時:2020/05/31 16:22

生きる本質とは



( ̄~ ̄;)

美味しいものを
気心知れた人と(家族や友人)
語らいながら
食ったり!呑んだり!味わったり!

人生の本質とは

自分らしい、自分に辿り着く

こんな回答でOKかな?
    • good
    • 1
この回答へのお礼

人生は未完で終えるもの。

遺族にとって、大きな存在であれば、その影響は計り知れないです。

いつまでも、あなた様の面影は、遺族となる方々の胸中に残り続けます。

自分はどんな人に憧れようが、自分は自分として、未完なまま、人生に幕を閉じざるを得ない訳です。

お礼日時:2020/05/31 16:16

自分の価値に悩むこと、考えることは大切ですが、それを抱えて生きるのはあまりにも重く、悲しいことだと私は想います。


だからこそ気の向くままに生きる。楽しく生きる。何もやり残さない。
もし私が老いて自分で何もできない体になっても、最後に大切な人に囲まれて幸せに逝けたのなら、老醜を晒したとしても私は胸を張って「いい人生だった!」と言えると思います。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

私は、未だ、父親を亡くしたばかりの若造ですが。

父は救急車の中で、私の眼前で絶命しました。

私にとっては、出来過ぎた父親でしたが。

父の最期を思うと、現在の我が身は情けないばかりです。

父は最期は、全てを私たち家族に晒したのだと思います。

老いることは、綺麗ごとでは決して済まず、人間の最期というものを父は私に教えてくださった。

お礼日時:2020/05/31 16:12

水槽の脳や世界五分前仮説が本当ならば哲学なんてただの無駄知恵ですよ。



哲学的ゾンビもですね。
    • good
    • 2
この回答へのお礼

水槽の脳
世界五分前仮説

をご存知なあなたは、哲学に興味・関心があったのでしょう。今でもおありかもしれないが。

ですが、刹那的に生きることを捉えても、貴殿にとって、此の世に出生した意味を追求なさるには、刹那では納得なされないと思われるのですが、如何でしょうか。

お礼日時:2020/05/31 16:07

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

関連するカテゴリからQ&Aを探す