街中で見かけて「グッときた人」の思い出

徳川幕府で起きた二代将軍秀忠の正室「お江」と、 三大将軍家光の乳母「春日局」のお世継ぎ問題を巡る女同士の権力闘争は、女版本能寺の変ですか?

お江は、織田信長の妹であるお市の娘。
春日局は、本能寺で織田信長を殺害した斎藤利三(明智光秀の親戚)の娘。

徳川幕府になっても、生き残った明智派は、織田派との権力闘争をしていたのですか?
なぜそこまでして織田派と争いを続け、権力を握ろうとしていたのですか?

A 回答 (2件)

権力云々ではなくて「明智を再興したかった」と言うのが真相ではないかと思います。

    • good
    • 0

単なる母親お江の「ひいき」が大きいと思われます


忠長のほうが家光より見た目も、能力も上だったようですし
信長に見た目が似ていたそうですからお江は3男忠長をかわいがったのでしょう
そのお江の様子から 幕臣の中には3代将軍は忠長になるかも と思う者もいたことでしょう
しかしながら、後継者争いは騒動の元
戦がなくなって平和となった世では、何よりも秩序が重視されるわけで
家康は安定的に家督相続が行われるように、嫡子(長子)が家を継ぐ という明確なルールを定めましたから
親の身びいきで 兄家光をさしおいて弟忠長が将軍家を継ぐというのは 世に示しが付きません
下手をすれば天下を2分する争いに発展するおそれさえあります
権力欲については不明ですが、少なくとも平和な世の持続のため、また自分を重用してくれた家康の恩義に報いるため
世間に示しをつけるため
徳川家を世継ぎの事で混乱させてはいけないという思いから、春日局は家光を将軍に据えることに尽力したのではないでしょうか。
    • good
    • 0

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!