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兜を被ることもない時代に、むしろ月代だと謀反でも起こす気ではないか?と思いませんか?

A 回答 (5件)

戦いが武士の本分。


月代は何時でも戦に出られることを自ら形で示したもので制度化されたものではない。
時代が下るほど形骸化したとはいえ、形骸化して中身が薄れたからこそ武士として守るべきものとなった。
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質問者の方はとても鋭いところに目を付けたと思います。

歴史のエッセンスがつまった問題です。
もしかするとT大の二次試験の論述に出してもおかしくない疑問です

江戸時代を平和の時代と考えるのは、結果論です。
幕府の制度は常に「大名が幕府のために出兵できる準備」を整え
明日にでも戦争に行ける状態にしておくことを求めた制度です。つまり250年以上戦時体制を取り続けたのです。
江戸時代の日本が、まれに見るほど安全だったのは「仮想の敵」のため常に戦争に備えていたからです

従って、戦時体制の武士は「土地を私有」していません。明治になって、武士が生活苦になった理由です。
年貢は「兵糧米」と同じで「武士が私有した土地」から出させたものではなく、
主君が「兵糧」として集めたものを、必要に応じて分配したに過ぎないのです。
そう考えると「月代」の意味も十分分かると思います。戦争に行くためです。
でも、江戸時代後半は、こんな緊張感は武士たちにはありません。だから、ペリーが来たら大慌てです。
ちなみに「武士道」は、明治に入ってから美化された武士のありようです。
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そもそも、もともと戦闘民族からきていますよね。


中国最後の王朝清では辮髪がありますよね。
清は満州族を王として立て起こった国ですが、もともと満州族は女真族といいます。
女親族王朝は金・後金です。彼らは戦闘民族で、アジア圏では非常に影響力があったようです。
それらが日本に渡り、長い歳月をかけて日本独自の進化を遂げて月代となり庶民にも普及されました。

謀反を起こすというより、当時の流行ですよね。
また、清王朝では満州族が優位に立ち、漢民族を支配している証に辮髪にさせたという話もありますからね。
武家社会の文化を庶民にまで広く浸透させることで、武家の支配を象徴していたので。
謀反を起こすということはまずないと思いますよ。

そもそも民族の文化を他の民族や下の身分の民に強いることを支配と言います。
古代中国の数々の王朝の歴史も興味深いですよ。日本人の文化の成り立ちとも大きくかかわっています。
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月代は、鎌倉時代、室町時代に既に行われていた(当時は兜による頭の蒸れ対策として戦の間だけ行われた習慣で、日常に戻った時は総髪にした)


戦国時代になると、月代が日常的に行われた(頭皮に炎症を起こし、兜を被る際に痛みを訴える者が多いため)
江戸時代になると、一定の風俗となり、公卿を除き、武家、平民の間で行われ(元服の時は月代を剃ることが慣例)
外出時、月代でない者は、公卿、浪人、山伏、学者、医師、人相見、物乞いなどしかいなかった。(だから皆が月代を剃った)
江戸時代末期には月代は狭小になった(講武所風)
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戦時に対する備えを忘れるなってことでしょう


武士階級は基本的に戦闘要員でもあるわけですからね
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