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戦中の日系アルゼンチン人は日本語教育・日系人新聞発行・日系人集会禁止以外、一切、政府から迫害を受けることはなかったのですか?

ウィキペディアなど信用できない情報リソースは要りません。

質問者からの補足コメント

  • 民間はどうだったのでしょうか?

    知っていたら教えて下さい。

      補足日時:2020/07/23 09:12

A 回答 (3件)

wikipediaなどの信頼できない情報ソースは嫌なのに、教えてgooはいいんでしょうか。


論文などを探してみた方がいいと思いますよ。日系人の研究は結構盛んなので。
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この回答へのお礼

だから、それを教えてよ

お礼日時:2020/07/23 09:15

ciniiという論文検索サイトを使うといいですよ。

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第二次世界大戦中のアルゼンチンは、連合国側からも枢軸国側からも移民を受け入れていたのと、ドイツ人移民が23万人程いたので、中立を保つ事にしました。



ところが、アメリカの圧力がかかり1944年に枢軸国との国交を断絶し1945年に枢軸国側に宣戦布告を発表しました。

そしてアルゼンチンの日系人の処遇は。

アルゼンチンに在住する二世以外の日本人は敵国人として登録され、爆発物、武器、電信関係の機器をすべて警察に提出。

敵国人としての身分証明書を常に携行し、毎月警察に出頭することが 義務づけられ、48時間以上居所を離れる時は、警察が発行する旅行許可書を携行し、出国に際しては移民局と外務文化省の許可が必要とされ、さらに電話、通信の使用が禁止される。

以上の事項に違反した場合 は、罰金あるいは拘留、収容、強制収容などの刑が課せられる。

アルゼンチン在住の外交官は強制収容所に収容、収容された外交官の話によると「ホテルから外へは出られなかったが、中でゴルフ、テニス、乗馬、 水泳などを楽しむことが出来たし、当局の許可さえあればブエノス・アイレスに出かけることも出来た」との事。

実権を握っていたペロンが枢軸国寄りだった影響なのか日系人とドイツ系移民の処遇は、そこそこアメリカが満足してくれればそれで良し程度の拘束力だった様です。
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この回答へのお礼

武器とは、包丁なども含まれるのでしょうか?
だとすると家事ができないじゃないですか。

電信関係というと、何が該当しますか?
電話機とか?

そうなると、仕事ができませんよね。
クビになるのではないですか?

お礼日時:2020/07/24 06:03

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