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諸外国が戦争する理由としては領土の拡大だったり、宗教的な理由だったり、様々あるし、例えば外国で言えば国を国として確保するために、他国から自分の国や国有地を守るための戦争だったら少しわかるけど、真珠湾攻撃や、日本が外国に挑む理由が少しわかりません。

勝てる勝てないの前に、日本なはぜアメリカと戦ったんでしょうか?

質問者からの補足コメント

  • 質問文にも示した通り、戦争をやるには何かしらの「理由」があるはず。
    勝てないと分かってても、もし向こうから「なにかしらの」思惑や理由があり、戦争になってしまってたら日本は単に噛ませ犬状態になってたってことなんでしょうか?

    No.5の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2020/08/14 19:25
  • 当時の米国は、1930年に続く大不況の真っ只中でした。
    GDPは1/2に、株価は1/10に落ち、国民の1/4が失業し、あちこちで暴動が発生していました。
    ルーズベルトは、ニューデールなどの政策を打ちましたが効果は
    はっきりしません。
    これに加えて、当時は社会主義運動が盛んに
    なりつつありました。
    うかうかしていると、体制すら崩壊しかねません。
    また、米国は英国フランスなどにも大量の資金を
    貸し付けており、彼等が敗戦になれば、貸し金が焦げ付く
    可能性がありました。
    →もしも戦争をするとなれば武器の調達や兵士の食糧、医療器具などの資金はどこから出たんでしょうか?そこまで逼迫してるのに軍需工場で働く工員に給料など出せたのか、もし勝てたとしてもどうやって不況をV字回復させることができたんでしょうか?敗戦国の日本から慰謝料なり請求したんでしょうか?

    No.6の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2020/08/14 19:49

A 回答 (6件)

そうですね。


負けるとわかっている相手に挑んだのは無謀ともいえるのになぜ?
という疑問を持つのは当然のこととと思います。

ここでその経緯を詳しく書くと本1冊になってしまいますので
はしょって書いてみます。

まず、
なぜ?
を最も簡単に言うと「国家安全保障」の為です。

日本は追いつめられてやむなく戦争になった。
当時、たしかに日本は満州や朝鮮半島を統治していた。
しかし、この統治はそこに住む住民にも安泰な生活を提供してた。
決してヨーロッパのように植民地として奴隷的扱い、略奪的物資の調達をしていたわけではない。

日本の統治する広大な満州や朝鮮半島の資源が日本の軍事力を増大させると米国は考えたのである。
そこで、軍事力を背景に満州や朝鮮半島から手を引け!といってきたのである。

日本はここで手を引けばヨーロッパ諸国やアメリカがそこに入ってきてアフリカや東南アジアのように
奴隷的扱いをされる植民地になってしまうと拒否したのである。

当時のヨーロッパが行った植民地政策はそりゃぁ凄惨なものであった。
現地(植民地内)における現地人に対する殺人、強姦、略奪など本国ではおとがめなし。
「現地での犯罪は罪とはならない」という法律まであったくらいである。
強姦など日常茶飯事、その結果ハーフの子がたくさん生まれ彼らは戦時には本国籍にして
最前線に送られたのである。

それを東南アジアで目の当たりに見てきた日本は植民地になる恐ろしさを痛感してたのである。

いうことを聞かせたい米国は日本の命綱の石油をはじめ天然資源の禁輸措置をとった。
さらに海上封鎖し石油を完全に止めたのである。

ここで、日本が白旗を上げ米国の言うことを飲んだら、
どんな要求が次に来るのか、いずれにしろ次から次へと
要求がエスカレートするのは目に見えていた。

今でいうテロの要求と同じである。いったん飲めば次から次へと無理難題を吹っかけて
くるのが強者の外交なのである。

戦争に踏み切ったのも、このまま石油がなくなるのを待っていれば
なくなった時には勝ち負けは別にして戦えないのである。
完全にアメリカの属国になると危惧し
備蓄石油があり軍事力が維持できているうちに戦おう、という決断をしたのである。

その時、石油は残り8か月分しか残っていなかった。

石油がなくなれば軍艦も戦闘機も動かなくなる。
そうなるともう一方的に相手の要求を呑むしかなくなるし、
そうなってから戦争に踏み切ったところで戦えない。

開戦数か月前の御前会議において
陛下が戦争を避けられないのか?
と軍部に尋ねたところ長野参謀長が
「ここで戦わずして治めればこの日本は亡国となるでしょう。
戦い、たとえ負けても戦いを挑んだということが後世を燦輝させることでしょう」
と進言してやむなく戦争に踏み切ったのである!

つまり負けるとわかっていても戦うことに意義があったのである。

後の世、復興までわずか10年後である、さらにその10年後、つまり終戦から20年で経済大国になった。
平和でオリンピックさえ開かれるほどの復興を遂げた。
長野参謀長の言う通りになったではないか!!!

あそこで米国の要求を呑んでいたら亡国となっていたことであろう。
大きな犠牲を出しても戦ったからこそ米国はじめ外国も日本のというものを知り
日本に対するその後の対応を変え、一目置いたことにより独立国として今や
G7に入るほどの大国になっているのである。

私は冒頭でやむなく戦争をせざるを得なかったのだ!と書いた。
決して日本が戦争をしたことを正当化してるわけではない。
かといって、間違った選択とも思えない。

日本人が先の戦争を日本びいきで語ると日本人からバッシングを受けることがある。
太平洋戦争を始めたのは悪いことだ!
真珠湾攻撃、イギリスの東洋艦隊を攻撃したり、軍部の暴走だった!
という「日本人」は確かにいる。

しかし,昭和26年。太平洋戦争で戦った「敵将」であるダグラスマッカーサーがトルーマンに解任され、
帰国し、米議会の
上院軍事外交合同委員会での公聴会の宣誓証言で(宣誓証言である!嘘偽りのない証言ということである)

「日本は絹産業以外に固有の天然資源はほとんどない。彼らは綿がない、羊毛がない
石油の産出がない、スズがない、ゴムがない、それら一切がアジアの海域にあった。
もしこれらの原料を断ち切られたら1千万~1千2百万の失業者が発生する。
したがって、彼らが戦争を始めた目的は、主として安全保障上の必要に迫られてのことだ」
と証言しているのです。
つまり自衛のために戦争をせざるを得なかった、といっているのである。

日本人を皆殺しにしてしまえ!と思ってた敵将がですよ!!
戦後解任されるまで日本に駐留し、徹底的に戦争に至った経緯を研究した結果の証言である。

俺には理解できない。
敵将が日本が戦争に走ったのは安全保障上必要に迫られたのだ!といっているのに
自国の人間が軍部の暴走だ、戦争に走った日本が悪い。
という人がいる。
実に不思議である。

こうしたことからも戦争を始めた理由は日本の安全保障上の必要からであると断言できる。
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真珠湾攻撃や、日本が外国に挑む理由が少しわかりません。


勝てる勝てないの前に、日本なはぜアメリカと戦ったんでしょうか?
  ↑
座視していれば、いずれやられてしまう。
つまり米国が攻めてくる。
だからその前に、ということです。

当時の米国は、1930年に続く大不況の真っ只中でした。
GDPは1/2に、株価は1/10に落ち、国民の1/4が
失業し、あちこちで暴動が発生していました。
ルーズベルトは、ニューデールなどの政策を打ちましたが効果は
はっきりしません。

これに加えて、当時は社会主義運動が盛んに
なりつつありました。
うかうかしていると、体制すら崩壊しかねません。

また、米国は英国フランスなどにも大量の資金を
貸し付けており、彼等が敗戦になれば、貸し金が焦げ付く
可能性がありました。

それでどうしても戦争をやる必要があったのです。

しかし、大衆民主制の国ですから、戦争には
国民を納得させる必要があります。

それで、日本がキレて、先に手を出すように
画策したわけです。

ハルノートなどをつきつけたり
ABCD包囲網を敷いたりして、日本を追い込み
戦争に持ち込んだのです。

戦争は最大の公共事業ですから。その証拠に戦後、米国
経済は見事な復活を遂げています。

これは私の偏見ではありません。
米国歴史学の権威チャールズ・A・ビーアド元コロンビア大教授は
公文書を調べて、ルーズベルトが巧妙に日本を戦争に引きずり込んだ
過程を明らかにした本を出版しましたが、これは事実上の発禁処分
にされてしまいました。

ルーズベルトの責任 〔日米戦争はなぜ始まったか〕
31代米国大統領のフーバーが、ルーズベルトを、日本を無理矢理戦争に
引きづり込んだ狂気の男、と評した書見を残しています。
彼は、ルーズベルトは真珠湾を知っていた、とも書き残しています。

マッカーサーは戦後、あの戦争は日本の自衛戦争であったと
米国議会で証言しています。

ハルノートのハルは、真珠湾攻撃を耳にして躍り上がって
喜んだ、という側近の証言が残っています。
「これで戦争ができる」
また、パル判事は、あのような要求を突きつけられたら
モナコのような小国でも銃を持って立ち上がっただろう
と述べています。

米国には、相手を挑発し、先に手を出させて
国民を煽り戦争をやる、というのが一つの伝統に
なっています。

相手が手を出さねば、ねつ造でも何でもやって
手を出したように装う。

1898年 2/15 ハバナ湾で、米国戦艦メイン号が謎の爆発沈没しました。
これで米兵266名が死亡し、スペインの仕業だ、
ということになり、あの米西戦争が始まっています。
後になって米国政府は、事故だと発表していますが
陰謀ではないか、という説が強いです。

ベトナム戦争では有名なトンキン湾事件が発生しています。
1964年8月、北ベトナムのトンキン湾で北ベトナム軍の
哨戒艇がアメリカ海軍の駆逐艦に2発の魚雷を発射した
とされる事件です。
これをきっかけにアメリカは本格的にベトナム戦争に介入しましたが、
その後、ニューヨークタイムズが、米国のやらせであることを暴露し
真実が明らかにされました。

湾岸戦争 1990年 では
アメリカの駐イラク特命全権大使のエイプリル・グラスピーが
イラクのクエート攻撃に対して
「介入するつもりはない」と発言しており
これを信じたフセインがクエートを侵略しましたが、
米国軍等により撃退されています。
米国は約束の存在を否定していますが、当の大使は、それ以後、公式の場には
一切姿を見せなくなりました。

その他にも怪しいのはいくらでもあります。
以上が、やらなければ、やられるから、
ということです。
この回答への補足あり
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勝てる勝てないではなく


勝てるとは誰も思っていないかったようですし
誰もが戦争は避けたかった

兵器でも何でも
100倍くらいの差がありました

しかし
戦争を避けたかったのは
アメリカの軍事力をよくわかっていた政治家だけで
日本国民は戦争をやって欲しかった

しかし
政治家と言っても
ほとんど海軍、陸軍など軍出身者がほとんどを占めていて
戦争を避けるような発言ができなかった
場合によっては
反対者は暗殺されていました
反対するなら天皇陛下もという声もありました
これは陛下本人にもわかっていました

国民の声が問題です

戦争が始まると
残された国民の声は皆
戦争を反対しているように見えますが
始まる前の国民の雰囲気は違いました

このへんが問題ですね
この回答への補足あり
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>勝てる勝てないの前に、日本なはぜアメリカと戦ったんでしょうか?



説明するにはめちゃくちゃ長くなるから箇条書きで簡単に言えば、まず16世紀まで遡ります。

スペインが暴れてる噂を聞きました→イギリスが暴れてる噂を聞きました→白人がアジアを支配しようとしてる噂を聞きました→ついに黒船がきてアメリカという白人が侵略しにきたと考えました→日本は強くなる必要があるから革命しないといけないと考えました→明治政府になり強くなる前にまず防衛線を整えようとしました→朝鮮が大陸からの入り口でしたから朝鮮を支配しようとして中国と戦いました→ついでにロシアもやっつけました→次に海の防衛線を築こうとしました→海方面は連合国という最強の連合がいたのでこのままじゃ勝てないので国力を高めようとしました→国力を高めるために資源が必要ですのでまず弱い中国を攻めて中国の資源を奪おうとしました→アメリカがいちゃもんつけてきて中国から去れといいました→日本は無視しましたが石油をとめられてしまいこのままじゃどうしようもならなくなりました→ドイツが暴れてたのでチャンスだと思いアメリカを攻撃しました
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第一次世界大戦の敗戦国であるドイツに返済不能なほどの高額賠償金をかけたフランスによって、ドイツはハイパーインフレに見舞われ、戦争責任がない一般ドイツ人も生活は困窮しました。



この不当な賠償金によって困窮するドイツ人を救うために登場したのが同じドイツ語を使うオーストリア人のアドルフヒトラーで、彼は民主的な選挙でドイツの総統に選ばれた訳だから、どこぞの習近平みたいに不当な選挙で権力を握った共産主義全体主義者ではないのだけれども、ヒトラーは交渉能力がなく、不当に高額な戦時賠償金をびた一文負けてくれないどケチなフランス人に対して、ドイツ国民全員が蜂起した訳です。

これが第二次世界大戦の原因ですね。

極東で行われた太平洋戦争にはまた別の理由がありますので、別の機会に。
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色々複雑な要因が絡んでいるので、関連書籍を読んでくださいとしかいいようがないです。


ひとついうならサンクコストを頑なに認めない国民性が大きいでしょう。
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