1. 感じるや考えるをもあわせて それぞれの対象を捉えるなら:
2. 感じるのは 世界におけるそれとして現象するモノ・コトである。
3. 考えるのは:
① 感じて得たモノ・コト――これらは イメージをふくめてすでに言葉≒概
念と成っている――であり
② さらにそれらを 感覚の対象であることから離してあたかも考える(想像)
だけでこしらえた言葉ないし観念である。
3-1. 天・人・馬は 感性によって捉えたモノ・コトであり 考えるため
の言葉≒概念である。
3-2. ところが ペガサスやケンタウロスは すでに言葉であるが感性に
直接かかわりのない・つまり頭の中にのみある観念である。世界に現象してい
ない想像の産物である。
4. では 信じるのは 何か? 信じるとは どういうことか?
5. 天馬や人馬なる観念としての存在(事象)を 信じるのか?
6. そうではない。それは 天・人・馬を知覚していて・したがってそれら
を信じると規定するのはふさわしくないのと同様に 天馬や人馬についても
信じるのではなく 考える(想像をめぐらす)のである。
7. 天は 目に見える空を超えたところを想像し そのように自然を捉える
感性を超えているだけではなく 理性(思考)をも超えているその場ないし或
る種のチカラだと仮定した場合 その《天》を ひとは信じるのか?
7-1. 天は人の上に人を作らず 人の下に人をつくらず というふうに言
って。
8. その超越的な天のチカラをあたかも体現した人を想定したときこの《ひ
と》を われわれは信じるのだろうか?
8-1. 良心・信教の自由は 必ずしも証明できるものではないが公理のご
とく つよい基本原則であって たとえば誰かがわれは現人神なりと言った場
合 われわれはこれを否定も肯定も出来ない。
9. 感じる感性 考える理性 そして――推測としてみちびくだけであるが
―― 信じる霊性・・・ということになるか?
10. 霊性は 想像の産物であることを超えている。考える(理性・知性)
の対象ではない。
11. ――というふうに・なぜなら 《仮定や想定》がこの思考過程には闖
入して来ている ゆえにその想定じょう―― 考えることができる。か?
*
12. そうして 霊性とは――議論抜きになるが―― 絶対性のことである。
13. 絶対性は 信じる霊性について――それは すでに考えるところの善
悪を超えているが――その属性をわれわれ人間がわざわざ憶測し忖度して 善
悪の彼岸たる至高善(スムム・ボヌム)または絶対善として規定したものであ
る。
14. 想定じょうの仮説理論からみちびいた概念――絶対善――を むやみ
に経験哲学なる思考において振りかざし振り回しても――霊性は 考えるを超
えているからには―― 無理でありムダであり まったくの徒労に終わる。と
いうことは 火を見るより明らかではないのか?
A 回答 (23件中1~10件)
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No.23
- 回答日時:
>●●梵天と主宰神ブラフマンは=です。
二つではなくて、一つです。
これは『神』である。
☆ 名称はそうですが 身分は違いますね。もともとは 宇宙の主宰神であり そ
れに対して 仏教に採り入れられた派生的な梵天は 中心的存在から離れ 部分的
なハタラキを成す部分的な小さな神ですから。
●●それは解釈が違うでしょう。
仏教に採り入れられても、『神』は『神』です。
ただ、仏教上ではその『神』を信仰の対象として重視しない、、、という事だと思
います。
☆ ブラフマニズムにあっては ブラフマン神は:
★ 信仰の対象として重視し
☆ ています。最高神です。その違いがあると――宗教宗派にこだわらない哲学と
しては――言っています。
●●そもそも、信仰の対象(物)である本尊は、その宗教毎に設定されるものであり、
それぞれ違って良いのです。
>神論についても 同じことです。
絶対性が共通する核心であるなら そのものを同じ用語でまとめてもかまわない
はずです。
なんなら 《ブッダ あるいは ダルマ》で統一してもかまいません。
《神》でくくっても まったくそれぞれの信仰に対して不都合を生じさせること
はありません。まったく中立の概念としてです。
●●『神』、『法』、『仏』というのは、性質上違いもありますので、
それをわざわざ統一する必要性もありません。
『絶対性』という言葉の前に、宗教宗派の違いがあるのですから、万人に
共通しての『絶対性』にはならないのです。
◇ここで質問者様に一つ質問があります。
『神』についてです。
・ブラフマン
・ヤハウェ―
・アラー
は、同じ神ですか??
最高原理で宇宙創造の根源ですか??
以上、二点。
ご回答をありがとうございます。
○ 梵天と主宰神ブラフマン
●● そもそも、信仰の対象(物)である本尊は、その宗教毎に設定さ
れるものであり、それぞれ違って良いのです。
☆ もちろん そうです。ただし本尊は 絶対性であるはずですから
普遍神だという――中立的な――見方になります。
本尊でないものは 神とよばれようが菩薩であろうが 普遍神の分身
であり 部分的なハタラキとしておさまているという見方です。
●● 『神』、『法』、『仏』というのは、性質上違いもありますの
で、それをわざわざ統一する必要性もありません。
☆ 同じことになりますが もし《絶対性》であるのならば まとめ
られます。
わたしは 普遍神という言葉でまとめていますが なんなら《ブッ
ダ あるいは ダルマ》で統一してもかまわないと思います。
● 『絶対性』という言葉の前に、宗教宗派の違いがあるのですから、
万人に共通しての『絶対性』にはならないのです。
☆ 絶対性に対して先行したり優越するものは ありません。もしあ
ったら それは 絶対性ではなく相対性です。
この定義は ゆるがないものです。じんるいに共通です。
◇ 質問があります。 ~~~~~
『神』についてです。
・ブラフマン
・ヤハウェ―
・アラー
は、同じ神ですか??
最高原理で宇宙創造の根源ですか??
~~~~~
☆ みな絶対性をあらわしているとすれば――じっさい表わしていま
す―― 同じ言葉でまとめることができます。普遍神でもよいですし
あるいは ブッダでもダルマでもよいです。
普遍神の内実は 絶対性・無限です。
属性は 真理(真善美)・慈愛・全知全能。
その擬人化は 絶対者。
それを 物語化するとき 創造主という規定をします。
● 最高原理
☆ は 真理のことを指します。摂理と言ったりします。
● 宇宙創造の根源
☆ これが 創造主のことです。
No.22
- 回答日時:
☆☆ ブラフマニズムにしたところで 諸天善神とされた派生的な梵天と 元から
の中心である主宰神ブラフマンとのふたつがあるというに過ぎない・・・と言うで
しょう。
●●梵天と主宰神ブラフマンは=です。
二つではなくて、一つです。
これは『神』である。
☆ 名称はそうですが 身分は違いますね。もともとは 宇宙の主宰神であり そ
れに対して 仏教に採り入れられた派生的な梵天は 中心的存在から離れ 部分的
なハタラキを成す部分的な小さな神ですから。
●●それは解釈が違うでしょう。
仏教に採り入れられても、『神』は『神』です。
ただ、仏教上ではその『神』を信仰の対象として重視しない、、、という事だと思います。
>● 要するに、仏教においては、『神』を信仰の対象としていないのです。
それよりも重要視しているのは、『法』であり『仏の生命』なのです。
☆ ダルマあるいは生命が 普遍神なのです。絶対性ゆえです。
●●それは無理があるでしょう。
☆ では ダルマ(法)あるいは法身仏(ダルマ・カーヤ)は 絶対性ではないの
ですか?
神であるか? と問うなら すぐさま 否。という答えが返って来るでしょうが
それは《絶対性》か? と問うたら どうなりますか?
法が 宇宙やこの世界における部分的な摂理だなどということは ない・・・ので
しょう?
●●仰る通り。
しかしながら(何度も言うように、、、)宗教宗派が違う上で、絶対性を持って
それらを『神』として統一しようという事は無理だ。、、、と言っているだけ。
ある宗教宗派によっては、それを『神』と呼ぼうが、『仏』と呼ぼうが、『法』
と言おうが構わない事だという事です。
何故なら、独立している宗教宗派だからです。
それを、質問者様が『哲学者』という立場で、『神』と統一する必要もないでしょう。
ご回答をありがとうございます。
●●梵天と主宰神ブラフマンは=です。
二つではなくて、一つです。
これは『神』である。
☆ 名称はそうですが 身分は違いますね。もともとは 宇宙の主宰神であり そ
れに対して 仏教に採り入れられた派生的な梵天は 中心的存在から離れ 部分的
なハタラキを成す部分的な小さな神ですから。
●●それは解釈が違うでしょう。
仏教に採り入れられても、『神』は『神』です。
ただ、仏教上ではその『神』を信仰の対象として重視しない、、、という事だと思
います。
☆ ブラフマニズムにあっては ブラフマン神は:
★ 信仰の対象として重視し
☆ ています。最高神です。その違いがあると――宗教宗派にこだわらない哲学と
しては――言っています。
☆☆ では ダルマ(法)あるいは法身仏(ダルマ・カーヤ)は 絶対性ではないの
ですか?
神であるか? と問うなら すぐさま 否。という答えが返って来るでしょうが
それは《絶対性》か? と問うたら どうなりますか?
法が 宇宙やこの世界における部分的な摂理だなどということは ない・・・ので
しょう?
●●仰る通り。
しかしながら(何度も言うように、、、)宗教宗派が違う上で、絶対性を持って
それらを『神』として統一しようという事は無理だ。、、、と言っているだけ。
ある宗教宗派によっては、それを『神』と呼ぼうが、『仏』と呼ぼうが、『法』
と言おうが構わない事だという事です。
何故なら、独立している宗教宗派だからです。
それを、質問者様が『哲学者』という立場で、『神』と統一する必要もないでしょう。
☆ 話題としてふさわしくないかも知れませんが 生物のヒトには 肌の色の違
いがあります。
黒人と白人と黄色人種とのあいだで ヒトであることが同じかどうか? これを
交通整理するのが 哲学です。(生物学の内の哲学的作業です)。
神論についても 同じことです。
絶対性が共通する核心であるなら そのものを同じ用語でまとめてもかまわない
はずです。
なんなら 《ブッダ あるいは ダルマ》で統一してもかまいません。
《神》でくくっても まったくそれぞれの信仰に対して不都合を生じさせること
はありません。まったく中立の概念としてです。
No.21
- 回答日時:
>●●仏教においては、ブラフマン(梵天)を諸天善神として捉えています。
☆ 分身と捉えた(あるいは 中心のブッダ〔なる神〕の個々の具体的なハタラキ
と見た)わけです。そのようにブラフマニズムの定義を捉えなおしたわけです。
● 「罰当たりだ!!」と言われそうですが、そうした扱いです。
☆ 定義の仕方は 自由です。ですが そのように言わば組み替えた場合にも 中
心となる本尊(?)は 存在するわけです。それが 普遍神です。そう呼ばれるの
は お嫌でしょうが そうなります。
ブラフマニズムにしたところで 諸天善神とされた派生的な梵天と 元からの中心
である主宰神ブラフマンとのふたつがあるというに過ぎない・・・と言うでしょう。
●●梵天と主宰神ブラフマンは=です。
二つではなくて、一つです。
これは『神』である。
>● 要するに、仏教においては、『神』を信仰の対象としていないのです。
それよりも重要視しているのは、『法』であり『仏の生命』なのです。
☆ ダルマあるいは生命が 普遍神なのです。絶対性ゆえです。
●●それは無理があるでしょう。
ご回答をありがとうございます。
☆☆ ブラフマニズムにしたところで 諸天善神とされた派生的な梵天と 元から
の中心である主宰神ブラフマンとのふたつがあるというに過ぎない・・・と言うで
しょう。
●●梵天と主宰神ブラフマンは=です。
二つではなくて、一つです。
これは『神』である。
☆ 名称はそうですが 身分は違いますね。もともとは 宇宙の主宰神であり そ
れに対して 仏教に採り入れられた派生的な梵天は 中心的存在から離れ 部分的
なハタラキを成す部分的な小さな神ですから。
>● 要するに、仏教においては、『神』を信仰の対象としていないのです。
それよりも重要視しているのは、『法』であり『仏の生命』なのです。
☆ ダルマあるいは生命が 普遍神なのです。絶対性ゆえです。
●●それは無理があるでしょう。
☆ では ダルマ(法)あるいは法身仏(ダルマ・カーヤ)は 絶対性ではないの
ですか?
神であるか? と問うなら すぐさま 否。という答えが返って来るでしょうが
それは《絶対性》か? と問うたら どうなりますか?
法が 宇宙やこの世界における部分的な摂理だなどということは ない・・・ので
しょう?
No.20
- 回答日時:
>☆☆ 神とは何か? との問いに対して答えるなら:
超自然・超経験
絶対性・無限
《知り得るか知り得ないかが知り得ないナゾ》
となるはずです。・・・
●●それは、少なくとも『神』を信仰の対象としている、あるいは固定概念において
神を絶対的なものと思っている人に限られるのではないでしょうか??
☆ そうであっても 学問としても そのように捉えるはずです。辞書の定義も
そうなっています。超経験などです。
●●辞書の定義というのは、言葉の意味、、、でしょう。
『神』というものがどういうものか、、、という事です。
しかし、ここには宗教的概念は取り除かれているのではないでしょうか。
ですから、『宗教宗派によっては扱いが違う。』と言っているのです。
>●●但し、宗教宗派おいて、『神』の絶対性を説いていない、あるいは『神』を信仰の
対象として用いていない場合は、どうなのでしょう??
☆ ですからそれは ゴータマ・ブッダの場合とその後の大乗派の仏性説の場合を
全体として捉えるなら そこに神の概念は――ブラフマニズムをとおして――実質
的に共有されていると見ます。
●●仏教においては、ブラフマン(梵天)を諸天善神として捉えています。
「罰当たりだ!!」と言われそうですが、そうした扱いです。
要するに、仏教においては、『神』を信仰の対象としていないのです。
それよりも重要視しているのは、『法』であり『仏の生命』なのです。
>●●釈尊は、『法』を説いています。
☆ それが ブラフマンなる神の摂理だと見る見方もあると思います。
●●《上記》
>● そして、『神』の扱いについては、『善神』と『鬼神』です。
☆ これについてはすでに何度も触れましたが 普遍神の分身だと捉えればよいと
見ます。
>● 仏教では『神』を信仰の対象とはしておりません。
☆ 分身としての神は そうでしょう。
●●いずれにしても、信仰の対象とはしておりません。
信仰の対象・・・『本尊』。
※『本尊』は、宗教宗派により違います。
>あるいは ダルマ(法)は 神ですよ。実質的に。法身仏。これは 辞典に絶対性
として説明されています。
●●ダルマ(法)というものは、『神』ではありません。
>☆ そうでしょうけれど 宗派に関係のない概念としては 神です。
●●>宗派に関係のない概念、、、
いえいえ、宗教宗派には一番大切な部分ではないですか。
これは『魂』とも言えるし『確信』の部分ですよ。
『本尊』ですから。
それを簡単に『神』などとは言えない。
もし仮に、『神』と言えるのであれば、『神』を本尊とすれば良いのです。
でも、現実にはそうではないのです。
だから、宗教宗派に多数別れていて、それぞれが独立して存在しているのでしょう。
※もっとも、間違いを間違いと認めず、平気な顔をして存在している宗派も多々あります
けれど、、、。ここでは、触れませんけどね。阿弥陀仏なんて良い例ですけどね。
ご回答をありがとうございます。
●● 辞書の定義もそうなっています。超経験などです。
●●辞書の定義というのは、言葉の意味、、、でしょう。
『神』というものがどういうものか、、、という事です。
しかし、ここには宗教的概念は取り除かれているのではないでしょうか。
☆ 《宗教的概念》は 哲学による概念(つまり 定義)にもとづき成り立って
いるものと考えます。
むろん 別様に規定してそれを用いることは自由ですが 哲学の定義が――ふつ
うは―― 経験合理性に照らして整合性があるとされます。
●●仏教においては、ブラフマン(梵天)を諸天善神として捉えています。
☆ 分身と捉えた(あるいは 中心のブッダ〔なる神〕の個々の具体的なハタラキ
と見た)わけです。そのようにブラフマニズムの定義を捉えなおしたわけです。
● 「罰当たりだ!!」と言われそうですが、そうした扱いです。
☆ 定義の仕方は 自由です。ですが そのように言わば組み替えた場合にも 中
心となる本尊(?)は 存在するわけです。それが 普遍神です。そう呼ばれるの
は お嫌でしょうが そうなります。
ブラフマニズムにしたところで 諸天善神とされた派生的な梵天と 元からの中心
である主宰神ブラフマンとのふたつがあるというに過ぎない・・・と言うでしょう。
● 要するに、仏教においては、『神』を信仰の対象としていないのです。
それよりも重要視しているのは、『法』であり『仏の生命』なのです。
☆ ダルマあるいは生命が 普遍神なのです。絶対性ゆえです。
>あるいは ダルマ(法)は 神ですよ。実質的に。法身仏。これは 辞典に絶対性
として説明されています。
●●ダルマ(法)というものは、『神』ではありません。
☆ そういう見方は 自由ですが 絶対性ゆえ 神です。
>☆ そうでしょうけれど 宗派に関係のない概念としては 神です。
●●もし仮に、『神』と言えるのであれば、『神』を本尊とすれば良いのです。
☆ 本尊が 絶対性であるなら 神です。
No.19
- 回答日時:
>●●そもそも、『神』の“絶対性”は何処からお導きですか??
質問者様が、『神』の“絶対性”を証明したとか??
☆ 神とは何か? との問いに対して答えるなら:
超自然・超経験
絶対性・無限
《知り得るか知り得ないかが知り得ないナゾ》
となるはずです。ここからです。あるいは ぎゃくに:
絶対性や無限は それを人びとは神と呼んでいる
となるはずです。
●●それは、少なくとも『神』を信仰の対象としている、あるいは固定概念において
神を絶対的なものと思っている人に限られるのではないでしょうか??
>●●また、質問者様が上記でも上げられていますが、宗教宗派が違う上で、
“絶対性”が共通するからと言って、それを=とするというのも無理があると思います。
☆ 《絶対性》は 一義的に意味が決まります。それ以外の意味にはなりません。
(経験的なものごとについて 《絶対だいじょうぶだよ。心配するな》というふうに
用いることがあります。これはあくまで 派生的な用法です。本来の用法とは別です)。
●●そこは理解していますよ。
但し、宗教宗派おいて、『神』の絶対性を説いていない、あるいは『神』を信仰の
対象として用いていない場合は、どうなのでしょう??
>ゴータマは 要するに アン‐アートマン(無我)をかかげた。(アンは アン‐イ
ンストールのアン)。つまり 霊性の無ないし無い神。シューニャター(空)ない
しニルワーナ(涅槃)。
ところが 後世において 人びとは けっきょくアートマン(霊我)を復活させた。
タターガタ・ガルバ(如来蔵)またはブッダタ―(仏性)と呼び名を替えて。
ブラフマン神に対して アミターバ・ブッダ(阿弥陀仏)ないしマハ―ワイロ―チャ
ナ・タターガタ(大日如来:毘盧遮那仏)を当てる。
このような事情において 神は――絶対性として・霊性として――つらぬかれている
と見ます。アン‐アートマンと呼んだ《〈無い神〉という神》としてもです。
●●釈尊は、『法』を説いています。
そして、『神』の扱いについては、『善神』と『鬼神』です。
また以前にも書きましたが、仏教では『神』を信仰の対象とはしておりません。
※日本の仏教檀家の中には、仏壇と神棚を併設している家庭も多いが、、、
また、、、、
>アミターバ・ブッダ(阿弥陀仏)⇒浄土宗、浄土真宗。
>マハ―ワイロ―チャナ・タターガタ(大日如来:)⇒真言宗。
>毘盧遮那仏⇒律宗、華厳宗。
といった、宗派により別である。
ご回答をありがとうございます。
☆☆ 神とは何か? との問いに対して答えるなら:
超自然・超経験
絶対性・無限
《知り得るか知り得ないかが知り得ないナゾ》
となるはずです。・・・
●●それは、少なくとも『神』を信仰の対象としている、あるいは固定概念において
神を絶対的なものと思っている人に限られるのではないでしょうか??
☆ そうであっても 学問としても そのように捉えるはずです。辞書の定義も
そうなっています。超経験などです。
●●但し、宗教宗派おいて、『神』の絶対性を説いていない、あるいは『神』を信仰の
対象として用いていない場合は、どうなのでしょう??
☆ ですからそれは ゴータマ・ブッダの場合とその後の大乗派の仏性説の場合を
全体として捉えるなら そこに神の概念は――ブラフマニズムをとおして――実質
的に共有されていると見ます。
●●釈尊は、『法』を説いています。
☆ それが ブラフマンなる神の摂理だと見る見方もあると思います。
● そして、『神』の扱いについては、『善神』と『鬼神』です。
☆ これについてはすでに何度も触れましたが 普遍神の分身だと捉えればよいと
見ます。
● 仏教では『神』を信仰の対象とはしておりません。
☆ 分身としての神は そうでしょう。
あるいは ダルマ(法)は 神ですよ。実質的に。法身仏。これは 辞典に絶対性
として説明されています。
● ~~~
>アミターバ・ブッダ(阿弥陀仏)⇒浄土宗、浄土真宗。
>マハ―ワイロ―チャナ・タターガタ(大日如来:)⇒真言宗。
>毘盧遮那仏⇒律宗、華厳宗。
といった、宗派により別である。
~~~
☆ そうでしょうけれど 宗派に関係のない概念としては 神です。
No.18
- 回答日時:
>● しかし、絶対性を持つからと言って、『生命』=『霊性』=『神』
という構図は成り立つのかという事です。
☆ 不都合はないと思うんですけれどねぇ。
先ほどの《二段構成》が どの概念にも当てはまると思いますが?
A. ブラフマニズム:梵我一如
① 梵:ブラフマン・・・・・マクロコスモス。神
② 我:アートマン・・・・・ミクロコスモス。霊我
B. ゴータマ・ブッダ:無梵無我一如(=無神論)
無梵:空(シューニャター);ゼロ
無我:アン‐アートマン;ニルワーナ
C. ブディズム:仏仏一如(=有神論)
仏:アミターバ・ブッダ(阿弥陀如来)
/ マハーワイローチャナ・タターガタ(大日如来)
仏:タターガタ・ガルバ(如来蔵);ブッダター(仏性)
D. クリスチアニズム:霊霊一如
霊:神・聖霊
霊:《神の宮なるわれ》
今更ながら、、、、
>>『生命』=『霊性』=『神』
>>絶対性:神(普遍神)・アートマン(霊我):霊性
>>絶対性:仏性・仏界・・・・・・・・・・・:霊性
>>絶対性:生命・・・・・・・・・・・・・・:霊性
●●そもそも、『神』の“絶対性”は何処からお導きですか??
質問者様が、『神』の“絶対性”を証明したとか??
●●仏教においては、『神』の“絶対性”は説いていないと思うのですよ。
どちらかというと、「人間が生きる上で、様々な現象が起きるが、その根本原因は
何なのか??」、「どうしたら人間が人間らしく生きられるのか??」を命題に出家し、
『仏(仏の生命)』というものに焦点を当て説いているものだと思います。
ですから、あえて『神』についての“絶対性”は、触れていないのだと思います。
●●また、質問者様が上記でも上げられていますが、宗教宗派が違う上で、
“絶対性”が共通するからと言って、それを=とするというのも無理があると思います。
ご回答をありがとうございます。
●●そもそも、『神』の“絶対性”は何処からお導きですか??
質問者様が、『神』の“絶対性”を証明したとか??
☆ 神とは何か? との問いに対して答えるなら:
超自然・超経験
絶対性・無限
《知り得るか知り得ないかが知り得ないナゾ》
となるはずです。ここからです。あるいは ぎゃくに:
絶対性や無限は それを人びとは神と呼んでいる
となるはずです。
●●また、質問者様が上記でも上げられていますが、宗教宗派が違う上で、
“絶対性”が共通するからと言って、それを=とするというのも無理があると思います。
☆ 《絶対性》は 一義的に意味が決まります。それ以外の意味にはなりません。
(経験的なものごとについて 《絶対だいじょうぶだよ。心配するな》というふうに
用いることがあります。これはあくまで 派生的な用法です。本来の用法とは別です)。
●● ~~~~
仏教においては、『神』の“絶対性”は説いていないと思うのですよ。
どちらかというと、「人間が生きる上で、様々な現象が起きるが、その根本原因は
何なのか??」、「どうしたら人間が人間らしく生きられるのか??」を命題に出家し、
『仏(仏の生命)』というものに焦点を当て説いているものだと思います。
ですから、あえて『神』についての“絶対性”は、触れていないのだと思います。
~~~~~~
☆ ゴータマ以前の社会では ブラフマニズムが支配しており 格差(カースト)
がはげしかった。それでもそれは過去の業ゆえだと信じられ(思い込まされ)生活
は 低いカーストでは酷かった。
また 梵我一如の思想によって 宇宙の主宰神ブラフマンと――霊的に――自分の
アートマン(霊我)とが一体となることを理想としこれを目指した。
ゴータマは 生活の苦(思うようにならないこと)に思いを馳せ これの克服を目
指した。その結果は 《アートマンなどは 無い》であった。梵我一如などという
救いの方程式は まやかしだ。四諦によるみづからの修行によって 苦からの解脱
を得るのだ。また そのことに目覚めるならば もう二度と《生苦》なる人間に生
まれることはないとまで言った。
つづく
No.17
- 回答日時:
>●●私が納得いかないのは、質問者様の『神』の扱いについてです。
あくまでも、『神』は対外的なものだからです。
☆ これは 最初にうかがったときにお尋ねすべきだったんですが
● 『神』は対外的なもの
☆ とは どういうことかが 分かりかねています。
対外も対内もなく 神は神として言い出されるものと思うのですが?
●●一般的な概念として、『神』という“存在”はわれわれ人間(人体)とは
別に存在しているものなのではないですか??
もちろん、『神』という扱いは、宗教宗派によっても違いますし、先にお話し
した『生命』という言葉もそうですが、立場によって違いが出てきます。
もちろん、質問者様の考えは質問者様の考えであって、それは自由だと思い
ますよ。
>●●『生命』=『霊性』については、それで良いと思います。
質問者様の定義を理解いたします。
しかし、上記にも書きましたが、『生命』=『霊性』=『神』については
拒否したいと思います。
☆ 《神》の扱いについてが 問題なのですね。
先ほどの《対外的なもの》というのが どうも考えてもピンと来ません。
どうでしょう。
生命=霊性は 超自然であり超経験だ。
じつは 神も 超自然で超経験だ。
あるいは どちらもみな 絶対性である。
ならば 三者は 互いに同じものである。
――といったふうに なおいまも 考えています。
●●>《神》の扱いについてが 問題なのですね。
というよりも、『神』という言葉の使用です。
もちろん、質問者様の言いたい事は理解できますし、分かりますよ。
しかし、絶対性を持つからと言って、『生命』=『霊性』=『神』という
構図は成り立つのかという事です。また、そうしてしまって“良いのか?”
ということです。
ご回答をありがとうございます。
● 『神』は対外的なもの
☆ とは どういうことか
●●一般的な概念として、『神』という“存在”はわれわれ人間(人体)とは
別に存在しているものなのではないですか??
☆ 二段構成です。
① 絶対性なる神は 相対存在たる人間とは 絶対のへだたりがあると言
えます。
② ところが その絶対性(超経験)は 相対存在(経験存在)を――な
ぜなら 《超えている》からには―― 覆い包むことが可能です。つまり
仏性は 人間にやどる〔と受け取ることができます〕。
☆ 《対外的なもの》とは ① の段階のことを言ったわけだったのですね。
● もちろん、『神』という扱いは、宗教宗派によっても違いますし、先
にお話しした『生命』という言葉もそうですが、立場によって違いが出て
きます。
☆ わたしは すべて《絶対性》で同じものとしてよいと思っています。
● もちろん、質問者様の考えは質問者様の考えであって、それは自由だ
と思いますよ。
☆ 絶対性でのくくりに 不都合はないと考えます。
●●>《神》の扱いについてが 問題なのですね。
というよりも、『神』という言葉の使用です。
☆ そうですかねぇ。
● もちろん、質問者様の言いたい事は理解できますし、分かりますよ。
☆ あぁ。そこまでは いいんですね。
● しかし、絶対性を持つからと言って、『生命』=『霊性』=『神』
という構図は成り立つのかという事です。
☆ 不都合はないと思うんですけれどねぇ。
先ほどの《二段構成》が どの概念にも当てはまると思いますが?
A. ブラフマニズム:梵我一如
① 梵:ブラフマン・・・・・マクロコスモス。神
② 我:アートマン・・・・・ミクロコスモス。霊我
B. ゴータマ・ブッダ:無梵無我一如(=無神論)
無梵:空(シューニャター);ゼロ
無我:アン‐アートマン;ニルワーナ
C. ブディズム:仏仏一如(=有神論)
仏:アミターバ・ブッダ(阿弥陀如来)
/ マハーワイローチャナ・タターガタ(大日如来)
仏:タターガタ・ガルバ(如来蔵);ブッダター(仏性)
D. クリスチアニズム:霊霊一如
霊:神・聖霊
霊:《神の宮なるわれ》
No.16
- 回答日時:
>●●以前にもお話ししましたが、質問者様が個人的にそうしたお考えを持つ事は、
自由な事だと思います。それを基に、個人的解釈を述べられるのも自由だと思います。
ただ、そこに他人が賛同するかしないかも、自由だと思います。
☆ その自由ゆえに もし誰かがあたらしい仮説を発表した場合には みなで寄って
たかって 批判し合うのが 学問です。よ。
●●私が納得いかないのは、質問者様の『神』の扱いについてです。
あくまでも、『神』は対外的なものだからです。
>●●念心という言葉は、何年か前に『生命』という言葉を使用したところ、
医学的立場の方の『生命』と概念が大きく異なるといった指摘を受け、他に
何か適切な言葉が無いか探していたところ、見つけた(文字として書物に表
れていた)言葉です。
☆ ぢゃあ わたしの感覚だけとして 分かりづらいのかも知れません。
でも 《念》というのは 思考や思いや意識など《経験事象》のことだと
思うのですが どうなんですかね。知性や感性にかかわっているような。
●●ここでは、『念心』は忘れていただいて良いと思います。
何故なら、『生命』で話は通じそうですし。
>③.>霊性のことを 精神という語を使って 純粋精神だとか絶対精神と言ったり
することがあるようですが 理性=知性を意味する精神とまぎらわしいと思
って 使いません。
● 生命は 霊性に同じとしてよいと思います。
●『霊性』という言葉の意味は、分かりました。
☆ あぁ。それは よかったです。
~~~~~~~~
絶対性:生命 (非経験・超経験)=霊性
相対性:生命体 (経験存在) =感性(身)+理性(心)
~~~~~~~
●●『生命』=『霊性』については、それで良いと思います。
質問者様の定義を理解いたします。
しかし、上記にも書きましたが、『生命』=『霊性』=『神』については
拒否したいと思います。
ご回答をありがとうございます。
●●私が納得いかないのは、質問者様の『神』の扱いについてです。
あくまでも、『神』は対外的なものだからです。
☆ これは 最初にうかがったときにお尋ねすべきだったんですが
● 『神』は対外的なもの
☆ とは どういうことかが 分かりかねています。
対外も対内もなく 神は神として言い出されるものと思うのですが?
●●ここでは、『念心』は忘れていただいて良いと思います。
何故なら、『生命』で話は通じそうですし。
☆ 分かりました。そうします。
~~~~~~~~
絶対性:生命 (非経験・超経験)=霊性
相対性:生命体 (経験存在) =感性(身)+理性(心)
~~~~~~~
●●『生命』=『霊性』については、それで良いと思います。
質問者様の定義を理解いたします。
しかし、上記にも書きましたが、『生命』=『霊性』=『神』については
拒否したいと思います。
☆ 《神》の扱いについてが 問題なのですね。
先ほどの《対外的なもの》というのが どうも考えてもピンと来ません。
どうでしょう。
生命=霊性は 超自然であり超経験だ。
じつは 神も 超自然で超経験だ。
あるいは どちらもみな 絶対性である。
ならば 三者は 互いに同じものである。
――といったふうに なおいまも 考えています。
No.15
- 回答日時:
>①.☆☆
絶対性:神(普遍神)・アートマン(霊我):霊性
絶対性:仏性・仏界・・・・・・・・・・・:霊性
絶対性:生命・・・・・・・・・・・・・・:霊性?
●●ここで、質問者様は『絶対性』を基に『神(普遍神)・アートマン(霊我)』、
『霊性』、『生命(仏性・仏界を含む)』を同一次元として定義したいわけなのですね。
そして、生命を『神』と呼称したいという事なのですか??
☆ はい。そのとおりです。
● ・神(普遍神、ブラフマン)・アートマン(霊我)の概念は、ウパニシャドからの
概念と受けとって宜しいでしょうか?
☆ ブラフマンとアートマンは そうですが ほかのものは 特に何かに依拠するとい
うものではありません。
●●以前にもお話ししましたが、質問者様が個人的にそうしたお考えを持つ事は、
自由な事だと思います。それを基に、個人的解釈を述べられるのも自由だと思います。
ただ、そこに他人が賛同するかしないかも、自由だと思います。
②.☆ 次のように定義しています。
☆☆ (趣旨説明欄) ~~~~
9. 感じる感性
考える理性(☆ =精神)
信じる霊性?
~~~~
*************************************************
『霊性』も仏界。仏性とはイコールではないと言えるでしょう。
どちらかというと、生命、魂、精神、念心と同じ概念かと思います。
*************************************************
●●もう少し詳しく、質問者様お考えの『霊性』についてお話しください。
俗に言うところの、『霊体』、『霊魂』的なものを指していますか??
☆ いえ。絶対性のことを 霊性と言い換えているだけです。
感性(身体)や理性(知性・精神)を超えている場ないしチカラを表わすのに
どうしても別の言葉を用いたい。ゆえに 霊性を使った。ということです。
魂でもよいかも知れませんが 〇〇性というかたちを採りたいわけです。
霊魂は 霊性の代わりに使えます。
霊体は 何のことか分かりづらいです。
● 念心
☆ も 分かりづらいように思います。
●●念心という言葉は、何年か前に『生命』という言葉を使用したところ、
医学的立場の方の『生命』と概念が大きく異なるといった指摘を受け、他に
何か適切な言葉が無いか探していたところ、見つけた(文字として書物に表
れていた)言葉です。
③.>霊性のことを 精神という語を使って 純粋精神だとか絶対精神と言ったり
することがあるようですが 理性=知性を意味する精神とまぎらわしいと思
って 使いません。
生命は 霊性に同じとしてよいと思います。
絶対性:生命 (非経験・超経験)=霊性
相対性:生命体 (経験存在) =感性(身)+理性(心)
●●『霊性』という言葉の意味は、分かりました。
ご回答をありがとうございます。
●●以前にもお話ししましたが、質問者様が個人的にそうしたお考えを持つ事は、
自由な事だと思います。それを基に、個人的解釈を述べられるのも自由だと思います。
ただ、そこに他人が賛同するかしないかも、自由だと思います。
☆ その自由ゆえに もし誰かがあたらしい仮説を発表した場合には みなで寄って
たかって 批判し合うのが 学問です。よ。
*************************************************
『霊性』も仏界。仏性とはイコールではないと言えるでしょう。
どちらかというと、生命、魂、精神、念心と同じ概念かと思います。
*************************************************
●●念心という言葉は、何年か前に『生命』という言葉を使用したところ、
医学的立場の方の『生命』と概念が大きく異なるといった指摘を受け、他に
何か適切な言葉が無いか探していたところ、見つけた(文字として書物に表
れていた)言葉です。
☆ ぢゃあ わたしの感覚だけとして 分かりづらいのかも知れません。
でも 《念》というのは 思考や思いや意識など《経験事象》のことだと
思うのですが どうなんですかね。知性や感性にかかわっているような。
③.>霊性のことを 精神という語を使って 純粋精神だとか絶対精神と言ったり
することがあるようですが 理性=知性を意味する精神とまぎらわしいと思
って 使いません。
● 生命は 霊性に同じとしてよいと思います。
●『霊性』という言葉の意味は、分かりました。
☆ あぁ。それは よかったです。
~~~~~~~~
絶対性:生命 (非経験・超経験)=霊性
相対性:生命体 (経験存在) =感性(身)+理性(心)
~~~~~~~
No.14
- 回答日時:
①.☆☆
絶対性:神(普遍神)・アートマン(霊我):霊性
絶対性:仏性・仏界・・・・・・・・・・・:霊性
絶対性:生命・・・・・・・・・・・・・・:霊性?
☆☆ 生命については まだ保留なのですね?
●●ここで、質問者様は『絶対性』を基に『神(普遍神)・アートマン(霊我)』、
『霊性』、『生命(仏性・仏界を含む)』を同一次元として定義したいわけなのですね。
そして、生命を『神』と呼称したいという事なのですか??
・神(普遍神、ブラフマン)・アートマン(霊我)の概念は、ウパニシャドからの
概念と受けとって宜しいでしょうか?
②.☆ 次のように定義しています。
☆☆ (趣旨説明欄) ~~~~
9. 感じる感性
考える理性(☆ =精神)
信じる霊性?
10. 霊性は・・・考える〔理性・知性(☆ =精神)〕の対象ではない。
・・・
12. そうして 霊性とは・・・ 絶対性のことである。
~~~~
*************************************************
『霊性』も仏界。仏性とはイコールではないと言えるでしょう。
どちらかというと、生命、魂、精神、念心と同じ概念かと思います。
*************************************************
●●もう少し詳しく、質問者様お考えの『霊性』についてお話しください。
俗に言うところの、『霊体』、『霊魂』的なものを指していますか??
ご回答をありがとうございます。
①.☆☆
絶対性:神(普遍神)・アートマン(霊我):霊性
絶対性:仏性・仏界・・・・・・・・・・・:霊性
絶対性:生命・・・・・・・・・・・・・・:霊性?
●●ここで、質問者様は『絶対性』を基に『神(普遍神)・アートマン(霊我)』、
『霊性』、『生命(仏性・仏界を含む)』を同一次元として定義したいわけなのですね。
そして、生命を『神』と呼称したいという事なのですか??
☆ はい。そのとおりです。
● ・神(普遍神、ブラフマン)・アートマン(霊我)の概念は、ウパニシャドからの
概念と受けとって宜しいでしょうか?
☆ ブラフマンとアートマンは そうですが ほかのものは 特に何かに依拠するとい
うものではありません。
☆☆ (趣旨説明欄) ~~~~
9. 感じる感性
考える理性(☆ =精神)
信じる霊性?
~~~~
●
*************************************************
『霊性』も仏界。仏性とはイコールではないと言えるでしょう。
どちらかというと、生命、魂、精神、念心と同じ概念かと思います。
*************************************************
●●もう少し詳しく、質問者様お考えの『霊性』についてお話しください。
俗に言うところの、『霊体』、『霊魂』的なものを指していますか??
☆ いえ。絶対性のことを 霊性と言い換えているだけです。
感性(身体)や理性(知性・精神)を超えている場ないしチカラを表わすのに
どうしても別の言葉を用いたい。ゆえに 霊性を使った。ということです。
魂でもよいかも知れませんが 〇〇性というかたちを採りたいわけです。
霊魂は 霊性の代わりに使えます。
霊体は 何のことか分かりづらいです。
● 念心
☆ も 分かりづらいように思います。
霊性のことを 精神という語を使って 純粋精神だとか絶対精神と言ったり
することがあるようですが 理性=知性を意味する精神とまぎらわしいと思
って 使いません。
生命は 霊性に同じとしてよいと思います。
絶対性:生命 (非経験・超経験)=霊性
相対性:生命体 (経験存在) =感性(身)+理性(心)
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№9つづき1
● 一切衆生 悉有仏性
☆ と言えば すでにそこから意識が生じ自覚も生まれると言ったほ
うがよいかも知れないからです。
●その通りです。
☆ 確認しました。
そして つづく二件のやり取りをも確認しつつ割愛しますが 三つ目
に行きます。
☆☆
>仏性は 絶対性であり霊性ないし生命であり じつにわれわれ人間
には その知性等の能力を超えているものであるからには 容易に認
識など出来ない相談なのですから。
●その通りです。
☆ 総論として 確認できました。
つづく
№9つづき2
●
しかしながら、『仏性は 絶対性であり霊性ないし生命であり』、、、
という意識や認識は持ちながら、そうした事に対して少なからずや探求
する事で、信は深まるものなのではないでしょうか。
☆ これはですね。微妙ですが おそらく:
● 信が深まる
☆ というよりも:
○ 信についての説明の仕方や内容が 深まる・・・
☆ のではないかと。
●
まして、『仏教』という教えは、そうした衆生生命に光を当てて、様々な
人間の抱える問題を解決するために説かれたものだからです。
☆ たぶんそれは 神論=生命論としてではなく 経験思想としての哲学
や心理学・論理学といった分野での寄与ではないかと。
信仰は 別だと。
次のご指摘も おなじようだと理解しますが。:
●
これをただの『宗教の話』という事ではなくて、現実の人間社会と
照らし合わせて学ぶ事も無駄ではないとは思います。
№10つづき
いっそのこと そういった具体的な細かいハタラキのような神々は 基本
としての霊性なる生命また普遍神の 分身 として捉えておけばよいと考
えます。
● この点については、仏教者としては譲れない点です。
これを許してしまえば、仏教は意義を失います。
☆ ですから 不都合は生じないと思いますよ。
● 信が深まる
☆ というよりも:
○ 信についての説明の仕方や内容が 深まる・・・
● そう理解されても良いと思います。
☆ ありがとうございます。
● 【十界論】:仏性を含む生命状態と個々の人間の作用の関係、そして
さらに取り巻く環境までを含んで関係性を説いたものが仏教理論
☆☆ 経験思想としての哲学や心理学・論理学といった分野での寄与では
ないかと。
● まあ、そこはどういった分類をされても、構わないと思いますが、、、。
☆ これも ありがとうございます。
№12つづき
● という事になると、『霊性』も仏界。仏性とはイコールではないと言え
るでしょう。
☆ 絶対性ではない・・・のですか?
● 【付録】:『仏界』『仏性』
☆ すでに説明しましたように 人間の側から捉える場合には どうしても
人間にとって都合のよい見方をするものです。哲学でも自然科学でもです。
人間原理と言います。
仏性は アートマンと同じく絶対性であるのに 人間の境涯の中におさまっ
ているというふうに図式化すると あたかも部分的な小さなものであるかの
ように見えて来てしまいます。
ですが 絶対性であるゆえに そのような縮小化にも 自由自在にその見方
や説明の仕方に応じて あたかも姿形を変えているかのようであるというこ
とです。
仏性も霊性も そして生命も 絶対性であり 絶対性であると言うならそれ
は 神なのです。
№18つづき
ゴータマは 要するに アン‐アートマン(無我)をかかげた。(アンは アン‐イ
ンストールのアン)。つまり 霊性の無ないし無い神。シューニャター(空)ない
しニルワーナ(涅槃)。
ところが 後世において 人びとは けっきょくアートマン(霊我)を復活させた。
タターガタ・ガルバ(如来蔵)またはブッダタ―(仏性)と呼び名を替えて。
ブラフマン神に対して アミターバ・ブッダ(阿弥陀仏)ないしマハ―ワイロ―チャ
ナ・タターガタ(大日如来:毘盧遮那仏)を当てる。
このような事情において 神は――絶対性として・霊性として――つらぬかれている
と見ます。アン‐アートマンと呼んだ《〈無い神〉という神》としてもです。