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言ってもわからないから体罰でわからせるという残念な輩がいるようですが、体罰でも何も学びません。強いて言えばこいつは怖くて悪くて乱暴なやつということと、痛い思いをしたくないから従うという面従腹背を学ぶだけです。もちろんそいつが居ないところでは関係ありません
それだけで済めば良いのですが、最悪なパターンとして自分の気に入らないときは体罰という大義名分があれば暴力を振るってもいいということも学んでしまいます
おそらく体罰を受けた子供が健全な精神を持つことは難しいでしょう
体罰推進派はそのことをどう思っているんですか?

A 回答 (11件中1~10件)

今、体罰に賛成してる人がいると知って驚きました。


私の職場には暴力を受けて精神障害、知的障害を負って人生を台無しにしてる人が多くいます。

体罰賛成だと思う人は自分が他人から「体罰をやめろ」と体罰を受けたら「私は今後体罰は一切しません」と本気で誓い体罰をしない人間に変身できる自身があるのか?好きな体罰に善の効きめが有ると信じているが実際に自分が受けたら間違いなく体罰賛成のまま何の効果も無いと自分で知るでしょう。
他人が何しようが本人が変わるキッカケにならない。私は霊能者見習いみたいな者ですが、たとえ殴ろうが、殺そうが、残酷な体罰を何十年間も与え続けても非物質の意識を物質の刃物で一刀両断しようとしてるようなもので肉体と精神に障害、悪結果が残るだけです。
本人を変えることができる人は本人のみです。
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>体罰はありですかなしですか?



「ありか無しか」というよりも、体罰自体法律で禁じられています。昭和22年に成立した学校教育法において、すでに第11条において「校長および教員は、懲戒として体罰を加えることはできない」と明記されています。

学校の外や家庭内においても、児童虐待防止法と児童福祉法には「児童のしつけに際して、体罰を加えてはいけない」と謳ってあります。

だから体罰というのはもともと「無し」であり「法律違反」なのです。だから課題としては、体罰という「違法行為」をいかに駆逐していくかということであり、とうの昔に体罰の是非を問う段階は通り過ぎているのです。

とはいえ、まだまだ学校現場や家庭には体罰が横行しています。そういえば、昔私の通っていた学校もヒドかった。教師とちょっと目が合うと、「キサマぁ! 何ガンつけてんだ!」と言い掛かりを付けられて生徒が殴る蹴るの暴行を受けていた場面に何度も出くわしました。かと思えば、理不尽な「校則」をデッチ上げられて、それに「違反」した者は容赦なく鉄拳制裁されました。そんなことをやっていた教師の決めぜりふは「生徒手帳に載っていようがいまいが、オレが言ったことは即、校則になるのだ」というもの。いやはや、まるで無法地帯でした(注:私の出身校は、俗に言う「問題校」ではなく、普通の公立校でしたが)。

話がそれましたが(汗)、とにかく体罰なんて百害あって一利無しですよ。

体罰によって事態が好転したと思っている向きも少なくないでしょうが、それはよく考えてみると「別の要因」が介在していたり、あるいは「好転していた」と思い込んでいただけで、実は全然解決していなかったというケースがほとんどだと思います。
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私は体罰指導肯定派です。


私じしん、悪いことをしたのならそれ相応の制裁を受けるのは仕方ないと思って学生時代過ごしてきましたし、自分に非が無くとも、連帯責任で殴られたりすることも、教育の現場ではある程度認めないと現場がまわらないだろう、と考えて許容してきました。
ですから、私は、虐待だ!と批判されるかもしれませんが体罰指導は必要だと思います。世の中には暗黙の掟やルールはあるのであり、それを破れば子供と雖もそれ相応の制裁を科される可能性はあるんだ。お前ら、社会を世の中をなめるなよ!という脅しの効果、言い換えれば教育的な懲戒効果が体罰指導にはあると思うからです。

ただし、やるなら一貫性もってやってほしいと常々考えていますけどね。
反抗しない生徒は遠慮無く一方的に体罰指導できるけど、本気で反抗反撃してくる可能性がある凶暴な不良少年は恐ろしいから体罰指導できませんとか、マジで勘弁してほしい、と。
反抗しない生徒は遠慮無く一方的に体罰指導できるけど、本気で反抗反撃してくる可能性がある凶暴な不良少年は恐ろしいから暴れても体罰指導できません、なんていう教師の体罰指導には、そもそも教育的な懲戒効果なんて期待できないでしょう?そんなセンセー、尊敬出来ますかねwwww?
こんなことを書いたのは、私の子供時代に似たような体罰教師がいたからです。私の通っていた長野県岡谷東部中学校の学生時代、東中連合という不良集団が職員図書室を占拠して暴れており、授業妨害もしょっちゅうで、卒業式には私服警官に保護者席に入ってもらわなければならないくらい学校が荒れて いました。この当時、体罰指導が無かったか?といえばもちろんありました。生徒のアタマをメガホンでぶったたく体罰教師もいました。私も二回くらいメガホンでぶんなぐられましたが。時効に近いくらい昔の話だから実名出しても問題ないと思うので実名で書きますけど、私が名取秀樹先生というメガホン教師に頭をぶったたかれた二回とも、生徒集会中だったのですが東中連合の使いっパシリ三下みたいな奴に絡まれて頭を叩かれたり小突かれたりしたので、手でそれを払いのけていた。それが、二人して生徒集会中に騒いでいると認識されたらしく、メガホンでぶったたかれました。
私は、頭をぶったたかれた二回ともに非常に不本意な気持ちでその体罰を受け入れましたけど、「昔から連帯責任というか、喧嘩両成敗という言葉もあるし、これはこれで仕方ない」と自分で自分を納得させていました。自分にも言い分はあるにせよ、頭を小突かれたり叩かれたのを振り払って、結果的に生徒集会の進行を妨害していたのは事実でしたから。その少し前にも似たような状況で教師に殴られて、『僕は不良にからまれたから反撃しただけです。どうして僕まで殴られなければならないんですか!』と抗議したら『誤解招くようなことをしたお前が悪い!弁解すんな!』ともう一発ぶん殴られたこともあったから、とにかく連帯責任だから仕方ないと思ってました。


ところがその後あるとき、全校集会で東中連合の不良グループが椅子を投げつけるなどして大暴れして、体育館内がめちゃくちゃな騒ぎになった事件があったのですが、周りの教師達はびびってしまって止めに入りませんでした。件のメガホン教師も傍観していました(笑)

ただ一人だけ不良達を止めようとしたのは、国語の女性教師の笠井みゆき先生でした。体罰指導なんかとは特に縁も無いような体の細い、気の弱そうな先生で私は直接教わったことはありませんでしたが、本当に偉い先生だったと今でも尊敬しています。もっとも、多勢に無勢で不良達には歯が立たず、ボコボコにされていましたが(笑)。

薄情なようで申し訳ないんですけど、私は笠井みゆき先生が不良集団にボコボコにされていたとき、ゲラゲラ笑ってましたね。あまりにもブザマで滑稽で。もちろん、半分くらいは多勢に無勢で勝てる見込みもないのに不良集団を止めようとひとりだけ立ち向かっていた笠井みゆき先生のブザマな姿が滑稽だったから笑ったんですけど、半分はメガホン持ったまま傍観していた名取秀樹先生の姿が滑稽だったから、というのもあります。あんたのメガホンは、俺のアタマをぶったたくのは役に立ってるみたいだけど、不良集団を止めるのには全然役に立ってねえな、と。テメぇラ体育会系教師どもの体罰指導やら体育会系のリクツは、俺を殴るのには役に立ってるみてぇだけど、東中連合の不良どもを止めるのにはクソの役にも立ってねぇじゃねーか、と。

もちろんこれは極端に酷い教師の事例であって、そうじゃない体罰指導教師もたくさんいるとは思います。繰り返しますが生徒集会中に体罰教師からメガホンで頭をぶったたかれたこと自体は納得しています。故意にやったことではないにせよ生徒集会の進行を妨げていたのは間違いなかったし、誤解を招くような行動をとったワタシの当時の判断も不適切だったとおもうから。ただその後、不良集団が大暴れしたときは、これは私のケースとは根本的に違って、明らかに悪意をもって意図的に生徒集会を妨害していたのは誰がみても分かることで誤解のしようもないのに、なんでそれは止めなかったのか?しかも女性の教師がただ一人だけ止めに入ってボコボコにされていたのに…。

ということです。あんたの持っているメガホンは、飾りか?と。おそらくメガホンでぶったたくのは大きい音がするだけで特に痛くはないし、体罰の範疇には入らないだろうし、頭をぶったたく大きな音が体育館内に響けば生徒の耳目を集められる。「お前ら、騒げばこういう目に遭うぞ!」というミセシメと脅しの意図がメガホン教師にはあったんだろうと思いますが。誤解の無いように補足しておきますが、最初に書いたように私は教育的な懲戒効果が見込める体罰指導は必要だと思うし、原則肯定しています。また、教育の現場における体罰指導や暴力指導が連帯責任を伴うものである以上、ときに受けた生徒が理不尽に感じるケースがあるであろうことも理解はしているつもりです、一応。
今回名取秀樹先生の実名を出して批判したのは、この教師の暴力指導には覚悟も信念も一貫性も無かったからです。
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体罰って言葉、いい加減無くしたら。



くだらない。

ようは、しつけでしょう(^△^)

体罰、大賛成ですよ。

いろんな事件見れば分かる。
子供の頃に、体罰は、必ず必要。

あくまで俺の意見です。

他の方は、考えが違うと思いますよo(^-^)o
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体罰を否定する人は、どうやって教育するかといえば


口頭で説明する訳です。

説明を受けるのは子供です。
だから、納得しなくても、反論出来ません。
反論する能力が無いからです。

それで、納得しなくても、渋々従う
ことになりますが、従うのは一時的です。
納得していないからです。

だから、何かあれば同じ事をやります。

そして又説得され、渋々その場限りで
従います。
これで子供が健全な精神を持つことが
出来るでしょうか。

これを繰り返せば、そのうち従わなく
なります。

校内暴力、家庭内暴力はこうやって
発生します。
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体罰の有用性は認めますが、でも体罰は反対です。



体罰の有効性を認める人との違いは「教育とはなにか」と言う視点にあると考えます。
#4さんが「体罰がないと死人がでる」と書いておられますが、これは選手になればお金がもらえる世界の話です。
そう言う世界は「体罰の先に利益がある」ので、純粋な教育とは異なります。

「体罰の禁止」と言う場合、普通は学校教育内に置いての事を言います。学校以外でも子供の教育機関、塾や少年スポーツ組織など「子供の健全な育成に係る場所」を言います。ここでは絶対に体罰を禁止すべきです。

理由の一つは「効果が見えないから」です。教師や指導者は「良かれと思ってやっている」とか「叩かれた方は痛いが、叩く方も痛いんだ」とか言いますが、本当にそう思ってやっているかどうかは別です。いや、本当にそう思っているとしても「体罰のレベルが適正かどうか」なんて全く分かりません。

そんな無責任なものに頼る教育など不要です。
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どうしても反抗的な態度での暴力が目に余るお方に、一発、ビンタを食らわしたら、目が覚めたように変わり、世の中に協調的になった例も多く見ています。

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日本競輪選手養成所、


やまと競艇選手養成所、
オートレース養成所は体罰なんて
ごく当たり前ですよ。
特にやまと競艇選手養成所は
ずぶの素人の子を一人前にするため
暴言や鉄拳制裁します。
三カ所共にレース中の僅かなミスが
大事故につながりますから厳しい
のです、実際レース中の事故で
命を落としたり再起不能になった
選手はこれでもかという位にいます。
事故のないレースをしてほしいので
これらの教官達はあえて鬼に
なり競輪は竹刀、競艇はビンタ
鉄拳、オートレースは時代劇で
お奉行様が持っている棒で訓練生を
叩き鍛え上げています。
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バグで二回送信してしまったようです(笑)


すみません。
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私も体罰は反対派です。


ただ、仮に体罰が行われているチームと体罰が行われていないチームがあるとするならば体罰が行われているチームの方が強くなるでしょう。
かつて負の歴史にもあるように恐怖は人を動かします。

体罰推進派の方々は体罰を受ける人のことを考えるより勝利や利益を求めているように感じます。

極端にいえば人名よりも利益って考えて方なんじゃないでしょうか?
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